異世界転生した元社畜で人事部のオレ、冒険者ギルドも『ブラック求人あるある』だらけで困るんだが

邑楽 じゅん

異世界も『ブラック求人あるある』だらけだ

 ついにやって来たようだ。


 社会人になって何年目か。

 これまで数多くの異世界ものを読み漁り、いつ俺の番が来るかと毎日、死んだ魚の目で会社に行っていたが、ようやく俺の番になった。

 というか、本当に異世界転生できるとは思っていなかった。

 ざまぁみろ、俺の同僚、上司、社長。

 ここから俺の新しい人生が始まるんだ。



 といっても、いかにも『ぬののふく』と言った上下とも薄手の服しかない。

 足元は革のブーツ。蒸れそうだ。

 それらしい薄いマントは羽織っているが、武器や道具のたぐいは無い。

 腰にある小さな革袋には、銅貨がひぃ、ふぅ、みぃ……五十枚。


 つまり、この世界に来たら、自分で事を成し遂げないといけないということか。

 ようするにジョブを選んで食っていけ、というのはゲームと同じなんだな。

 そしたら、まずは冒険者ギルドに行こう。

 チュートリアルの基本は、ゲームでも漫画でも、まずは冒険者ギルドだもんな。



 二階建ての巨大な木造の建物が俺の目に入った。

 ここは冒険者ギルドも兼ねた職業斡旋所のようだ。

 西部劇のような薄暗い酒場と宿屋が併設され、いかついプロの冒険者といった風情の連中が酒を飲んだりしている。

 装備品も無くて、身体も貧弱で、ちょっと場違いな俺。

 思わず委縮してしまうが、酒場の横にあるギルドのカウンターに向かった。

 エプロン姿の可愛い女の子が立っている。

 髪の色も瞳の色も、日本や地球のそれとは違う。

 ほんとうにここは異世界なんだな。



「こんにちは。あたしはナーシャ。あたらしい冒険者の方ですか?」

 仕草や制服だけじゃなくて、声まで可愛いなんて、最高じゃないか。

 いかん。見とれている場合ではない。

 俺は素人だからナメられまいと、咳ばらいをひとつした。

「冒険者ギルドの他に職業斡旋もしてくれると聞いたんだが?」

「そうですね。剣や弓、魔法を使えたり、盗賊や薬師といった特殊スキルのある方には冒険をオススメしてますけど、お仕事の方がいいですか?」

「あぁ、そうだね。俺はまだこの街に来たばっかりなんでね。申し訳ない」

 俺がそう言うと、ナーシャはぶ厚いファイルを取り出した。

 そこにはバインダーのように、いろんな求人があるようだ。


「ちなみに、ここの通貨と貨幣価値を教えてくれないか?」

「あぁ、このアスタリシア公国はこの大陸で最も大きく、全国から腕に覚えのある冒険者が集まりますからね。でも通貨は一緒ですよ。リレンです」

「リレン……それでパンを買うとしたらいくらだ? 宿に泊まるには?」

「普通のパンなら1リレンですね。宿はもちろんピンキリだけど、ここの二階の宿なら素泊まりで30リレンからですよ」


 ほう。コンビニなら菓子パンで百円くらいだ。

 おおむね1リレンで百円と考えておこう。

 それを基準に職業やクエストの価値を見出してやろうじゃないか。

「まずは簡単なクエストか、お給料の出る職業訓練を経験されてみてはどうですか? それで冒険者の適性があるかどうか調べてみることも出来るし、職場体験のようなものも用意してありますよ?」

「おぉ、それはいいじゃないか。それを経験してみて俺の適正を見るのもアリだな」

 すると、ナーシャはぱらぱらとファイルをめくりだす。


「安定志向の方には、お城のお仕事ですね。兵士は常に募集しています。それに魔法師団もありますし、医師や厨房、楽団、清掃といろんなジャンルがありますから」

「ほう、まるで自衛隊みたいだな。やっぱり公務員は強いもんな」

 ナーシャは指でなぞりながら、城の求人を読み上げていく。

「例えば兵士の求人ですけど……『国家を守る安定とやりがいのお仕事です。給与例:25歳隊長、月あたり3千リレン、28歳師団長、5千リレン、33歳近衛兵長、7千リレン……」

「ダメだ。やめやめ」

 言葉を遮って制止した俺に驚いたのか、ナーシャはまばたきを何度もする。

「お城のお仕事ですよ? どうしてですか?」

「その給与例が気に入らない。努力と頑張り次第で出世と高給をほのめかす、ということは離職率が高いブラックだという事だ。金に目がくらんだ奴が入社しても務まるわけがない。結果として生き残れたタフな奴が出世したというだけの話だよ」

「ぜいたくですねぇ……あっ、じゃあこれは?」


 次にナーシャは別の求人を指差した。

「ドワーフの工房で経理のお仕事です。彼らは工芸や鋳物いものの腕は確かですが、事務的なものが苦手なので、他の種族を雇っているんですよ」

「おっ、事務職か。俺もそっち方面は得意だぞ」

「『親方もセンパイもあだ名で呼び合うアットホームな職場です』……」

「そりゃダメだ。パス」

 またしても俺が止めたことに腹を立てたのか、ナーシャは頬を膨らませる。

「冒険者さん、ぜいたくですよ! アットホームって書いてあるじゃないですか!」

「これもブラック職場に多いんだよ。社長や上司と気さくに呼び合うとか、雰囲気がいいだの、アットホームだの……つまるところ、それ以外に褒める所もない職場だということだ。これも離職率の高さや賃金の低さや世襲の親族経営による閉鎖的な社風を誤魔化す常套句ってところだよ」

「ほんとにもう。ならば、お給金がいいお仕事って……こんなのはどうですか?」


 ナーシャはさらに別の求人を指し示す。

「従来の魔法の原理に囚われず、大気に漂うマナや元素に潜むルーンを活用して世界に情報網を広げて、素早く通信できる注目の新ビジネスですって」

「ほう、ネットやITみたいなものか。確かにファンタジー世界には先進的だな」

「『基本的に社内公用語はユタ語とする。全国転勤可能な魔術師求む』」

「その公用語を外国語にしちゃう系とか、いかにも僕ちゃんたち先進的でしょ?って自己顕示欲やグローバル感に溺れてる様子だな。それでいて結局、社外的には日本語の文書でやり取りするんだから、ほとんど無駄なんだよ」

「んもう! ニホンがどこだか知りませんが、仕事する気あるんですかっ?」


 それからもナーシャは根気よく求人を紹介してくれる。

 だが、俺はそのどれも突っぱねた。

「基本のお給料に加えて、頑張り次第でさらに手当てが……」

「基本給を下げて手当で誤魔化すのは、ボーナスを安く抑える小賢しい手だな」

「じゃあ、安息日ともう一日、週休二日で……」

「変形労働制やシフトだと、けっきょく繁忙期は二日休みが担保されてないんだよ」

「定時で退社オーケー!」

「だとしたら定時で帰れるわけないんだよ。定時で帰すとは書いてないからな」

「休憩時間は魔法の水晶、見放題! 紅茶・ミルク、飲み放題!」

「それも、その程度の福利厚生しか売りがないってことだ」



 やや疲れた様子のナーシャが次の求人を見せた。

「じゃあ冒険者さんの得意なこの事務のお仕事は?」

「待遇は申し分ないが、敢えて女の子のイラストを添えているだろう? 男女雇用機会均等法のせいで求人に性別の区分はできないが、暗に『うちは女性社員が欲しい』って訴えているんだよ。社長秘書とか、庶務課、一般事務の募集に多いよな。男の俺が応募したって書類選考で『お祈り』だってのは容易にわかる」

 ナーシャは唖然と俺を見ている。

 だが、俺の込み上げる気持ちは言葉を止めることができなかった。

「ほかにも例えば、写真やイラストで若い子を大勢使っているところは、オッサンやオバサンは遠慮被るってことだよ。ただし逆に物流や警備といった肉体労働でキツい職種がやたら若い女の子の写真を使っているのは、実態はオッサンしか居なくて、それに釣られたカモの、体力のある若い男を取り込むためだ」



 熱く語り終えた俺は、居心地の悪さから咳払いをした。

 だが、話にドン引かれたと思っていたナーシャは瞳を輝かせる。

「すごいですねぇ、冒険者さん。じゃあ、あたしの仕事ってどんな募集だったと思います? 冒険者ギルドの受付で、一日じゅうずっとここで待っていなきゃだし、深夜にクエストを終える人も居るから当直もするし、お休みも不定期なんですよ」

「うーむ、そうだな……ギルドの受付か……」

 俺は腕を組んでしばらく考え込んだ。

「『あなたのやる気で街の平和が守られます』かな? じかに滅私奉公は書きづらいから、社会貢献を謳ってやりがい搾取をするのも常套手段だ」

「正解です。すごいですねぇ」

 ナーシャは手を叩くと、求人ファイルを音を立てて閉じた。


「もうあたしもこの仕事、辞めようかなって思ってたところなんです。恋人を故郷に残してきたんだけど、一緒に小さなお店を始めようって手紙が来て……あたし、結婚して故郷に帰ります」

「あぁ、そうした方がいい。寿退社は会社側も退職を止めにくい理由だからな」

 格好つけた俺だったが、内心ガッカリしていた。

 せっかく異世界に来たのに、チートスキルを発動したり、スローライフを目論むつもりが隠し切れないスキルで勇者になってしまったり、突然にたくさんの美女と仲良くなってムフフなんて展開は、所詮は空想の夢物語なのだな。

 夢を見るのは諦めて、俺も地に足をつけて頑張ろう。

「ねぇ、冒険者さん。あなたのお名前は?」

「俺は優史郎……『優柔不断』の優に、『自虐史観』の史、『下郎』の郎だ」

 ナーシャは右手を差し出す。

 俺もそれに応えて握手をした。

 これもいちおう『女性と肌を重ねた』という俺の異世界チート列伝のひとつに脚色しておこう。

「ありがとう、ユーシロー。それじゃあ、いつかまた会いましょうね」

 そう言うとナーシャは退職届と荷物を手に、ギルド本部へと向かった。




 そして、俺はナーシャの後任としてそのままギルドの受付という仕事に就いた。

 最初は看板娘が居なくなったことで、不平不満を言われたりもしたが、そのうちに評判は上がっていった。

 併設する酒場の雰囲気が良くなったからだ。

 その理由はこうだ。


 俺がカウンターに座っていると、いかつい男達がやってくる。

「この辺のモンスターどもも俺達にかかれば、雑魚同然だぜ。腕が鈍ってしょうがねぇや。おい、兄ちゃん。なんか歯ごたえがあってたんまり稼げるクエストはねぇのかよ?」

 多少はモンスター討伐で経験を積んだようだが、いかにもな脳筋連中だ。

 俺は求人ファイルから、とっておきのクエストを選んでやった。

「三つ奥の山の中にあるダンジョン攻略だ。いにしえの妖術師が残したモンスターを産み出す魔法陣の破壊だ。報酬は70万リレン。『周囲の住人に感謝される仕事。腕に覚えありなら、やりがいもあり』だぜ? どうする?」

「ようし、そのクエスト、俺達が終わらせてやるぜ!」



 後日。

 いかつい冒険者達の訃報ふほうを聞いたのは、夕方前のことだった。

 あいつらは、同じ建物にある酒場で酒に酔っては大騒ぎしたり、女性にちょっかいを出したり、新人冒険者にマウントを取ったりと、迷惑な連中だった。

 これでまた酒場も少しは静かになるってもんだ。


 殉難者じゅんなんしゃが増えると、それに伴ってクエストの難易度と報酬が増える。

 すると、他国からも自信家の冒険者がわんさかやってくる。

 紹介をする俺に入るマージンも増える。

 葬儀を執り行い、墓地を併設する教会も儲かる。

 墓石屋も石工も棺桶屋も儲かる。

 冒険者が寄る武器屋や道具屋、食堂に宿も潤った。

 商店会を中心に、アスタリシア公国は大いに繁栄した。



 そんなある日、気の弱い冒険者が俺の所に来た。

 最近、この街に流れてきたという新人だ。

 そいつは溜息交じりに喋り出す。

「あのう、ユーシローさん……自分がどんなスキルがあって、どのクエストが向いているのか、まったく自信が無くなってしまって……僕、どうしたらいいですかね?」

 こういう奴は嫌いじゃない。

 日本に居た頃の俺を思い出す。

「そうだな……相手がどう考えて募集をしているのか、どんな奴を欲しているのかを注意深く考えるんだ。それでお前が気に入らないならお前が近寄らないようにすればいいし、自分のスキルが足りないと思えばクエストのランクを下げればいいだけだ。それだけでミスマッチを減らせると思うぞ?」

「ミスマッチ?」

「言い換えれば、ブラックな求人ってことだよ。そいつらはある意味、野を歩くモンスターと同じだ。どこにでも居る。気をつけることだな」

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