もうすぐ春だからね
七山月子
3月
私が酒を呑もうとしたら近所のミサが道連れにしてくれと言うので、あれから三日ほど私の家で酒を呑んでいる。
たった二人というのも大変寂しいので、三日の始まりは二人だったのが三人になり今や五人に増えた。
「ねえ、男ほしい」
ミサは口を開けばそんな軽薄な話題を振りかざし、未婚の30代たちは押し黙る。
ミサだけまだ20代である。29だが。
33歳の私がナッツを口に含みながらウイスキーを舐めると、35歳のツナが不満そうに、
「私は男なんて要らないな」
と話題を切った。
「なんで男欲しいの?」33歳のりか。
「男より女友達が欲しい」36歳のほのか。
「だって、寂しいじゃん」29歳のミサは、そういうとそこにあった私のでかいぬいぐるみを抱きしめ倒れた。もう酒はだいぶ入っている。
「リョウは?男、欲しい?」
りかに言われ、私は間髪入れずに「いらない」と答える。
男は面倒だ。女だらけで酒を飲んでいる方が楽しい。すけべなこともしなくて済むし考えなくていい。
でも、ここ最近、実は気になっている人がいる......というのは黙っておいた。
四日目にもなるとそれぞれの生活に戻ろうと、「今日で最後ね」ツナが言い出し、「私もあがる」ほのかが乗って、りかとミサと私はええまだいいじゃんと騒ぐ。
ミサは近所の絵画教室の講師をやっている。
りかはジムのインストラクター。
ほのかは事務員。
ツナが看護師。
私はカフェの店員だ。
三日前に遡る。
私はカフェでピザトーストを焼いていた。
「夕暮さん、焼きすぎじゃない?」
バイトの谷中さんに指摘され驚いて素手でトースターを開けようとしたら、火傷した。
トースターは洗わないといけないくらい黒焦げになるし、トーストは墨になり、お客様はあまりにも遅いと怒りだし、散々だった。
その上、ピザトーストを焦がすほどぼんやりしていた理由になった人はその日カフェに来なかったのである。
それで、酒を飲むぞとSNSに書き込み、四日連続酒をのんでいる。仕事にはそれぞれ行ってはいたが、我が家に荷物を大量にもちこみ、もはや五人が1DKの狭いアパートに詰め込まれ住んでいた。寝る時は当然雑魚寝である。
ほのかが持って来ていたタッパー(菜の花の辛子和えやいくつかのつまみが三日前には入っていた)を片付けだし、ツナはもうコートを着込んでいた。
「ねえ、桜見ない?」
私が言うと、皆晴れやかになった窓の方を見た。
「いいね、花見にしようか」
誰かが言った。
公園に行っても桜は咲いておらず、まだ三月だから当たり前だと酔っ払い達は笑った。
明日になったらもう、またそれぞれの生活に戻っていく。
私はまたあの人を待つ日常に戻る。
名前も知らないあの人。
横顔と姿勢が綺麗なあの人。
ただの一目惚れだった。
「アイスコーヒーの小さいサイズください」
「かしこまりました、お持ち致します」
「ありがとう」
「こちらアイスコーヒーになります」
「ありがとう」
「ミルクとガムシロップがこちらになります」
「ありがとう置いておいてください」
「ありがとうございます、ごゆっくりどうぞ」
このくらいの、ウェイトレスと客の会話くらいしかしていない。
だから何歳なのかも、彼女がいるのかも、はたまた結婚しているのかも知らない。
ただ、横顔と姿勢が、美しい。アイスコーヒーを飲みながら彼は、本を読みに来ている。ほぼ毎週水曜日、夕方6時にスーツのまま来店し、本を一冊読み終えると席を立つ。
ルーティンになっているのだろう。
姿勢が綺麗なわけだ、と思う。
酒を呑んで今度は枯れ木の下でミサが言った。
「やっぱり、男欲しい」
「しつこいなー」ツナ。
「でも私も欲しいかもなー」りか。
「あんた居るでしょ彼氏」ほのか。
「イケメンが欲しいー」ミサ。
「私も今カレよりイケメンがいいー」りか。
「ばかじゃないの」ツナ。
「私はもういいなー」ほのか。
「ねえ」私。
「ねえ、恋をするならどんな季節だと思う?」
たぶん、今だ。
もうすぐ春だからね 七山月子 @ru_1235789
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