王立女子士官学校「アデル・ヴァイス」

888-878こと

第一章 入学

第001話 初登校

 リーエことファゾツリーエ・ヴツレムサーは虚ろな目を閉じたり、開いたりしつつ、数十メートル先の左に曲がる壁の角を見据えながら、歩道の上を歩いていた。

 北欧の小国、ゼライヒ女王国の首都ザキ・ス・ウェンの郊外に構えられた王立女子士官学校は、三メートルに迫る煉瓦造りの高い壁に囲まれており、壁の上には電気を通した有刺鉄線が巻かれている。

 その壁を左に、歩道のフェンスを右に、百六十六センチの身長に三十七キロという痩せすぎの体格で、薄汚れた灰色のダウンジャンパーとダウンパンツの上下に、ニットの帽子、生活用品を詰め込んだ登山用の赤色のリュックを背負い、二〇二五年十一月三日の寒空の下、一歩一歩を自分にいいきかせるように歩いていた。

 誕生日をすでに迎えて二十一歳、王立女子士官学校は大学と同じ扱いなので二十一歳での入学が二歳年かさというのは重々承知している。


 それでも、私はここでやり直すんだ。

 病気で狂いが生じた私の人生を、取り戻すんだ。

 これが、私に与えられたチャンスなんだ


 その思いで、半ばふらつきながら歩く。

 空は青く、筋雲は白く、はるか高くを烏が飛んでいる。

 一辺四百メートルの校壁で囲まれた、王立女子士官学校は、隣国フィンランドとロシアの間に挟まれたこの国が、ドイツに端を発するドイツ北方十字軍騎士団の侵攻を受け、撃退し、和解し、駐屯を受ける中で、ゼライヒ女王国の女系家族文化を守るものとして設立された、二百五十年からの歴史を持つ古い学舎である。

 角を左に曲がると、二百メートル先に女性衛兵が立つ校門が見える。

 

 遠い。

 

 荷物は最低限にしてきた。

 どうせ寄宿舎に入るというのだから、最低限の着替えと、制服と、衛生用品さえあればいいだろうと割り切り、余計なものは持たなかった。

 実を言えば、患っている鬱が酷くて十月一日の入学式にすら出られず、そこから二週間も家を出られず、わざわざ自宅まで訪問してきてくれた先輩に手伝ってもらった経緯もある。

 その荷物が重い。

 本来であれば颯爽と、真新しい制服に身を包み、膝を伸ばして校壁の歩道を歩き抜け、校門の女性衛兵にはきはきと挨拶をすべきだろう。

 しかしリボンのように形取られた蝶ネクタイの結び方もわからず、それも先輩に甘えようと、私服で来てしまった。

 晴れの日の今日の最高気温は三度、普段より少し高めだが痩せすぎで冷え性のリーエにはそれすら辛い。

 南側の校壁の中央に設けられた校門には、北欧特有の低い太陽の造る歩道のフェンスの影が落ちる。


 とにかく、あの校門にたどりつくんだ。

 

 と、重い荷物にふらつきながら校門を睨み付けて歩く内に、ふと、気がつくと、校門が消えていて、西端の左に折れる校壁が見える。

 えっ、と周囲を見渡してみると、校門を二十メートルも通りすぎている自分に気がつく。

 

 鬱だとホントこれだ。

 

 電車や路面電車の下車駅を何度過ぎたかわからない。

 事務室や看護室に行けといわれて何度通り過ぎたかわからない。

 自分でも、注意しているつもりなのに、気がつくと通り過ぎてしまっている。

 まずは、もう目を離さず校門にたどりつく。

 衛兵に立っていた女性は比較的若そうに見える。

 リーエが「あの」と話しかけると女性衛兵は事務的に答えてくる。「こちらは、王立女子士官学校です。

 ご用のない方のご来訪はご遠慮いただいています」

 女性衛兵は、左手に持った小銃を傾けもせず、リーエに目をあわすでもなく正面を向いたままでいる。

 リーエとしてはまずここを通り抜けなくてはならない。「あの、私ファゾツリーエ=ファンベーチハ・ヴツレムサーと申します。

 本校に、入学しに来ました」

 女性衛兵は正面を向いたまま視線を変えない「そのようなことは連絡されておりません。

 恐れ入りますがお引き取りください」

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