私は別にかまわない

サムライ・ビジョン

物足りないけどそれでいい

 高校入学という新生活のはじまりは、部活や勉強にかぎったものではない。


「初恋」


その相手は先輩でも後輩でも、同級生でもなかった。

「南先生〜」

ああ…まただ。あの人の周りにはいつも女子がいる。

 1年次に担任になった南先生は、正直なところ、最初はそれほど気になる存在ではなかった。背はそれほど高くないし…

だけど、すごく優しかった。

まだまだ子どもだった私が、人生で初めて「大人」を感じ取った男性が彼だった。


 ある日のこと。私は選択科目の美術の先生がどうしても苦手で、高校生活はじまって以来、初めてのサボりを体験した。

ある種の特殊体質ともいうべきか…私は昔から、サボりたいと強く思うと微熱が出せる。

「宮本さん」

薄いピンクのカーテンが少し開き、保健室の先生が顔を出した。

「…熱は下がったみたいね」

当たり前といえば当たり前だ。かりそめの微熱に持続性はない。

「よく寝てたよ。どうする? チャイムまであと10分あるけど…」

「熱はないけど頭が痛くて…」

食い下がるわけにはいかない。私は出まかせを追加した。

「そうなのね…じゃあもう少し休みなよ」

カーテンは再び閉められた。無機質なベッドの、無機質なシャカシャカ枕…もう眠くはないし、もちろん体調も良好…

仕方ない。とりあえず目を瞑っていよう。


 「あ、南先生」

首だけが入口を見る。南先生が来たのか。

陽菜ひなの具合は?」

「もう熱は下がったみたいですけど、頭が痛いみたいなんでまだ寝かせてます」

「そうなんだ」

南先生は確か35で、保健室の先生は25くらいかな? そういえば私、先生の名前ほとんど知らないな。

結局、寝ずにボーッとしているうちにチャイムが鳴った。


 また別の日。今度は仮病ではなかった。恥ずかしいことに体育で突き指をし、テーピングとアイシングをしてもらっていた。

「あれ? どうしたんだ陽菜?」

そんなときに、またしても南先生は現れた。

「バレーで突き指しちゃって…」

大したケガではないと、私は笑って話した。

「そうか。気をつけろよ〜?」

南先生はいつものように朗らかな様子でそう言った。

「…よし。痛みはどう?」

「あ、はい。だいぶ引いてきました」

処置が終わり、私はお礼を言って保健室を出た。


「この時期になるとケガが多いよね」

ドアを閉めようとしたときに南先生の声が聞こえてきた。ドアは拳ひとつ分くらい開いたまま。

「そうですねぇ…球技だと特に」

「だよねぇ。ところで…」


先生だって人間だ。日常会話くらいする。

盗み聞きはよくないが、だんだんと逸れていく話と笑い声をしっかりと耳にした。

楽しそうだった。


 二者面談の日。私達はそれぞれ別室に呼び出されて、進路や成績のことを話していた。

終わった者や待っている者。今この教室は、思い思いにしゃべくる場所になっていて、私もそのひとりだった。

「次、陽菜ちゃんじゃない?」

「ん? ああ…宮崎くん戻ってきたね」


隣の空き教室には、もちろん南先生がいる。

「よし、まぁ座ってよ」

南先生はワイシャツがよく似合う…面談とは全然関係ないけど。

「今のところ成績もいい感じだし、無遅刻で提出物の遅れもなし…志望校も全然いけると思うよ」

褒められた。いや、他のみんなにも同じことを言っているのかもしれないけど…

「面談はこれで終わりだけど、陽菜は何か気になることはある? 学校生活のこととか…」

私はこのひとに呼び捨てされるのが好きだ。

いや、他のみんなのことも呼び捨てにしているのだけど…


「保健室の先生、いるじゃないですか」

「ん? あー…山本先生ね」

私はそのとき、初めて保健室の先生の名前を知ったが、それ以上に知りたいのは…

いや、知りたいというよりも、からかいの意もあったのだけど。


 「南先生って、山本先生とはどんな感じなんですか?」

言ってみた。言ってしまった。


「え〜? どうって…?」

彼のそれは苦笑いに近かった。


「いや…なんか最近、2人とも仲いいな〜って思って…」

「そう? まぁ、仲は悪くはないけどね」

私はこのときの会話をよく覚えていない。




 それから私は、彼にちょっかいをかけなくなった。

2年生になると担任が変わり、国語の時間でしか会うことはなくなった。

廊下を通りすぎる彼の顔や、少し分厚い胸板。

相変わらず女子に囲まれる先生。

彼の姿を遠くから見ては、話したいような、女子に囲まれる姿が気に入らないような…

でも、関係のないことだ。所詮は生徒と教師の間柄。


 3年生になったとき、南先生は2年ぶりに担任になった。それは嬉しかったのだけど、今まで通りさほど深くは関わらなかった。

私が面食らったのはそれから少ししてから。




 「私ごとではありますが…結婚することになりました!」

クラスメイトはざわめいた。私は…自分でも不思議なくらい落ち着いていた。

確かに彼の薬指には光るものがある。

だって、あれほどいい男が未婚だという方が不自然じゃないか。いい男に似合うのは何もワイシャツだけではない。

ひとたび指輪がそなわれば、それはより一層色気を増すのだから。眼福じゃないか。


「相手は誰なんですか?」

男子がふとそのように言った。


「保健室の、山本先生です」


南先生はなんの気なしにそう言った。


そんな都合のいい話があるだろうか?

確かに2年前…私は面白半分に2人の仲を詮索した。

まさかとは思うが、私のあの一言が彼を動かして…いや、それは思いあがりというものだろう。私なんかにキューピッドの役目が務まるわけがない…


 この3年間は、恋という名目だけでみると微妙なものだった。片思いに終わるのは最初から分かっていたし、片思いこそが恋の醍醐味だと信じていた。

「既婚」というのは、私にとってブランドに過ぎなかった。

色男に指輪。その姿を見るだけで、私は胸が高鳴った。

嫉妬心は不思議とない。納得もしている。


 私のスマホの片隅に…

袴姿の先生とのツーショットが、忘れ形見のように1枚だけある。

最後のその瞬間まで何も言えなかった。

じゃあ何を言うのかといえば、かける言葉に迷うわけだけど。

こういうときは無闇に考えない方がいい。

素直な気持ちを言いたいのなら、私は…


もう一度、あのひとに会いたい。

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