異世界を浄土とする:俗世と欲望のパイ包み
@muga-muga
ある日の始まりのお話/最終話
例えばダンジョンの攻略に息詰まった時、意中の可愛い子にフラれた時、なんか勢いのある若手が出てきた時。
そういう時、冒険者たちは肉を食う。酒も飲む。もう腹がはち切れんばかりに。
散々騒いで眠りこけ、二日酔いでゾンビみたいになって朝を迎え、ノロノロとまた人生を歩き出す。
しかし、そういうのは何度かやれば効果が薄まる。慣れちまう。
後ろでベソをかきながらトボトボ付いてくる青年、ガッツにはもう効かない処方箋だ。
「ほら着いたぞ。いつまで泣いてんだ」
「……なんですか、このショボい店」
街外れ。城壁近くの木造の建物の看板にはひっそりと『人魚亭』と書かれている。規模としては食堂より下、小料理屋レベルだ。
だが、この立地も外観も、紛れもなく天の恵みだ。あのメニューが街の中心地で食べられたら、押しも押されぬ行列でこんな気軽に食べに来ることはできないだろう。
入店してすぐ「姉さん。《精進モドキ》ふたつ。コイツのはトッピング全部盛りで」と注文した。
「あらあら。全部盛りなんて、よろしいんですか? 結構なボリュームでございますけど」
ほっそりとした女性が白い指を頬に当て、戸惑ったようなフリをする。教会のシスターのように清廉な立ち振る舞いの店主はピチピチに若いわけでもなく、顔のパーツはそれぞれ控え目なのに、えも言われぬ色気がある。
名前をヤオビクニと言うらしい。外国人なのだろう。
「いけるいける! 食うのはコイツだからな!」
ガッツのバンバン背中を叩く。ビクニさんは小さく笑って「ふふ。景気付け、というヤツですね。畏まりました」と厨房に入った。
周りでは料理を食べ終えた男も女も夢見心地に惚けている。
「なんかヤバい料理なんですか?」
「いや、ちょっと変わった料理ってだけだ。まぁオーブン使うからな。待ちながらちょっと話そうや。姉さん。エール二つ」
そうしてエールを飲みながら、これからのことについて人生相談をしているとバターを含んだ小麦粉が焼ける、なんとも幸せな匂いが店内に充満してくる。
「お待たせいたしました。お皿、とっても熱いのでお気をつけくださいね」
ミトンで危なっかしく運ばれてきたのは、こんもりとしたドーム状のパイ生地で覆われた料理だ。キツネ色のパイからは触らなくても内側に秘めているサクサクの予感が伝わってくる。
「うわ。うまそうっすね」
「後は食いながら話そう。言っとくが結構熱いから火傷するなよ」
「ガキじゃねぇんですから」
スプーンでザックザクと分厚い生地を切り裂く。普通ならば中に入っているのはシチューとかだろうが、この店は変わり種だ。予想通りガッツから「なんスかコレ」と質問がきた。
「これはな、高野豆腐っていうらしいぞ」
「コーヤドーフ……?」
「俺も高野豆腐がなんなのかは知らん。とりあえず食え」
手本とばかりに先に食べてみせることにした。
パイ生地とそっけないクリーム色をした高野豆腐を合わせて口に含んで、文字通り噛み締める。
この刺激に慣れることなんてあるのだろうか。相変わらず頭のおかしくなりそうな料理だ。
「せ、先輩。すげー顔してますよ。これ、やっぱりヤバい料理なんじゃ」
「そんなんじゃねぇ。何度食べても、衝撃的だ……」
高野豆腐っていうのは正直、美味いスポンジみたいなものだ。
これに、ありったけの有塩バターが染み込ませてある。
だが、もしそれだけならパイ生地と相まってクドさが勝るだろう。料理には詳しくないが、俺もいい歳になって最近はギトギトしたものがキツい時がある。
この料理の巧妙なところは、有塩バターに飽和せんばかりの爽やかな香りをつけているところだ。ビクニさん曰く「ペッパー、次いでローズマリーは欠かせませんけど、その他はバジル、ミント、パセリ、レッドペッパーとか……要するになんでも。夏の時期にはライムとか、柑橘系も入れることがございます」とのことだ。
口をパサパサにする乾いたパイ生地と、脳天に突き刺さる油分の旨味が混じり合って、人間の欲望が生み出してしまった罪みたいなものを感じる。しかしそんな罪悪感も、キラキラした香りで眩んでしまう。
そしてパイの多重層なサクサクと、容易く噛み切れる弱々しい弾力の高野豆腐を同時に噛むと、もっと、もっと噛みたくなる。
最初はもう訳もわからず夢中で噛んでいたが、これが”不安”を原動力にしているのは最近気づいたことだ。
脳がバグってしまうのだ。口の中で両方の食感が均一化されなければ耐えられない。逆に均一化されるとえも言われぬ安心感がある。そしてまた次のひと匙を掬ってしまうのだ。
合法ドラッグと呼ぶにふさわしいだろう。
「え。なにこれ、やば。え? うわ……」
見ればガッツも目を白黒させている。
全部トッピングにふさわしくプロセスチーズ、モッツァレラチーズ、卵焼き、半熟卵、ミートソース全部入っている。
一度食べ始めてしまえばお互いに会話なんてしていられない。
白エールを飲み、パイを砕き、高野豆腐をやっつける。そう言えばここのエールは選択の余地なく白だ。軽くてフルーティで、単体で飲むと上品過ぎる味わいも、バターとパイによる罪を優しい微笑みで許してくれる慈母のドレスの手触りのようだ。
舌鼓を打つ。打つが、この気持ちよさも全部、当然ながらビクニさんの計算の内なのだ。そう思うとちょっと怖い。俺たちが自由意志なんて思っているものは、実は簡単に誘導されてしまうものなのではないか。
しかしガッツが「おかわり!」と言うとビクニさんは、実在するかもわからない天上の天使の顔で微笑むのだった。
そうしてガッツがふた皿目を平らげる頃には、机の上はエールの空き瓶が並んでいた。バターがアルコールの吸収をゆっくりにするのかジンワリ酔えるのが、この店の客が恍惚の表情をしている理由だった。ガッツもすっかり仲間入りを果たしている。
「先輩、ありがとうございます。なんか俺、俺って、天国の住人だったんですね」
「お前マジでチョロいなぁ。姉さん、ありがと。お会計で」
ガッツが朦朧と財布を出そうとするのを手で制する。
野郎の世話なんてしても何の得もないし、恩を売るなんてせせこましい真似はしたくない。だけど、自分の好きなものを他人も好きになるのを見るのは気分がいい。
今晩はコイツを宿まで送り届けて、無事にベッドに横たえるまでは付き合ってやることにした。
*****
皆様がお帰りになり、本日も無事閉店でございます。
高野豆腐をバターに浸したものは多少作り置きができるためお店はなんとか一人で回せますが、バターとパイ生地の焦げが付いたお皿を洗う作業は、かつての日本での寺院での生活を思い出させます。
ひとしきり洗いあげ、明日の仕込みを終え、そろそろ家路につこうとした頃合いでございます。
カランと音がして、入り口の扉が開きました。
見やれば銀髪に赤いレザージャケットなど着込んだ、背の高い美男子が立っておりました。背にロングソードを携え、剣呑な雰囲気でございます。
「申し訳ございません。本日はすでに店じまいしておりまして」
失礼の無いよう丁寧にお断りさせていただいたのですが、目にも止まらぬ早業で剣のきっ先を突きつけられておりました。
「料理を出しな。あんたが悪魔なら殺せって依頼を受けてる」
「あらあら。まぁ。困りましたわ」
神のいないこの地で人間たちを堕落させることは、赤子の手を捻るかの如く簡単ですし、実際、悪魔の皆さんは、食べ放題のイチゴ狩りに出かけた人間のように魂を摘んで頬張っておられます。
「仕込みができていないので……私個人用の、まかないみたいなものになりますけど、よろしいかしら」
「……いいだろう」
青年は最初から荒事になるのを想定しておられたようで、肩透かしな様子で椅子に腰掛けられました。
「では、少々お待ちくださいね」
この世界の冷蔵庫は魔石で動いているため、非常に高価で小さいのですが、バターで浸した高野豆腐を数個保存しておくことくらいはできます。
白い油脂として固まったそれを、そのまま耐熱皿にコロンと落とし、パイ生地で包んで焼いてしまいます。
焼くのには少々時間があるので、私はキョロキョロ店内を観察していらっしゃる悪魔狩りの彼に話しかけることにいたしました。
「悪魔と疑われるのはともかく、私の料理に夢中になった方がいるのかと思うと、素直に嬉しいです」
「もし本当に悪魔じゃなければ生粋のジャンキーメーカーだな。退治できない分、そっちの方がよっぽど怖いね」
「ふふ。私、ただ中毒者を生み出すために料理を作っているわけではありません。ささやかながら、矜持も持ち合わせておりますのよ?」
「へぇ? どんな」
「私が出す料理は、生き物を殺した材料は使っておりません。本当はバターも卵も使わないのが理想なのですけど、ここの人たちには、まだ少々早い文化のようですから」
「ハッ。くだらねぇ理想。なぁ、毎日毎日、外でどんだけのモンスターと人間が死んでるのかわかってんのか?」
「存じ上げません」
私はこの世界のことは、ほとんど何も存じ上げません。知ったかぶりをせずに答えると、青年はキョトンとした顔をしておりました。
「……お前、なに笑ってるんだよ」
「あら。私、笑っていますか? きっと貴方が初々しくて、笑顔になってしまうのでしょう」
嘘偽りない本心でございます。この青年は、世界の残酷さを受け入れなくてはならないと知っていながら、やはり折り合いがつかず苦々しく思っているのですから。若いことは芳しいことだと実感せずにはいられません。
今となっては思い出すことも難しいのですが、私にも、このように世界との摩擦を思い悩む時期があったのでございましょう。人魚の肉を食べてからそれなりに生きて、長く眠った後、久方ぶりに洞窟から出てみれば、何故だかひどく異国情緒な場所に出て参りました。いえ、実際に異国なのでございましょう。
苦心の末に言葉も覚えましたので、折角ですから御仏の教えを広めようと考えたのですが、強い言葉が必ずしも人の心を打つ、というものでもございません。むしろ非言語の内にこそ、受け手の心に真に迫ることもございましょう。
ならば、と始めた小料理屋でございます。考えてみれば悪魔とそしられることすら、大変愉快なことであるのかも知れません。
「お待たせいたしました。とても熱いので、お気をつけくださいね」
「なんでふた皿?」
「折角ですから、私もお夜食にしようかと」
サクサクとパイを切り分けますと、まだ冷たい部分を残した、半分溶けたバターのような高野豆腐がそこにおります。
合わせて食べれば脂と炭水化物の美味しさ、異種の食感。それに、熱さと冷たさが混じり合います。
肯定と否定の末に精妙なものが生まれ来る、と教えたのは御仏ではなく道教だったかしら。いずれにしても、この世界で受け入れるための俗物さと、私の信念が習合したこの一皿は紛れもない発明で、私なりの言葉なき御仏の表現に違いないのでございます。
見れば悪魔狩りのひどく男前な眉根にも、困惑の皺がよっておりました。
私にとって、料理を食べた人々の『?』の表情を眺めるのは、大変な楽しみでございます。かつて禅問答
によって弟子たちを悩ませていたお師匠様は、密かに、これと似た愉悦を覚えていたのかもしれません。
「お口に合いましたか?」
「魔力のカケラもない飯だ……アンタが悪魔じゃないことはわかった」
「それは幸いです」
「ただ」
「ただ?」
「厄介だ」
私は少しだけ、笑ってしまいました。
嫌そうにしながら、料理を頬張る青年は大変愛らしいものでしたから。
「知らないものは、なんであれ厄介なものです。でも、ひょっとしたら、いいものかも知れませんわ」
「……詐欺師の口上だ」
「ふふ。先ほど、外ではいくらでも殺し合いがある、ということを仰いましたね?」
「まぁ、言ったな」
「でも、だからと言ってこの皿の上にまで殺しがあってもいい積極的な理由にはなりません。どんなに局所的でも、いいことは、どこかの誰かが始めなくてはならないモノですもの」
「なんつー口の回る奴だ。悪魔の件はもういい。おい、金は払うからエール出してくれ」
「お断りいたします」
青年の咀嚼が止まって、目が少し開かれます。ハッキリ拒絶されるとは考えていなかったようです。
「申し上げましたでしょう。本日はもう営業終了。エールは営業しているときに召し上がりにいらっしゃってください」
青年はなんと言ったものか少しの間悩んでおりましたが、自身に非があることを自覚されたのか「ごっそさん」と代金を置き「悪かった。まぁ、なんていうか、美味すぎてビビった」と言い残して立ち去ろうと致します。
「お待ちください」
「なんだよ」
「ご依頼主に、悪魔ではない女が作るただのおいしい料理を、一度食べにいらっしゃるようにお勧めになってくださいな」
「オレが勧めなくてもそうなるさ。自分のパートナーが悪魔に魂を抜かれたでもなく骨抜きにされる料理があるって知って、食べずに我慢するなんて、できる奴いないだろう」
「まぁそれは重畳です。あとは、貴方も」
「あ? オレ?」
困惑する青年の全身を見れば、赤い革のジャケットにも、黒いボトムスにも、目立たないけれど何かの血が付着して固まっております。
私は、こういう愛から目を逸らす粗野な青年にこそ、悟って欲しいと願ってやみません。
世界の本当に奥の奥、人間の欲望など存在もできない領域は常に凪いでいて、穏やかであることを。家畜も、敵対する他人も、何もかもが母親の苦心から生まれてきたことを。身体の内に、落とさないよう固く命を保持し、愛の萌芽を宿していることを。それらのことに気づくきっかけは、そこかしこに転がってはおりますが、腑に落とすためには何かしらの働きかけが必要なのも事実でございます。
この店を築くまでには、多少の苦労がございました。しかし本日、その本懐に触れたような気がいたします。
世俗に媚びながらも殺さないことを尊びとする私の店、私の料理がこうして呼び寄せる者がある。影響”力”などという言葉もあるように、これは力の発露の始まりなのでございましょう。
ならばこの力は、この青年を、ひいては衆生を目覚めさせるに足るものでございましょうか。
力への執着、あるいはやりがいなどというものが我執の産物であることは重々承知しておりますが、跳ねる心を抑えるのは無粋なこと。
私はなんだか楽しくなってしまって、自然と声高らかに、こういう挨拶をしているのでした。
「人魚亭と《精進モドキ》を、どうぞご贔屓に」
異世界を浄土とする:俗世と欲望のパイ包み @muga-muga
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