人形戦記、あるいはその人形は戦火の中に魂を求めるのか

第616特別情報大隊

バシリカ作戦

……………………


「先生は地獄や天国は信じるか?」


 日本情報軍の戦闘服を纏った男が、患者として座るべき椅子に座って尋ねる。


「残念ですが、それは私の専門ではありません。そのことに悩んでおられるならば、相談すべきはもっとスピリチュアルな施設です」


 民間軍事医療企業の精神科医はそう答えた。


「彼らは文化的な地獄と天国の専門家だ。俺が知りたいのは科学的な地獄と天国だ」


「それはどういうことですか?」


 精神科医は患者である男の脳活動が苛立ちを示しつつあるのに警戒して、爆発物処理班のように慎重にそう尋ねる。


「魂は科学的に証明されたんだ。なら、科学的な地獄と天国もあってしかるべきだろう。それとも俺たちは──」


 男が言葉を詰まらせる。


「死んだら何も残らないのか?」


……………………


……………………


 ──バシリカ作戦



 バシリカ作戦は順調に進んでいると羽地悠日本情報軍少佐は思っていた。


 日本情報軍の作戦運用AIの診断でも作戦は有意に推移していると判断されていた。


 目標“ウルバン”にはゆっくりと近づきつつある。


 今も、なお。


「アリス、君がポイントマンだ。訓練通りにやれ。『夜は我々の味方』だ」


「はい、羽地先輩」


 富士先端技術研究所製軍用熱光学迷彩はアリスの存在を友軍のみが識別できる姿に変える。各部隊を繋ぐ量子通信で伝達された情報に基づき構成されたホログラフィックが、視神経介入型ナノマシンによるAR拡張現実で表示されることによって。


 羽地の目にはアリスのホログラムが映っているが、他人からはなにひとつとして見えない。夜であればなおさらのこと何も見えない。


「作戦開始」


「了解」


 アリスのホログラムは彼女が身長145センチほどの小柄な少女であることを示している。彼女の声も子供の声だった。羽地たちが中央アジアで殺し続けてきた子供の兵士と同じ。違いは高度な装備と高度な訓練だけ。


 アリスがポイントマンとして先行し、羽地がそれに続く。


 夜は味方だ。


 夜の闇こそが少人数で作戦行動を行う特殊作戦部隊にとっての味方だ。


 視神経介入型ナノマシンによって補正された視界は昼間のようにはっきり見える。夜の闇は今や存在しない。少なくとも正規軍の装備を持つ軍隊においては。


 可視光増幅方式のナノヴィジョンとでもいうべき技術はヘビの中のある種に見られるピット器官をバイオミメティクスとして活用した簡易のサーマルセンサーにも切り替えることができるし、ズームもできる。データベースに情報があれば、発見した兵器のスペックも日本情報軍のデータベースから与えられる。


 アリスが最適と判断したルートを羽地は進む。


 アリスの判断はほぼ戦術級作戦支援AIの判断と似ているが、彼女の個性が出ている。まずAIが推奨する茂みには近づかない。AIは茂みの傍にいる動植物が作戦に与える影響を軽視している節がある。訓練中に茂みでヘビに出くわしてパニックになったアリスはその経験から茂みを避けている。


 その代わり別の遮蔽物を利用する。故障したまま放棄され、飛行場の隅に押しやられた軍用ヘリの残骸。同じように放棄された軍用車両。錆びついて、誰も気にしないその遮蔽物を利用して、アリスは進路を示す。


 うちのアリスはウサギ穴には落ちない。それが部隊でのジョークだった。


 だが、ちょっとしたティーパーティーには参加する予定だ。


「前方、敵歩哨3名」


「光源があるな」


 ドラム缶に木製パレットを破砕したものを突っ込んで作った焚火の周りに、3名の兵士が集まっていた。全員がロシア製の自動小銃で武装している。


 ロシア人の傭兵がいることが事前のブリーフィングで分かっていた。シリア帰り、ウクライナ帰り、中央アジア帰りのベテランだ。彼らは祖国ロシアのために献身的に働いたのに、ロシアの新政権は財政難から軍を縮小し、彼らを軍から蹴り出した。


 民間軍事企業PMCが彼らを勧誘したときに彼らには断る理由はなかった。


「1名は隠密ステルスで始末できます。そして、羽地先輩が1名。ですが1名残ります」


「1名でも残って騒がれると面倒だ。ここは守護天使にお願いしよう」


 羽地はそう言うとAR上で操作し、生体インカムのプレストークボタンを入れる。


「レオパードよりクーガー。こちらの位置が分かるか?」


『イエス。ばっちりですよ、レオパード』


「では、敵の姿は視認できているな?」


『3名。焚火を囲んで休憩中みたいですね』


「手前の2名をこちらで片付ける。1名を狙撃で片付けてくれ」


『了解。合図をください』


「3カウントだ」


 生体インカムは実際に発生しなくとも口と舌の動きから音声を生成する。多少の誤差は補正され、正確な発言者本人の音声として他者にメッセージを伝える。


 今も無音の隠密ステルスは続いているのだ。


「3──」


 アリスがその小柄な体には大きなコンバットナイフを構える。


「2──」


 ゆっくりとロシア人傭兵の背後に忍び寄る。


「1──」


 カウントダウン終了。


 次の瞬間、血が舞い散った。


 ロシア人傭兵のうち1名は正確に頭を貫かれて死亡し、アリスはコンバットナイフでロシア人傭兵の喉を掻き切って、腎臓にナイフを3回突き立てる。羽地も同じようにして、ロシア人傭兵を始末していた。


「いい仕事だ、クーガー」


『アリスに褒めてもらいたいですね』


「浮気するとスミレが怒るぞ」


『今、頬を引っ張られてます』


 残忍な殺しの後でもジョークを。


 脳みそに叩き込んだナノマシンによる戦闘適応調整は、目の前で突然子供が爆発して臓物を撒き散らそうと、一切の動揺を招かせない。戦闘に必要と判断される適度な緊張感を維持させ続け、それ以上の緊張も、それ以下の緊張も、余計な感情も抱かせない。


「死体を片付けよう。そこの廃車に放り込んでおけばいい」


「了解」


 羽地たちの浴びた血は軍用熱光学迷彩上の定着型ナノマシンによって色素が急激に分解されつつあった。そのうち、分子単位で分解されたそれは地面に滴り落ちるだろう。


 男たちを廃車の中に放り込むと、前進を再開する。


 今、羽地たちがいるのは空港だ。


 空港と言ってもそこまで立派なものではなく、管制塔とレーダー、多目的倉庫、そして簡単に舗装された戦術級輸送機が最低限離着陸できるだけの長さの滑走路がひとつあるだけの簡易な飛行場だった。


 羽地たちは倉庫を目指して進んでいる。


 そこに目標のものがある可能性があるのだ。


「前方、敵歩哨4名」


「光源はない。暗視装置を装備しているな。やり過ごそう」


 第6世代の軍用熱光学迷彩は動体センサーでも感知できない。だが、用心するに越したことはない。アリスの誘導の下、羽地たちは航空輸送用コンテナが積み重なる空港施設傍を通過し、歩哨をやり過ごす。


「まもなく目的地です」


 倉庫の傍でアリスがそう報告する。


「目的地到着」


「ドローン展開」


 超小型のマイクロドローン──クマバチサイズのそれが飛行し、倉庫の窓から中に入る。中にロシア人傭兵はいない。“ウルバン”もいない。


 ただ、空輸用のコンテナが何個も鎮座している。


「倉庫に踏み込み、中を調べる。アリス、行くぞ」


「了解」


 アリスの先導で倉庫の裏から表に回り込む。


 倉庫の入り口のドアには南京錠が掛けられていた。


 飛行場への侵入にも使用した静音ボルトカッターを腰から取り出すと、南京錠はちょっとした金属音を立てただけで切断された。


 それから静かに、静かに倉庫に入る。


「コンテナは4つ。このどれかだ」


「測定装置作動中」


 倉庫の中でアリスがある測定装置の数値を見る。


「間違いなくここにあったようです」


「畜生。当たりか。コンテナは全て大井海運のものだ。コンテナそのものを偽装した可能性もあるが……」


「コンテナのIDを照会しましたが、どれも破棄されたものです」


「データ上で破棄されたはずのコンテナがどういうわけかここにあり、そして“放射性物質”を搭載していた痕跡がある」


 アリスが持っていた測定器は放射性物質をトレースするためのものだった。


「“ウルバン”は。そして、戦術核はどこに消えた?」


……………………

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