第6話 最後の審判

 最後の審判(さいごのしんぱん、Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰である。特にキリスト教においては、「怒りの日」と同義に扱われる。


 無宗教日本人には馴染が薄いかもしれない。


 と、いうのも既に洗脳で、


 日本人が云う「世間」とは景教で言う神の下の平等、つまり、


 ネストリウス派(英語: Nestorianism, ギリシア語: Νεστοριανισμός)は、古代キリスト教の教派の1つ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオス[注釈 1]により説かれたキリスト教の一派で、東方教会(東方諸教会)に含まれる。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった[2]。唐代の中国においては景教と呼ばれる。のちにはイラクを拠点とする一派アッシリア東方教会などが継承した。


その教義においては、三位一体説およびイエス・キリストの両性説は認めるものの、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されるとし、さらに、イエスの神性は受肉によって人性に統合されたと考える。このため、人性においてイエスを生んだマリアを「神の母」(テオトコス Θεοτοκος)と呼ぶことを否定し、「キリストの母」(クリストトコス Χριστοτόκος)と呼んだ。これは、マリアはイエス・キリストの人格においてのみの産み主であるという教理に基づくものであり、マリア神学というよりはキリスト論が根幹である。このネストリオスの教説は、431年のエフェソス公会議において異端とされた。


 日本への伝播に関する諸説


栖雲寺所蔵の十字架捧持マニ像

日本に多大な影響を与えた唐で隆盛していたため、景教が何らかの形で日本にまで伝播し、影響を与えていたはずだと主張する言説は複数存在する(同じく同時代の三夷教〈景教、祆教、摩尼教〉の1つである祆教〈ゾロアスター教〉に関しても、同じような主張がある)。


明治末に来日したアジア研究家の英国人であるE・A・ゴードン夫人は、真言宗と景教の関連性を確信し、高野山に中国・西安(長安)にあった景教の記念碑「大秦景教流行中国碑」のレプリカを建立した。この記念碑は、今も高野山に現存している(夫人の墓もその隣りにある)。空海は中国で景教についても学んだとされる[7]。


浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、景教の聖書の一部(マタイによる福音書の「山上の垂訓」を中心とした部分)の漢訳である『世尊布施論』が所蔵されており、この事実を以て、親鸞が景教に学んだとする説を唱える者もいる[8]。


山梨県甲州市大和町木賊の栖雲寺(せいうんじ)所蔵の「十字架捧持マニ像」(元代)は寺伝では虚空蔵菩薩像とされているが、十字架が描かれており、景教との関連が指摘されており[9][10]、アメリカのメトロポリタン美術館でも展示された[11]。しかし研究の進展により、本画像と他のマニ教絵画と図像が一致することが確認され、栖雲寺本はマニ像の可能性が高い[12]。


 更には、日本は二本であり、記紀であり、新旧聖書である。


 これに仏教まで加わる。


 日本人は無宗教どころか、世界でも例を見ないほどの多重宗教国家であるのが、実相なのだ。


 無論、義務教育ではそんな事実は一言も触れられない。


 そして今、正に、世界は表題通りの事態を迎えつつある。



 総ての虚妄が、罪悪が、白日の下に晒され、審判を受ける時が。


 ホンネとタテマエの、二本人よ。


 貴殿のホンネは、どこに置けるだろうか。

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