先生

三文字

先生

 僕はその時大学生で、個別指導塾のアルバイトをしていた。

 そのときは、そう、受験を終えて高1になったばかりの瀬戸さんを午後3:00~3:50に教えるコマが入っていた。

 土曜だからか平日より少し閑散としていた。単元の内容を解説する僕の傍らに、軽い眠気を表情に漂わせながら、虚脱感のあるやや猫背の姿勢で授業を受ける女子高生の瀬戸さんの姿がある。

 「受験に合格したばかりなのにわざわざ土曜に受けさせる意味ある?」などと言われたら、僕は何も言い返せなかった思いだったけれども、折角、授業なのだから有意義な時間だと思ってもらえるよう、教え方も考えなきゃな、なんてことを考える間もなく。


 変な気配がする。主に左後ろから。

 振り返ると、やはりいた。次のコマの辻さんがもうこの塾にきてたむろしている。

 空いている椅子を遊ばせながら、授業机に向かってニタニタと顔を出してきた。辻さんは今教えている瀬戸さんとは同じ中学校出身の同級生で、大人しい瀬戸さんと比べて、活発で、最近はこんな風に仲の良い瀬戸さんなどにちょっかいを出したりして雲行きが怪しい。

「こら、まだDコマ始まってないぞ」

 そう咎めると、ぐっと今度は僕の鼻先まで顔を出して、辻さんは満面の笑みで見つめてくる。瞬間、僕は思わず照れ隠しに目をそらす。

「ほらほら、辻ちゃんのおかげで田島先生が、恥ずかしがってるよ、困ってるよ」

 瀬戸さんにそう言われて、なおさら気恥ずかしさに苛まれる。

 そしてそれを振り落とすようにして、「おい、辻、もう邪魔するな」と言った後に右へ振り返ると、そこには瀬戸がいない。

 あれ? 思わず席を立って教室全体を見渡したが、どこにも瀬戸さんが見当たらない。まさか、途中で逃げた、いやまさかあの瀬戸が?

 そう考えこんでいると、辻さんはポツリ、「コマ割り表」と呟いた。

「どういうことだよ」「見ればわかる!」

 受付カウンターにいつもあるその日のコマ割り表を確認したら、さっきまでCコマの僕の担当欄にあった瀬戸の字がなく、代わりに辻とある。書きなおされた形跡もなく、ちゃんとパソコンの字で。

「一体、どうして……?」

「お・し・え・て・ね」

「畜生」

 僕はつい感情的になってそんな言葉を吐く。ピョンピョン跳ねながら席につく辻さんを仕方なく追う。席に着くと、また様子が違う。

 いつの間にか辻さんは何やら黒いローブの様なものを纏って三角帽をかぶり、箒を手にしている。

「コスプレのつもりか」と聞くと、

「違うよ」「全然違うよ」

 二人分の声が聞こえた。いつの間にか瀬戸も同じ格好で、今度は奥の集団授業用スペースにあるホワイトボードで柄にもなく落書きをしている。

 僕は突然薄気味悪くなって、「いつになったら授業をさせてくれるんだ、君たちは!」と思わず叫んでいた。

「君たち……だって(笑)」「どんな物言い!(笑)」

「いつもと違うねぇ」「勉強のしすぎじゃない?」

「私たちの指導が悪かったのかな」

「ハハハッなに急に先生ぶってるんだよ、瀬戸も辻も」と笑うと、

「え……」「えっ!?」と二人とも実に不思議そうにしている。

 意表を突かれて、思わず僕は「どういうこと?」と眉を寄せる。

「分からないの……?」「私たち先生だよ」

「そうだよ!」

「私達は、現代社会の病理に侵された大人や青年に、彼らが忘れてしまった人生で大切なものを教えてあげるために、子どもの世界からやって来た、大学教授……」

 僕は極度の混乱に陥りつつ、状況を整理しようとして考えこんでいると、その二人の若い少女たちは、今度は教授風の茶色のスーツを着込んで、それぞれ僕の右肩、左肩と手でポンポン叩きながら、

「田島さんは、教えてたんじゃなくて、教えられてたんだよー?」

「学校とは、老いた人間達が、子どもとのかかわりのカオスの中で、喪失した生きる意味をもう一度取り戻していくシステムなんだよ、田島さん……」


 ガバッ。目が覚めた。夢か。

 枕代わりになっていた本の表紙を見ると、「パーソンズ 社会システム論」とある。そして教壇の方を見上げてみると、そこでずっとダルそうな声で講義をする年老いた教授は、さっきの夢で見た教え子と同じ黒いローブと三角帽を着て、箒で黒板を指し、すっかり魔女のコスプレをして、満面の笑顔をもじゃもじゃのひげ面に湛えながら僕の方を一心に見つめていた!

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