冷たい世界で歪んで絡む

九頭坂本

降臨 残り6日

 世界は神によって

定められた運命に縛られている。

宇宙、自然、生命、この世界にある全てのものは

その運命を果たすために存在している。

それを理解出来ないまま、

定められた運命さえ知らずに

生物は生まれ死んでいく。

神が描くシナリオ。

それが世界の真理であった。

そして神は、また一つの生命に運命を与えた。

そうして弟切咲凛花は、死ぬために生まれたのだ。


降臨 残り6日


 4人組の覆面を被りスーツを着た男達が

銀行に押し入った。

そのうちの1人は拳銃をもっており、

中にいた客は全員抵抗せず平伏した。

4人のうち2人は監視カメラを破壊し始め、

1人は銀行員達を取り押さえ、

最後の1人は客に向かって

ご機嫌にスピーチを始めた。

「初めまして。私たちは銀行強盗です。

お騒がせして申し訳ありません。

私たちは3分でここから立ち退きます。

それまで、私からお話をさせていただきましょう。

そうですね、では今回は人間の記憶について」

「咲凛花ー!ご飯だよー!」

下の階から聞こえてきたお母さんの声によって、

私は本の中の世界から現実へ引き戻された。

本に栞を挟み、

渋々本を閉じると外はすっかり暗くなっていた。

ずいぶんと長い間読み耽ってしまったらしい。

私は本が好きだ。

文章を読んでいると、

まるで別の世界に自分が存在していて、

その世界で繰り広げられる物語を間近で

覗いているような感覚になる。

本を机の上に置きっぱなしにして椅子から

立ち上がると、立ちくらみに襲われた。

世界がぐにゃりと曲がって輪郭を失っていく。

目を瞑り、しばらくしてから目を開けると

元通りの世界が目の前に広がっていた。

安心感と同時にどうしようもない絶望感があった。

階段を降りていると

美味しそうな揚げ物の匂いが漂ってきた。

リビングには家族全員が集まっていた。

弟切夏夜、弟切朝顔、弟切咲凛花。

それぞれお父さん、お母さん、私の名前だ。

家族仲はすごく良い。

少なくとも、

私は2人が喧嘩しているのを見たことがない。

お父さんは見た目は怖いけど中身は優しくて、

お母さんは美人で料理が出来て、面倒見が良い。

私はそんな2人のことが大好きだ。

夕飯の並んだテーブルを3人で囲み、

「いただきます」と言った。

温かい家族団欒の時間が、

私の何よりの心の支えだった。

お風呂の後、お母さんは言った。

「お風呂、先入っちゃってね」

「うん」

お父さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「久しぶりに一緒に入るか」

「うるさい」

お父さんは大声で笑っていた。

それから私は風呂場で服を脱ぎ、

鏡に映る自分の姿を見た。

いかにも発展途中らしい身体つきの

私の身体が映って見えた。

私は中学2年生の女の子にしては背が高い方だ。

我ながら、細くて綺麗な肉体をしている。

肌も白くて透明感がある。

肩のあたりで切り揃えてある髪は

クセの全くないストレートな髪質をしている。

だが、顔については鋭い目のせいなのか

男の子っぽく見えてしまっていて、

ほとんど膨らんでいない胸も、

私は好きではなかった。

それでも私は自分の容姿には自信があった。

総合的に見れば、私って

めちゃくちゃ可愛いんじゃないかと思っている。

でも、それによって引き起こされる

出来事なんてものは良いことばかりでは無くて、

この容姿が私を苦しめているのも事実だった。

身体を洗い、湯船の中のお湯に浸かった。

身体が温まり気分が良くなった私は、

最近聴いているお気に入りの曲の

フレーズを口ずさんでみた。

風呂場に私の低い声が、響き渡った。

背の高さといい、身体つきといい、声といい、

女の子らしさがなくて

男の子っぽいのがコンプレックスだった。

本当は可愛くて女の子らしいものが好きなのだが、

そのせいでいつもボーイッシュな

格好ばかりしている。

風呂からあがり、髪を乾かした。

そして冷蔵庫で冷やしてあった牛乳を

一息で一気飲みした。

「牛乳を飲むとおっぱいが大きくなるよ」

とお母さんが言っていたから

風呂から上がる度に牛乳を飲んでいるのだが、

今のところ効果は見られないし、

お母さんの胸を見る限り

この話にあまり信憑性は感じられなかった。

それでも、私は藁に縋る思いで

この儀式を繰り返していた。

それから自分の部屋に戻り、ベットに寝転んだ。

身体を優しく包み込む柔らかい布団の感触が

私を眠りへと誘う。

眠ったら、明日が来る。

それに気付いた瞬間に、

胸の中でドス黒く、

ドロドロとした何かが激しく蠢きだした。

明日を迎えたくない。

蠢く何かはそう叫んでいる。

私は勢いよく跳ね起きた。

あたりを見渡すと、さっきまで電気がついていて

明るかった部屋は自然で暖かな光で満ちていた。

部屋にさす朝日が、私を暗い気持ちにさせた。

カレンダーを何度確認しても

今日は日曜日ではなく月曜日だった。

私の一番得意な、

心を殺す練習を一度だけした。

言葉で心を殺すのだ。

何度も脳内で唱えた。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。


 そこは世界の狭間だった。

この場所には光も闇もなく、

ただ運命を持った存在がそこにあった。

世界で肉体を失った魂は彷徨い、

いづれこの場所に辿り着く。

その魂を裁くのが、この場所の運命だった。

ある時、神によって3つの存在が集められた。

淡い光を放つ朧げな彼らに、

神はこのようなことを命じた。

それぞれ人間として世界に降臨、協力し、

6日後に死ぬ弟切咲凛花という人間について、

その魂は善か悪かを判断してくること。

命令を受けた彼らは、世界へ消えていった。

神は笑っていた。

神がこの命令を下したのは、

他でもない神自身の愉悦の為だった。

それどころが、

この世界の存在理由すらその為であった。

世界へ消えていった彼らはきっと迷う。

人間の正しさとは何か。

人間の悪とは何か。

弟切咲凛花は死ぬべきか。

神のみが知っている。

全ての人間は、

罪人であり善人であるということを。

善も悪も、存在しない

それが彼らに与えた命令の答えだった。

神は彼らの運命の行く先を

愉快そうに見つめていた。


 制服姿でリュックを背負い外へ出た。

照りつける太陽の光が世界を焼いている。

日焼け止めを塗ってきたので、

そんな日光にも私の肌が焼かれることは無い。

朝から蠢き続ける胸の中の黒い何かを鎮めつつ、

重い脚をなんとか学校へ向け歩き出した。

私の通っている中学校は歩いてすぐの場所にある。

それだけに遅刻はしずらいが、

常に何かに見張られているような

感覚がして嫌だった。

歩いていると、すぐに学校へ辿り着いてしまった。

私と同じ制服を着ている中学生が

次々と校門をくぐり校内へ

吸い込まれていくのが見える。

だが、その様は一人一人の人間が

動いているというよりは、粘性を持った液体が

学校という箱の中に入っていっているようだった。

人間同士が群がりひっつきあって数を増やし、

威圧するように騒ぎながら塊になって歩いている。

それでも皆、

どこか不安そうな顔をしているように見えた。

彼らにとって大切なことは、

規律を守り、目立たず、一体となることだ。

そうすれば、

自分の身に何か災悪が降り掛かる事は無いと、

彼らは知っているのだ。

どこかから、

同級生のものと思われる笑い声が聞こえてきた。

私は無意識のうちに地面を見つめ、

気配を消して校門へ近づいていった。

私は彼らとは違って、塊になれない。

私には、既に災悪が降り掛かっている。

校門をくぐったところで、急に肩を掴まれた。

手が湿っているのか、触れられている部分から

濡れているような、

気持ちの悪い感触が伝わってきた。

暑いわけでも無いのに

嫌な汗が身体中から吹き出してきた。

「おはよう。咲凛花ちゃん」

聞き覚えのある、男の声が耳元から聞こえてきた。

その声に反応して、

肌中に鳥肌が立ち、口の中の感覚が消えた。

するはずのない生臭い臭いが私の嗅覚を支配し、

顔を強い力で押さえつけられているような

錯覚に陥った。

声のする方を見ると、

ワイシャツを着た男が立っていた。

小太りで癖っ毛の髪は伸び切っていて、

額には大量の汗を浮かべていた。

彼は、私のクラスの担任の花水木先生だ。

生徒の間では、

その不潔感から嫌われ、避けられている。

「おはようございます」

淡々と挨拶を返しこの場から

逃げようと一歩を踏み出したところで、

手を握られた。

手汗でびちゃびちゃの指が私の指に絡まり合って、

声にならない悲鳴をあげた。

「今日も、分からないこと。聞きにくるんだよ」

薄気味悪い声が背後から聞こえてくる。

離してください、私はそう言おうとしたが、

恐怖感で声が出なかった。

力づくで握られている手を解放し、

逃げるようにで学校の中に走った。

周りにいた人間たちは、

私のことを憐れむか、好奇の目で見て笑っていた。

手に残るベタベタとした体液を

たまらず着ていたスカートで拭いた。

それでも手を握られていた時の

花水木先生の体温は消えなかった。

離れているはずなのに、

手を握られ続けているような感覚があった。

私の身体が、

彼のごつごつとした指の形を覚えていた。

それは私の身体中を触り、弄り、犯した指だ。

それから生徒玄関で外靴を脱ぎ

私の番号の靴箱を確認すると、

当たり前のように上靴が行方不明になっていた。

そして今日も、

ゴミ箱の中で汚れた上靴が発見された。

私は、何度も脳内で唱えた。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。


 私の所属するクラスの

2年B組の教室はこの学校の2階にある。

仕方ないので汚れた上靴をそのまま履き、

私は2階への階段を登っていた。

学校ではいつも何処かから

誰かの笑い声が聞こえてくる。

その全てが私を嘲笑っているようで、

改めて自分が独りであることを知った。

2年B組の教室に到着し、

教室の後ろの入り口の戸を開けた。

なるべく音の鳴らないように

慎重に開けたつもりだったが、

余分に力が入って

ガラガラと大きな音を立ててしまった。

次の瞬間、教室の中にいた

同級生全員が一斉に私のことを見た。

彼らの目に光は灯っておらず、

獲物を見つけた怪物のような視線が

殺したはずの私の心を貫いていった。

私の心臓が電撃が走ったかのように蘇り、

忙しなく拍動を始めた。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

何度も脳内で唱え、心を殺す。

平常心を取り戻した私は、

沢山の視線を浴びながら自分の席へ歩いていった。

教室に入ってすぐの、

廊下側の一番後ろの席が私の席だ。

歩いている最中も私は視線を浴び続けた。

いつもなら、すぐに皆目を背けるはずなのに。

椅子を引く手が震えていた。

何かある、と心のどこかで分かっていた。

椅子を引き、ゆっくりと席に着いた。

椅子の座る部分を手で触り

違和感が無いのを確認するのも忘れなかった。

それでも尚、視線は私に向けられ続けていた。

その時、机の中から音が聞こえた。

何かが机の中で暴れるような音だ。

覗いてみても、暗くて見えなかったが何かが

中にいるのは分かった。

私は恐る恐る机の中に手を入れていった。

手前側からじわじわと奥へ手を入れていく。

最奥で、何かが私の指に止まった。

羽を動かすような空気の振動がして、

ガサガサと細かく動き、

足がいくつもあるのかこしょばかった。

ゆっくりと机から外に出すと、

異様に巨大なカメムシのような虫が

私の指に止まっていた。

私は、虫が苦手だった。

その姿を見て身体は拒否反応を示した。

声にならない悲鳴をあげ、

手を目一杯に振り虫を振り払おうとした。

慌てふためく私を助けてくれようとする

人間なんている訳がなくて、

教室は笑いで包まれていた。

突然、教室の戸が勢いよく開いた。

誰が来たのか察して皆笑うのを止め、

教卓の方を向いた。

「みなさん、おはようございます」

低く、小さい声でそう言ったのは

このクラスの担任の花水木先生だった。

私は指からカメムシがいなくなったことを

見て確認し安堵していたが、

机の中に再び何かが暴れるような音がしだした。

「朝の会を始めます。日直、お願いします」

花水木先生の声に合わせて何処かから

「起立!」と声がした。

私たちは起立し、

日直が「おはようございます」と言った後に

「おはようございます」を

機械のように繰り返して言った。

そして、全員一斉に着席した。

花水木先生は咳払いをして、

「みなさんへの連絡の前に、

今日は新しくこの学校に転入してきた

転校生達を紹介します」と淡々と言った。

「入ってきてください」

と先生が呼びかけると、戸が勢い良く開いて

私達と同じ制服を着た3人の転校生が現れた。

先生は続ける。

「紹介します。順に、

夜桜息吹君、白詰四葉さん、情環朔真君です。

さあ、それぞれ自己紹介してください」

「はい!」

元気よく返事をして、

短髪で素直そうな男の子が一歩前に出た。

大きく、鋭い目に真っ黒な髪と

異様に白い肌をしていて、

現実にいる人間というよりは

ファンタジー世界の妖精のように見えた。

背と体格は普通くらいだろうか。

「俺は、夜桜息吹っていいいます!

転校生です!よろしくお願いします!」

意外にも低めの、

男の子らしい声が教室に響き渡った。

彼が頭を下げると同時に、拍手が巻き起こった。

学校ではよくある、

分かりやすい歓迎ムード作りというやつだ。

転校生に特に関心が無い人だって、

空気を読んで拍手をしている。

自分が常に多数派でなければ不安で仕方ない

人間達は、

空気の変化を人一倍敏感に察知するものだ。

学校はそういう人間の心理によって回っている。

次に、背の低い女の子が前に出た。

まず、その髪が私の目を惹いた。

ベージュ色のような髪色をしている

彼女の髪は綺麗で、腰位の長さの長髪を

ツインテールにして纏めていた。

校則で染髪は禁止されているはずなので、

信じられないがあの色が地毛なのだろう。

それでいて、整った顔立ちをしていた。

まるで天使のようだと、本気で思った。

彼女が口を開いた。

きっと、見た目通りお淑やかで

上品な声と口調をしているのだろうと

期待をして、私は耳を澄ませた。

「白詰四葉です!私が可愛いのは分かりますけど、

残念ながら歳上のカッコいい彼氏がいるので!

男の子の皆さんごめんなさーい!

これからよろしくお願いします!」

耳の痛くなるような高い声でそう言い、

彼女は元気よく頭を下げた。

教室の中の空気が一切の動きを止めたかのように

静まり返り、彼女自身は首を傾げていた。

もしかしたら、

彼女は私のいい友達になってくれるかもしれない。

最後に前に出たのは背の高い男の子だった。

1人目の転校生とは対照的で、

男の子にしては長めの髪に目尻の下がった目。

生気をあまり感じなかった。

「情環朔真です。よろしくお願いします」

ぼそぼそとした活気の無い声で言った。

頭を下げて、戻すところを見て気づいたのだが

彼は少し猫背らしい。

聞いていて、こちらの元気まで

奪われてしまいそうな自己紹介ではあったが

拍手は起こった。

先程の彼女はより大きく首を捻っていた。


 転校生たちには

それぞれ空いていた三つの席が与えられた。

生気の無い彼には廊下側の一番前の席。

残念な天使ちゃんには窓側の真ん中の席。

そして1人目の元気そうな男の子は

私の隣の席だった。

朝の会が終わり、揃って礼をした後、

すぐに彼は私に話しかけてきた。

「咲凛花さん、だよね」

見ると、彼は目を合わせてくれず、なんだか

モジモジしていて恥ずかしそうにしていた。

おそらく、女の子と話す事が苦手なのだろう。

友達を作るために

無理をして話しかけてきたに違いない。

まあそこまでは良いとしても、

彼には人を見る目は無いようだ。

私に話しかけることは、

この学級では禁忌とされているのに。

「あんまり私に関わらない方がいいよ」

極力冷たい口調でそう告げると、

彼は不思議そうな顔をした。

「どうして?」

「どうしてって、ほら。そういうの、あるでしょ」

「そういうの?なんだろう、それ」

辺りを見渡すと、皆の視線が私達に集まっていた。

「そもそも、何で私に話しかけてきたの」

慌ててそう聞くと、

彼は頭を掻き、照れながら言った。

「いやあだって。可愛かったんだもん」

「かわ、いい?」

「うん。可愛い」

「そ、そうなんだ」

本当に彼には見る目が無いらしい。

私には彼の考えていることが全く理解できず、

あまりに直接的に言われてしまったからか

恥ずかしくなって目を伏せた。

その時、声が聞こえてきた。

「あの転校生、ヤバくない?」

背筋に冷たい何かが走っていった。

この学級の掟を知っている私が彼を

止めなかったせいで、彼まで巻き込まれてしまう。

「ねえ、やっぱり」

「ちょっと動かないで」

言い出した途端に、

急に深刻そうに彼からそう言われ、

私は黙り静止した。

彼は手で私の髪を撫でるように触り、

その後にその手の中を見せてきた。

彼の手の中では、

私の机の中にいた巨大カメムシが暴れていた。

「ひっ」と声が出し激しい拒否反応に耐える私を

見てまた、彼は不思議そうな顔をした。

「可愛いのになあ」

彼はカメムシを

そのまま窓まで持っていき、外へ逃した。

もしかしたら彼の中の可愛いは、

私の思っていたベクトルの可愛いでは

無いかもしれない。

戻ってきた彼は、私に手を差し出し言った。

「まあ、そういうことで、よろしく」

その手がカメムシを触った手で無いことを確認し、

私はその手を握り返した。

「よろしく。名前は?」

「息吹」

「分かった。よろしく、息吹」

「うん」

頬を赤らめながら手を握る彼の姿は、

少しだけ可愛らしかった。

でも、それだけに悲しかった。

彼もどうせ、すぐにいなくなってしまうのだろう。

彼らに与えられた3人分の空席が、

この学級の掟を破ってしまった

3人の席であることを彼は知らないのだから。


 「味噌ラーメン普通盛り一つと大盛り一つと」

息吹と朔真は同時に四葉を見た。 

期待通り、四葉は嬉しそうに注文した。

「私は味噌ラーメン特盛で!」

かしこまりました、と

淡々と言い店員は厨房へ消えていった。

四葉の頼んだ特盛は、

従来の味噌ラーメンのスープ、麺の量が2倍

入っているという

この店オリジナルのサイズだった。

朔真は四葉の腕あたりを見て言った。

「太るよ」

「そうだそうだ。健康にもよく無い」

息吹も賛同する。

が、本人は「いやいや、

ラーメンは健康食だから大丈夫大丈夫。

私の美貌だってほぼほぼラーメンで出来てるから」

と冗談混じりに笑っていた。

「まあ、そんなことよりさ」

コップの水を一口飲み、四葉は2人に質問した。

「今日どうだった?

咲凛花について。何か手がかりとかあった?」

「まあ、何枚か写真は撮ったけどね」

そう言いながら、朔真はリュックから

数枚の写真を取り出し、テーブルに広げた。

写真は全て、咲凛花本人を写したものだった。

普段の制服姿、体育の時間に着た体操服姿。

女子更衣室で着替えている際中の写真まであった。

息吹は不快感を露わにした。

「おいおい、マジかよ朔真。

盗撮ってやつだろ、これ」

朔真は不貞腐れたように言った。

「仕方ないだろ。

僕だって見たくて見てるわけじゃねえし」

「それはそれでどうなんだよ。

俺は見たいよ、全然」

「じゃああげるよ、その写真。

大したものが写ってる訳でも無いし」

「マジ?じゃあ、遠慮なく」

息吹は躊躇なく咲凛花の着替え中の

写真を手に取り、

素早く自分のリュックの中に仕舞った。

彼はやけに嬉しそうな顔をして、

こちらに向き直した。

「そういうのさ、

私のいない時にやってくれない?」

四葉は2人を蔑むような目で見た。

「で、変態盗撮魔さんが成果無しってのは

分かったけど、息吹はどう?

見てたけどさ、ずっと一緒にいたみたいじゃん」

息吹は腕を組み、考える仕草をした。

「いや、なんか普通に可愛い女の子だよ。

顔も可愛いし、肌も髪も綺麗だし、

良い匂いするしスタイルも良くて

声も低めでカッコよくてそれも魅力っていうか。

でも、魂がどうとかはさっぱり」

「可愛いとかは全然聞いてないけどさ、

とにかく何も分かんなかったのね」

「おい、変態盗撮魔ってなんだよ。取り消せよ」

不満そうな顔をしている朔真をよそに、

漂ってきたラーメンの匂いに四葉が反応した。

「あ!ラーメンもうすぐ来るよ!楽しみ!」


 「はー!美味しかった!」

膨れたお腹を撫でながら、

四葉は幸せそうな表情をしてラーメン屋を出た。

息吹と朔真も彼女に続く。

彼らは並んで、ゆっくりと歩道を歩き始めた。

日は落ちかけていて、夕陽が世界を照らしていた。

「四葉ってさ、

なんでそんなにラーメンが好きなんだ?」

四葉の小さな体のどこに特盛のラーメンが入る

スペースがあるのか不思議に思いつつ、

息吹は訊いた。

四葉は指を口元に当てながら

「まあ単純に美味しいってのもあるけど、

ラーメンは私が人間になってから

初めて食べたものでもあるんだよ。

だからかな、特に印象に残ってるんだよね」

と楽しげに答えた。

「2人は初めて食べたものって何だったの?」

「僕らはコーヒーとケーキだよ」

「そうそう。昨日ここに来てすぐ俺たち2人で

そこら辺にあった喫茶店に入ったんだよな。

夫婦で経営してる小さい喫茶店だったんだけど、

中々美味かったんだよ」

「しかもさ、そこの奥さんがすごい美人なんだよ。

薺さん、だったっけ」

「人形みたいに綺麗だったよな!」

四葉はふうん、と関心の無さそうな声を出した。

それからしばらく歩いて、

彼らは古いアパートの前で止まった。

アパートの階段を登ってすぐの部屋が彼らに

与えられた部屋だった。

貴重品係を押し付けられた朔真は

リュックから鍵を取り出し、玄関の鍵を開けた。

部屋の中に入り朔真が電気を点けると、

物が散乱し、たった一日でゴミ屋敷と化した

彼らの住処が姿を現した。

「なあ、お前ら。ちょっとは片付けてくれないか」

息吹が溜息混じりに言うと、

2人は同時に「嫌だ」と返した。


 「じゃあ、私風呂入ってくるから」

家族揃っての夕食を終えた後、

お母さんとお父さんにそう告げ

私は早足で風呂場へ向かった。

一刻も早く、体を洗いたかった。

制服の下に来ていたTシャツを脱ぐと、

柔軟剤と私の匂いに混じって

嫌な学校の臭いと男の汗の臭いがした。

一枚服を脱ぐたびに露わになる綺麗な体が、

まるで私ではない、

別の誰かの体を見ているような感覚に襲われた。

無意識のうちに、私は私であることから

逃げ出したくなっているのだと気付いた。

それから私は熱いシャワーを浴びて、

シャンプーで髪を洗い始めた。

私が今日、穢されたしまった部分が

綺麗になっていくのが分かる。

鏡に映る私は可愛くて、それが憎くもあった。

リンスを髪につけ、体を丹念に洗った私は

湯船の中の緑色の湯に浸かり、

今日一日を思い返した。

印象的だったのは、

やはり転校生が来たことだった。

その中でも、私を「可愛い」と

言ってきたあの男の子は特に記憶に残っていた。

彼はあれから、下校時刻まで

ずっと私に付き纏ってきた。

私が何度言っても、

本気で理解出来ないといった表情で「なんで?」と

訊いてくる彼からは

人間らしさをあまり感じなかった。

だが、考えてみれば、自分らしさを抑えて

普通を演じ切ることに人間らしさを

感じるというのは変な話かもしれない。

その点、彼はクラスで一番人間らしかった。

他の2人については、

天使ちゃんはすぐに友達を作れたみたいで

クラスに馴染んでいたし、

暗そうな男の子は

誰とも関わろうとしていなかったみたいだけど、

密かに女子の間でイケメンだと人気になっていた。

彼のようなタイプの

男の子は中々私のようになることはない。

出来ることなら、中学生の間、

私は彼と入れ替わって生きてみたいと思う。

何にも縛られず、自由で楽そうだ。

その他に、転校生のこと以外で印象に

残っていたのは放課後のお勉強のことだった。

その事を思い出すと吐き気がしてきて、

考えるのをやめてしまった。


 音楽は魔法だ。

イヤホンから流れてくる音の波が

私の脳内を揺すぶって、

心が沸きたつように熱くなった。

イヤホンをしたまま外を見ると、

真っ暗は夜がそこには広がっていた。

世界が回ってこの夜が明ければ、

また私は朝を迎えてしまう。

そう思い、深海に沈められたように落ちていった

私の心はすぐに音の魔法に救われた。

黒色の海の上で、私は叫んだ。

きっといつか、私は幸せになれる。

だから、その時までは生きるんだ!

イヤホンを外し、私は世界と直面した。

世界から伝わってくる音の波は、

私を嘲笑っているようだった。

まるで、私の運命はとうに決まっていて、

不幸にしかなれないのだと

言われているように感じた。

それでも、運命に逆らってでも

私は幸せを掴むのだと、強く心に誓い直した。

壁にかかっている時計を見ると、

もうすぐ日にちが変わろうとしていた。

私は出掛かった溜め息を堪え、

部屋の電気を消しベットの中に潜った。

淡い希望で目の前の絶望を隠すようにして、

私は幸せな夢を見ようと意気込んだ。

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