第25話 豊歌、嗤う

 後方から徳川の精鋭、井伊隊が現れた。長寿院の奮闘で一度は距離を稼いだのに、どんどん追い上げてくる。すさまじい追撃だ。

(これは、まともには振り切れませんね)

 そこまで判断した豊歌は、自分の下についていた副将を呼んだ。

「伊勢殿」

「はっ」

「叔母様を頼みます」

「……っ! 次は私が……」

 なにも豊歌が残ることはないと申し出た家老に、豊歌は横に首を振ってみせた。

「いえ、ここは私が」

「しかし……」

「ヤツらを中途半端に返り討ちにしても、小出しに受けた損害で逆に引っ込みがつかなくなってどこまでも追って来るでしょう。ですので」

 そこで一旦言葉を切った豊歌は、にっこり笑って先を続けた。


「時間を稼ぐのではなく、この辺りで徹底的に叩いて諦めさせます」


(かなりえげつない事になるんだろうなー……)

 上官をよく知る伊勢は彼女の決意が固いのを見て取って、いさめるのをあきらめた。


   ◆


 すでに追手の姿は見えている。時間はない。

「叔母様」

「オバサン言うなというとるのじゃ……どうした、お豊」

 オコサマなりに、豊歌の顔色に何かを察したのだろう。途中から訝しげになった弘歌に、豊歌はさりげなく用件を伝えた。

「井伊の赤備えが迫っております。ここは私が食い止めますので、先へ」

「それは……!」

 今この状態でのこの言葉は、幼い弘歌にも意味は分かる。

「そ、それなら皆で迎え撃つのじゃ!」

「それはダメです」

「なんでなのじゃ!?」

 ここで離脱を認めれば、新納、長寿院に続いて豊歌とまで今生こんじょうの別れとなる。それが分かる弘歌が止めようとするのを、豊歌はダメだと言い切った。

「叔母様は島津勢の総大将なのです。最優先すべきは叔母様が薩摩に帰還すること。そうしなければ国元薩摩はこの戦いの経過が分からず、問い詰めてくる徳川へ申し開きもできなくなります」

「お豊……」

「負けたなら負けたなりに、総大将にはやるべきこと、やらねばならぬことがあるのですよ。ここで足を止めてはなりません」

 そう言い放つ年上の姪を、弘歌は泣きべそをかきながら見た。

「石田が勝手に負けただけで、ワシは負けとらんのじゃ」

「それでこそ叔母様です」


 弘歌を黙らせると、豊歌は周りを走る護衛を見た。

「中馬! 木脇!」

「ここに!」

「ははっ!」

「おまえたちは特に体格が良い。ここで輿こしを捨てます。この先はおまえたちが叔母様を担いで逃げなさい!」

「なんと!?」

 今までは軍馬に乗れない弘歌を荷物のついでに輿に乗せて担いでいたが、輿は多人数で担ぐので自然と動きは遅くなる。この先で山道に逃げ込むならば、どうせ邪魔になる輿は使えなくなる。

「いいですね? 頼みましたよ」

「ははっ、命に代えましても!」

 常人より一回りデカいことで有名な二人は、大任を命じられて力強く請け負い……そして喧嘩を始めた。

「殿様をおいどんが担いで走るだなんて……なんたるご褒美!」

「中馬、大役を命ぜられたのはおはんだけじゃないからな!? 交代じゃ! 百数えたら交代じゃ! 絶対じゃぞ!」

「嫌じゃ! おいどんがずっと薩摩までお世話するったい!」

「おはん、抜け駆けばする気か!? “維新様金打同盟ロリコンクラブ”の血の盟約を破る気なら、今すぐにここで息の根止めちゃる!」

「望むところたい! きさんを下して、おいどんは殿様をお姫様抱っこで帰るっちゃ!」

「……今がどういう状況か分からないようなら、おまえたち二人とも叩き殺して他の者に替えますが!?」

「……もっさけありまっせん」

 今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうだった大男二人は、豊歌に底冷えする声で警告を受けて小さな声で謝った。


   ◆


「お豊、無理はしないで危なくなったら逃げるのじゃぞ!?」

 今にも天に昇りそうなだらしない顔で主君を担ぐ中馬の背で、弘歌が心配そうに何度も振り返った。それを豊歌が笑顔で早く行けと催促をする。

「大丈夫ですよ。どうせこの荷物が重くて邪魔になっていたところだったので、使いどころを考えていたのです。片付け終わったら、我らもおとりとなって逃げ散るつもりです」

「そうか……本当に、本当じゃぞ? ……ところで」

 豊歌がポンポン叩く荷物を見て、弘歌が首を傾げる。

「そういえばソレ、何だったのじゃ? 関ケ原で一度も出さなかったのじゃ」

 移動の時は輿の上で一緒に乗っていたけど、結局荷ほどきをする様子は一度も無かった。兵糧でも陣幕の機材でもない。なのにここまで捨てずに運んで来ているという、不思議な荷物だ。

 大将の疑問に、豊歌が意味ありげな笑みを見せた。

辛子蓮根からしれんこんです。大坂屋敷にあったので、いざという時の為に持って来ました」

!?」

 弘歌はさっきまで自分が尻を乗せていた荷物を、思わずまじまじと眺めた。

「なんでそんな物が大坂にあるのじゃ」

「母様が、いざという時に備えて隠してました」

「姉ちゃん……!」

 中央に興味がないとか言っておきながら、ここ一番という時に備えてとんでもない物を送り込んでおく。弘歌はいつでも冷静……に見せているだけの長姉のぶっ飛び具合に背筋の震えが止まらない。

「さすがに秘密兵器なので、そのまま投棄はできません。十分に使って爆破処理したら、私たちも逃げますのでご安心ください」

「なんか、知らずに追いかけてくる井伊君がかわいそうになったのじゃ……」


   ◆


 まだ何度も何度も振り返る弘歌の姿が、本隊と一緒に木立の向こうに消える。

 それを見送る暇もなく、豊歌たち足止め隊は待ち伏せの準備を整えて徳川勢を待ち受けた。

「こちらの動きは既に向こうから見えています。配置はバレていると思いなさい」

「はっ!」

 伏兵の指示を出し終えた豊歌は、街道脇の茂みに隠れた配下に目をやった。軍装を赤で揃えた軍勢は、もう目前に迫りつつある。

「組み立ては?」

「終わりました。使えるかは……使ってみないと分かりません」

「それはそうですね」

 豊歌が頷いたところで、今度は家臣がちらりと姫武将を見上げた。

「ところで、豊姫様」

「何か?」

「もう、よろしいのでは?」

「……そうだな」

 豊歌はいつもの丁寧な言葉遣いから、母譲りの荒い喋り方に直した。

「叔母様の教育に悪いと、できるだけ口の利き方に気を付けていたが……やはり堅苦しくていけないな」

「付け焼刃感がひどかったです」

「殺すぞ」

 素直な意見に軽口で返したが、今血祭りにあげるべきは他にいる。

 既にこちらへ向けて発砲を始めた井伊勢を前に、涼しい顔の豊歌は軽く微笑みながらうそぶいた。

「さて。我が薩摩の辛子蓮根は本場熊本の物より、辛いのでな……初めて食らう兵部殿、お口に合えば良いのだが」

 



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物語の豆知識:

 辛子蓮根も江戸初期の登場ですので、本当はこの時代熊本にもありません。

 思ったより場面が進まなかった……。

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