四章 マッドネス・パーティー

第95話

 季節は12月。心地の良い秋は過ぎ、冬本番へと突入していた。


「…う、寒っ……」


 黒スーツの上に灰色のコートを羽織った男が市街地の街灯に照らされながら夜道を歩く。ある男との約束を果たす為にだ。


「ここか…」


 男が手に持っていたスマートフォンを確認する。目の前にはごく普通の喫茶店。男が持つスマートフォンにはこの中に入れと指示が表示されている。


「……」

 

 迂闊に足を踏み入れる事など男には出来ない。男は直感的に理解してしまったのだ。この何の変哲もない喫茶店。その中から感じる人外魔境の雰囲気を。

 

「…入るしかない…か」


 出来る事なら今この瞬間にでも全てを投げ出し帰りたい。その衝動を男は必死で抑え込む。「あの男」と関わる事を考えればそれこそが最善手ではないかと男は本気で考えていた。だが、ここで逃げたところで男には先が無い。行くも地獄。帰るも地獄。ならば進む道など1つしかない。


「同じ破滅なら…前に進んだ方がマシだ」


 懐に装備しているリボルバーの感触を再確認した後、ゆっくとそして丁重に男はドアを開く。それと同時にカランコロンという鈴の音がフロア全体に響き渡った。


「いらっしゃいませ」


「いっ…!?」


 そして次の瞬間にはもう、男の背後に店員と思わしき少女が現れていた。セミロングの茶色の髪に恐ろしいほど整った顔立ち。喜怒哀楽を感じさせないその冷たい瞳が男の目を射抜く。

 

「…あ…ああ……」


 男は直ぐに返答する事ができなかった。男は混乱していたのだ。やけにタクティカル寄りなその服装。頭部から生えている狼のような大きな耳。かと思えば胸元にはやたらとファンシーな筆記体で「ハスキー<研修中>」という謎のネームプレートが付いている。全てがあまりにもチグハグなのだ。思わずこの場所が日本と言うことを忘れさせるくらいには。


「どうかしましたか?」


「い…いや、何でもない……」


 男が内心の違和感を意志の力で抑え込む。この少女も間違いなく「あの男」の関係者だという事は火を見るよりも明らかな事実。下手に刺激をしてはいけない。男はその事を手痛い教訓と共によくよく理解していた。


「し…知り合いが席を取っているはずなんだ。確認してもらえるか?」


「了解しました。その方のお名前を教えてもらえますか?」


「名前は……」


 男がその名前を口にする。そして伝え終えた男が安堵感と共に一瞬き。そのたった一瞬の後に男の視界に写る景色が変わっていた。目の前には瞳孔が開ききった青色の危険な瞳。それが男の目をジッと覗き込んでいた。


「っ…………」


「……」


「ふむ…了解しました。こちらになります」


 店員がゆっくりと目を逸らし男に背を向け歩き出す。


「…ああ…クソ……心臓に悪過ぎる……」


 その目には見覚えがあったのだ。人を人と目ていないあの仄暗い瞳。「あの男」の関係者は誰もかれもが人外の化け物ばかり。男の恐怖心は「あの男」と会うたびに更新されていた。


「…ヤニでも吸わねえと正気じゃいられねえよ……」

 

 男が恐怖心を払拭するためにタバコを吸おうと懐に手を入れる。


「お客様、早死にしたいんですか?」


「うっ…!?」

 

 だがそこまで。そこで男の動きはピタリと止まる。


「当店は全席禁煙です」


 喉元にピタリと大振りのナイフが突き立てられる。食事用の品があるナイフではない。大振りのダガーナイフ。それを店員が男の喉元へと添えていた。


「わ…悪かった!近所の喫茶店は喫煙OKだったんだよ!ここでは絶対に吸わないと誓う!マジでな!!」


「そうですか」


 スッ…と店員の手からダガーナイフが手品のように消える。


「くれぐれもご主…いえ、マスターには失礼の無いようにしてください」


「ああ…気をつけるよ…いや、ほんとにな……」


 男は自分の首がまだ繋がっていることを何度も何度も確認する。死の恐怖はそう簡単に払拭できるものではない。この場所は男からすれば地獄のワンダーランドだ。こうなると目に見える一般客と思わしき食事中の人物達も全員敵に見えてしまう。警戒しつつも店員に先導され店内最奥に設置されたカウンター席へと男は歩を進めた。

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