第03話 とりあえず行っとこう

 中央政界の動向に興味がない島津家とはいえ、時の政権に臣従している以上は繋がりはある。大坂に詰めている家臣もいる。

「だからまあ、とりあえず畿内まで行ってしまえば何とかなるのじゃ」

「なりますかね……?」

 簡単に考えている弘歌ひろかのたわごとに、家老の新納にいろ旅庵りょあんが懐疑的に尋ねた。長寿院ちょうじゅいんはいま用事で席をはずしているので、新納が弘歌の世話をさせられている。

「準備もなしに数千の兵を連れて上洛なんて……軍を駐屯させる場所も必要なんですよ?」

「大阪屋敷か、堺の御用商人の店に転がり込めば寝るところはあるじゃろ。うちはお得意様だから歓迎されるのじゃ。うむ、そっちの方が御馳走が……」

「大阪屋敷にしましょう!」

 御用商人にしてみれば島津五十六万石は確かにお得意様だ。たけど軍勢引き連れていきなり泊めろと押しかけるのは、迷惑を通り越して営業妨害が過ぎる。


「それにしてもじゃ」

 準備を任せた家老がお使いに行ったまま帰ってこない。

盛淳長寿院は遅いのじゃ。どこまで行っておる」

「薩摩からはるばる大坂まで遠征するのですよ。兵が使う兵糧から草鞋わらじまで、用意せねばならない物はいくらでもあります」

「むう。わが島津は当主が一声かければ、すぐに兵が戦場へ駆けつける準備の良さがウリじゃったのではなかったのか」

「敵が薩摩に攻めてくれば、そりゃ一気に動員もできますが……都まで行くだけで何日かかると思っているのですか。数千人の旅支度は大変ですよ」

「めんどうじゃのう」

「そう思うのでしたら、わざわざ薩摩から遠征など……」

 やめませんか、と言いかけた新納の言葉は、息せき切って駆けて来た部下の叫びで掻き消された。

殿様とのさま!」

「どうしたのじゃ」

 ただ事でない様子に、弘歌と新納は顔を見合わせた。

「まさか“どっちでもいいから勝ち馬に乗ろう”という、ワシの鬼謀が上方かみがたの連中にバレたか?」

「上方にはバレておらぬと思われますが、ご当主様長姉義歌にバレました」


 …………。


「もっとヤバいではないか⁉」

「そうです!」

 何事にも動じない豪胆な幼女である弘歌も、容赦のない義歌の折檻せっかんだけは苦手なのだ。アレは心を折りに来る。

「旅庵!」

「はっ」

「兵は今どれだけ集まったのじゃ!?」

「募集をかけたばかりなので、志願兵はまだ全然集まっていないです。元々手元にいる兵だけで、ざっと二百人くらいしか……」

「よしっ、すぐに大坂へ出発するのじゃ!」

「はっ!? たった二百ですよ⁉」

「島津の兵は一騎当千の強者揃い! その計算で行けば二百もいれば、軟弱な中央の兵二十万に匹敵するのじゃ! 十分なのじゃ!」

「そんな無茶なっ⁉」

 十分も何も、二百では独立した軍とも呼べない……。

「お、お待ちください! 長寿院殿も戻っていませんし、そもそも船もまだ用意してませんよ⁉」

「船なら錦江湾にいつでも準備できておるのじゃ」

「あれはご当主様正規軍の軍船ですよ!?」

「なに、ちょろっと使ってこそっと戻しておけばバレまいて」

「バレるに決まっているじゃないですか⁉」

「既に上方行きは姉ちゃんにバレてるのじゃ! 今さら船をちょろまかしたって変わらぬのじゃ!」

「そんなあ……」


   ◆


 上方派兵の準備の為、港であれこれ指図をしていた長寿院の耳に……なんだかおかしな雄叫びが聞こえてきた。

「ん? 何事だ?」

 周りの人足にんそくや下役たちも、作業の手を止めて聞こえてくる方向に目を向ける。何事かと思って見ていると……。

「急ぐのじゃーっ!」

「うぉおおおおっ!」

 なぜか鎧姿で槍を担いだ男たちが、チビッ子を先頭に集団で走って来る。

「え……て、弘姫ひろひめ様!?」

 誰あろう、先頭を走っているのは長寿院のあるじであった。

「え? は?」

 港にいる人々が状況をサッパリ呑み込めない中、突っ走ってきた一団はそのまま停泊中の軍船に無理やりドドッと乗り込むと。

「な、何だおまえら!?」

「おまえ、ちょっと邪魔なのじゃ」

「わぁあああっ⁉」

 警備兵を海に突き落とす。

「よおし、この船は我らが乗っ取ったのじゃ! 今すぐ上方めがけて出港じゃ!」

 そして勢いに飲まれた水夫たちが慌てて船を出し、シージャックされた水軍の船はするすると沖へ……。


「えっ⁉ ちょっと!? 弘姫様ーっ⁉ 何がどうなってるんですかっ⁉」

 長寿院が岸壁から思い切り叫ぶと聞こえたらしく、船上で出航にはしゃぐ弘歌が振り返った。

「おお、遅いぞ盛淳もりあつ! 姉ちゃんにバレたからワシは先に行っておるのじゃ! おまえは遅れたヤツらを拾って後から来いなのじゃ!」

「遅いっていうか、弘姫様がせっかちすぎるんじゃ……」

 呆然と見送る家老を残したまま。

 姉の妨害を恐れる弘歌一行は、遥か彼方の大坂めがけて旅立って行った。

 

   ◆


 家にも寄らずに畑から突っ走ってきた中馬ちゅうまん大蔵おおくらは、その勢いのまま島津弘歌の屋敷へ駈け込んだ。屋敷の中は慌ただしく人々が行きかっていたが、幸い顔見知りが中馬を見つけてくれた。

「中馬じゃないか。おまえも招集を聞いてきたか」

「おお! 殿様弘歌の一大事じゃと聞いて急いで来た。それで、殿様は?」

「いや、それがな……」

 うながされて周りを見回すと、活気にあふれているというより混乱しているように見える。

「急いでいるので、もう維新様の船は出てしまったというのだ」

「なんだと⁉」

 中馬はへなへなと崩れ落ちた。


 全部そのまま放り出して、急ぎに急いで身一つで駆けつけたのに……我らが維新公ひめさまの大事ないくさに、結局間に合わなかったとは……。


「……いや、まだたい!」

 中馬は毅然と顔を上げた。

 船はまだ出たばかり。大坂に着くまでには時間がかかる。

 憤然と立ち上がった中馬は、(戦友の)槍を振り回して叫んだ。

「船には乗り遅れたが、まだいくさば始まるまでには時間があるばい! 殿様の船が大坂に着くまでに、おいどんが走って追いつけばいい話でごわす!」

「いや、おま……走って追いつくって、どうやって?」

「そんなこつ、考えんでも分かるじゃろ」

 中馬はビシッと槍で彼方の空を指した。

「地続きなんじゃから、この道を走って行けばいつかは大坂に着くばい。船より早く走れば大坂で殿様をお出迎えできるたい」

「中馬、豊前ぶぜん長門ながとのあいだには海があるぞ……」

「殿の恩顧に応えるのは今でごわすぞ! 我こそはと思う者は、おいどんについてこい!」

「おおおっ!」

「おい、中馬!?」

 忠義一徹の男、中馬大蔵。

 彼の熱い魂に煽られ、周囲の男たちも気勢を上げた。

「おおおおおっ! 急げ、大坂へ!」

「おい、おまえら!?」


 大坂めざして男たちが走り去った後。

 残った者たちが呆然自失で見送っているところへ、後処理に走り回っている長寿院が顔を出した。

「あれ? 志願して来た者たち、もう少し人数がいなかったか?」

「はあ、それが……次の船を待てと伝える前に、待ちきれない連中がもう大坂めざして出発してしまいまして」




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物語の豆知識:

 中馬大蔵が農作業中に知らせを聞いて家にも寄らず、鹿児島から大阪まで走って追いかけたのは恐ろしいことに史実らしいです。

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