変容 残り4日

白咲菫から強い香水の匂いはしなかった、と昨夜

図書室で彼女と会話をしたという息吹から聞いた。

僕は、昨日彼女から

頭がぼやけるほど強い匂いを感じたのだが、

彼からしてみれば、

普通に柔軟剤っぽい匂い、だったそうだ。

この話を聞いていた四葉は面白がりながら言った。

「フェロモンみたいなものなんじゃない?

朔真が衝動的に菫ちゃんの体を求めたのも、

その匂いのせいなのかもしれないよ」

理屈ではなく、感覚的に納得し

「明日は気を付ける」と言うと、

息吹は真面目そうに聞いてきた。

「仮に、お前がその強い匂いだけに従って

行動したとしたらさ、

最後にはどこに行き着くと思う?

性欲から来てる感情だろうし、

やっぱりセックスなのか?」

白咲の姿と匂いを想像し、答えた。

「いや、本質的にはそうなんだろうけど、

どこか違う気がする」

四葉は興味ありげにこちらを見た。

「じゃあ、朔真は菫ちゃんとしたくはないんだ?」

「そういう訳でもない。

ただ、白咲とするのは通過点みたいなもので、

本当に欲しているものはその先にある、みたいな」

「本当に欲しているものって、何だよ?」

「それは、自分でもよく分からない。

白咲の、体よりも、ずっと奥にある何かが欲しい。

でも、その正体は分からないんだ」

「ふうん、変なの。でも面白いね」

四葉は愉快そうに言っていた。

「ほらな?可愛いだろ?俺の彼女」

耳障りな大声で言うのが聞こえ、

意識を昨夜のお喋りから現実に戻した。

リュックの中からカメラを

取り出し制服のポケットの中に入れ、

時計を確認する。

白咲が昨日登校してきた時刻までもうすぐだった。

「朔真、何ぼーっとしてるの」

頭に軽い衝撃が走り前を見ると、

四葉と白咲が立っていた。

「朔真君、おはよう」

「お、おはよう」

彼女の儚げな声を聞いた瞬間に、

目眩がするほど強く甘い匂いが

僕の嗅覚を支配した。

心臓が拍動を早め、体が一気に熱を持った。

何によってこんな現象が起きているのか

不思議に思っていると、

四葉は僕の手首を掴み耳元で囁いてきた。

「いいじゃん。素直だし純粋そうだし可愛いし!」

悪戯な笑みを浮かべながら

急ぎ足で彼女は自分の席に向かっていった。

「四葉ちゃん、何て言ってたの」

白咲は僕の隣の席に座りながら聞いてきた。

僕は淡白に答える。

「何にも?」

彼女は目を細め、言った。

「言わないと、私、

朔真君がカメラ持ってきてること、

先生に言っちゃうかも」

僕は観念し口を開く。

「白咲のこと、素直で純粋で可愛いってさ」

顔色一つ変えず、白咲は笑った。

「昔から女の子受けはいいんだよ、私」

「へえ、やっぱり男女では違うものなんだ。

じゃあ、男受けの方はどうなの?」

興味本位に聞くと、

彼女は驚いたような顔をして、

少し考えた後に聞いてきた。

「朔真君には、どう、見えるかな。私のこと」

言った直後に彼女の顔はかっと赤くなった。

そうだな、と口にし

白咲の姿を頭から足先まで確認していると、

彼女は慌てて質問を撤回した。

「いや、やっぱりいい。

思ってたより恥ずかしいや。

あ、男受けは、実はよく分かんない。

これまであんまり男の子と話したことないから」

「多分、悪くは無いと思うけど」

「そう、かな」

そう言って俯く白咲の横顔は可愛らしかった。

彼女のことを意識していると、

変わらず香り続ける

香水のような甘い匂いが気になった。

「そういえばさ、白咲は香水とか付けてる?」

彼女は意外そうな顔をして首を横に振った。

「付けてないけど、どうしたの。

もしかして、私変な匂いとか、してる?」

「いや、そうじゃなくて。

息吹とか四葉に聞いて分かったことなんだけど、

白咲からは僕にしか分からない

強くて甘い香水みたいな匂いがするんだよ」

そう言うと、

白咲に「朔真君って、変態みたいだよね」

と苦笑いをされた。

彼女は続ける。

「でも、私もね、ちょっとだけ変態だから。

朔真君の気持ち、分かるかも。

こう、

魅惑的で引き寄せられるような匂いだよね。

するよ、朔真君からも。

多分、朔真君が私に感じているみたいに、

私も朔真君に感じてるような、気がする」

「なるほど。

人間といえども、所詮僕達は動物だもんな。

雄は雌に惹かれるし、雌は雄に惹かれるらしい」

「もうちょっと、

ロマンチックな言い方してもいいと思う」

白咲が上目遣いで僕のことを見てきた時、

一層甘い匂いが強くなって頭が蕩けた。

次の瞬間、

覚えのある、何かが切れるような感覚がして、

息を潜めていた黒いものが僕に衝動を与えた。

抑えようとしても、見えているはずの

視覚からの情報が分からなくなり、

左手から伝わってくる熱い体温と柔らかい感触、

驚く彼女の小さく儚げな声が僕を正気に戻した。

僕は、椅子に座っている彼女の右手に

自分の左手を絡ませていた。

「ごめん、抑えられなくて」

反射的に言って手を離そうとすると

逆に彼女が僕の手を握ってきた。

桃色の甘い匂いが思考を鈍らせ、錯乱させる。

僕を、彼女の声が襲った。

「朔真君ってさ、すごく積極的、だね」

頬を赤らめる白咲の表情が

心の中の黒いものを刺激して、

そこから今までにない、

高い不安感と幸福感、独占欲などの感情が

爆発的に発生した。

その中には、ただの性欲が原材料になっているとは

思えないような綺麗な感情もあれば、

彼女との肉体関係を

強く望む淫らなものも存在した。

まるで僕の中に、

新しい人格が弾けて生まれてしまったようだった。

これまで不可解なものだと思っていた

人間のする恋というものの正体を、

僕は初めて理解出来たような気がした。

もう一人の僕が、勝手に彼女の名前を呼んだ。

「白咲」

手は絡み合ったまま、彼女は言った。

「私の事は、名前で呼んでほしい」

「菫」

「うん」

頭ではよく理解しないまま、言っていた。

「僕と付き合ってほしい」

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