第15話 覚悟

 敵を圧倒する兵力。


 こちらで選んだ地形。


 準備万端待ち受けるという状況。


 有利な条件を積み重ね、石田治部はじめ反徳川派を主導する面々は必勝を確信しているだろう。


「そこが、穴なんですよね」

 敵の揃えた有利な条件など、初めに見えてさえいればひっくり返せる。

「実戦経験の少ない石田殿の限界ですかね。戦いは算術ではない」

 もちろん気合で何とかなるものでもないが、不利な方が正面衝突に付き合う義理はない。


 長寿院が忍び笑いで肩を震わせる。

「私が内府徳川なら治部石田殿が盤面関ケ原に集中している間に、将棋盤大局から小突いてみますね」


 豊歌も諦観をにじませた爽やかさでほほ笑んだ。

「多数で囲んで袋叩きにするなら、直前までどこに誘い込むかを見せないようにすべきでしたね。場所を決めて待っていては、背中に回って下さいと言わんばかりです」


 言っては何だが、島津も不利な状況からの逆転劇に

 敵の方が数が多いなんて当たり前。そこを奇襲や一点突破、逃げると見せかけての意表を突いた反撃で撃ち破る。そう言ったノウハウを武将が駆使し、精強な兵が気迫で体当たりをかまして勝つのが島津の戦いだ。


「治部殿の知っている戦は前の関東征伐や西海動乱のような、豊国大公晩年の圧倒的な物量で圧し潰す“横綱相撲”だけなのでしょうね」

「一方の内府は弾正公や豊国大公若かりし頃の、逆境に立ち向かう時代を生き残ってきている。それこそ身一つで逃げ落ちるような負け戦を何度もして」

 泥にまみれて惨めな失敗を何度もして来た人間が今、諸侯で最も広い肥沃ひよくな領土と苦楽を共にした最強最大の家臣団を率いている。政権黄金期の恵まれた環境しか知らない人間が、そんな巨人と知恵で対抗できると思うのはおこがましい。


「加えて、官僚派の判断の遅さと指揮系統の無さは致命的ですね。全てが遅い」

「関ヶ原で迎え撃つと決めてからの、蝸牛の歩みかたつむりのごとき手配りときたら……待っているあいだに、一度薩摩に帰って来ようかと思いました」

 長寿院と豊歌は寝ている兵を起こさぬように、声を殺しながら笑い転げた。

「いやいや。そう考えると、この戦はまあ……結果はお察しというわけで」

「それに付き合う私たちも他人から見れば、どうかしているんでしょうが……ま、乗り掛かった舟です。めいっぱい暴れてみせましょう」

「ですね。だが、しかし……」

 長寿院が後ろを振り返った。

「……時間が残っていないのが、惜しいですね」


 地べたに雑魚寝する薩摩兵のむこうに、家紋入りの陣幕で囲った一角がある。今頃長寿院のあるじが、華々しい戦いを夢見て寝息を立てているだろう。

 だが。まもなく訪れる現実は、期待どおりの展開には成りそうもない。


「この負け戦は良い肥やしになる。後学に役立てられれば、ですが」

「全くです」

 長寿院のつぶやきに、豊歌も頷いた。

「あれほど畏怖されている母様当主の意向に背いてまで、これだけの兵が自主的に付いて来ました。叔母様は将の器ですカリスマがある

「私もそう思います。なればこそ、弘姫様には何としても生きてもらわねば……」

「はい」


 負け戦と分かっているなら弘歌を止めておけ、そう思うようでは武人サツマ人ではない。

 勝利を失い、家臣を失い、惨めな敗走をしなければ学べないこともある。


 あれもダメ、これもダメとやらないうちから否定するのも、甘やかして全部お膳立てしてやるのも良い子育てではない。

 転んでも自分で起き上がり、まっすぐ歩ける子にしたければ……身近な大人にできるのは、己の生きざまを背中で語ること。子は親の背中を見て育つのだ。


「囲まれたら私が道をこじ開けます」

「そこは私が。豊歌様はついていてやって下さい。この後の成長を見守っていただかねば……」

「ああいうふうに育ててしまったのは私ですからね。責任を取らねば……はは、叔母に対して言う言葉じゃないですね」

「ならば、新納殿と山田殿に後事を託しますか」

「ですね」


 残暑厳しい時期とはいえ、夜明け前の今は柔らかく涼しい風が吹く。

 心地良さに一瞬目を細めた二人の武将は同時に手を動かして、鯉口を切って刀を軽く抜いて金打をする誓いあう。そして黙ったまま、微笑み合った。

 

   ◆


 すでに眼前に展開している徳川派連合軍の諸将の後ろに、ついに徳川内府率いる本隊が威容を現した。

 本気の徳川軍を見るのは弘歌は初めてだ。

「おお……桃配山が内府の旗指物で埋め尽くされておるのじゃ」

「よくある偽兵戦術ですねえ」

「あの“旗だけ飾って本当はそんなに兵がいない”ってヤツなのじゃ? 新納、内府の本隊は実際はどれくらいおるのじゃ?」

「もらった情報によりますと……三万ほどかと」

「さんまん……」


 大名は家臣をどこにでも全員連れて歩けるわけではない。

 国元だったら全て動員できるけど、こちらから攻めていくなら留守番が必要になる。補給の問題があるので、遠征先が遠ければ遠いほど兵力も小さくなる。


「内府め、関東からはるばる来とるのにそんなに動員できるのじゃ!?」

「さすが二百五十万石ですねえ」 

「あの旗の下、全部兵隊が詰まっておるのではないのか?」

「たぶんいますねえ」

「全然偽兵戦術でもなんでもないのじゃ……さんまん……わが島津家だと、日向辺りならそれぐらい出せるかのう……」

「日帰りできるようなお隣ですね」

「やかましいのじゃ」

  

 最後の軍議に向かいながら、弘歌は首をひねった。

「でも石田は、徳川方の人数が思ったより少ないから正面決戦じゃ! と言うとるじゃろ?」

「ええ。それが?」

 隣を歩く豊歌に、弘歌はどうにも納得できない疑問を訴えた。

「向こうには内府の他に、福島とか池田とか浅野とか、豊国政権でもイケイケの夜露死苦ヨロシクなヤツらが五千六千の兵力で参加しとるのじゃ。タヌキ徳川とヤバいヤツらばっかりあんなにおるのに、なんで大丈夫だと思ったのじゃろ?」

「徳川の大名が来てないからでしょうか」

「む? たくさん来とるじゃろ? 有楽織田織部古田みたいなザコまで」

「いえ、徳川についた大名ではなく」

「?」

「徳川家中の、譜代大名が全然いないのです。中山道で何かあったようで」

「あそこにたくさんおる徳川兵はなんなのじゃ」

「あれは」

 豊歌がはるか遠くに見える内府の陣を見た。

旗本親衛隊だけです」

「旗本だけ……」


 護衛だけで、三万……。


「徳川は家臣が多すぎないかの!?」

「それでさらに精強無比をうたわれるのですから、武官派の大名たちがあちらの肩を持つわけです」

「石田はなんで、大坂を押さえただけでそんなの徳川と張り合えると思ったのじゃ」

「そこについちゃったのが叔母様ですよ」




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物語の豆知識:

 「金打(きんちょう)」

 武士が命がけの約束をする時の誓いの儀式です。刀を数センチ程度抜いて、勢いよく鞘に戻して音を立てるのを相手と同時に行います。なんでそんな作法ができたんだか……。

 クレヨンしんちゃんがオマタのおじさんとやったことで有名になりました。

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