さよならは雪解けと共に

なずな

本文

 ──大好きな、友達だった。


 初めて出会ったのは、高校一年生の冬。珍しく関東で大雪が降った翌々日のことだった。

 まだ雪が残る道路は白く輝き光を乱反射させていてとても眩しく、キラキラと輝いていた。その日は友人の紹介で、同じ趣味の人と会うことになっていた。


 そこに現れたのが、彼だった。


 高い身長、がっしりとした男らしい体つき。

 目は細く、けれど目つきは悪くなかった。むしろ、柔和な声と合わさって優しい雰囲気すらある。


「──春野?」


 私の姿を捉え、彼の口がそう紡ぐ。

 高いような、低いようなそんな声色。自分よりも随分高い位置から見下ろされているのに、不思議と威圧感はなかった。


「俺、逢坂。よろしく」


 彼が、柔らかい笑顔を浮かべる。細い瞳が、更に線になった。

 その瞬間、私は恋に落ちた。彼との恋の始まりは、所謂一目惚れだったのだ。


 *


 そんな彼と出会ってから、五年が経った。


 私たちは、いい友達として未だに交流が続いていた。お互いに苗字を呼び捨てしあう、フラットな関係。男女の友情があるとすれば、これをいうのだと、そう思えるほどの。

 彼と私は五年間の間、誕生日を祝いあい、年賀状を交換し、車の免許も一緒に取りに行った。

 しかし、ただの友達止まり。「あの人と付き合ってないの?」と私の友人に言われた時にはそうだったらよかったのにな、と思っていたけれど。


 彼には、彼女がいる。それも、五年間ずっと同じ。

 しかも、彼の通う学校ではそこそこ有名なバカップルらしい。彼の彼女として入り込む余地など、一目惚れしたあの日からなかったわけだ。


 しかし、五年目の夏──私と彼の関係に、転機が訪れた。


 それは、急な呼び出しだった。夜の九時半。迎えに行くから会えないかという、いつもと違う雰囲気の声掛けに私は二つ返事でOKをし、慌ててシャワーを浴び、メイクをし、服を着替えた。仕事に行く時よりもスムーズな動きには流石に自分で苦笑いをしたけれど。

 待ち合わせ場所は、私の住むアパートの目の前のコンビニ。駐車場が広く大通りに面しているので、待ち合わせ場所としてよく利用していた。


 私は、メイクや髪型を何度も確認して彼の到着を待った。しばらくして左折してきた白い車。無駄のない動きで駐車したそれに駆け寄る。

 彼は、助手席を開けて私を招き入れてくれた。


「どっか行きたいとこある?」


 彼の質問に、私はどこでもいいと答える。彼と行くなら、本当にどこでもよかったのだ。


「どうするかな、明日休みだけど疲れてるから遠出はキツいし」


 それなら何故呼び出したのだろう──私の心は、知らず高鳴る。いつもハツラツとした彼が纏うアンニュイな雰囲気。それは、いつもとは違うなにかが起こると思わざるを得なかった。

 しばらくカーナビで地図を拡大したり、移動したり、縮小していた彼がようやく車を走らせる。夜だからか、いつもは混んでいる国道も空いているのだろう。絶え間なく流れていく風景を見ながら私は、どこに行くのだろうとワクワクしていた。


 三十分程車を走らせ着いたのは、国内でも有名なテーマパークの裏側だった。路肩に車を停めた彼は、後続車に追い抜かれてからドアを開けた。

 私も、助手席側のドアを開ける。ポケットに手を入れたまま歩く彼の後ろをついて歩き、海を囲う堤防に座った彼に倣って私も横に並んだ。


 閉園直後のテーマパークは、未だ明るく、賑やかな音楽がうっすらと聴こえている。

 中は、どれだけ賑やかなのだろう。私たちのいる海沿いは、波の音が聞こえるだけでとても静かだった。


「俺さー……いま、彼女と上手くいってないんだよね」

「え、へえ、そうなんだ……」


 突然のカミングアウト。思わぬそれに、声が上擦ったのは仕方ないことだろう。


「最近疲れちゃってさ」


 彼はそう言うと、ため息を吐いて見せた。

 結婚するだろうとすら思っていたから、その告白は意外なもので、私の心臓はうるさく早く高鳴っていた。


「そ、それは大変だね……」


 いつも通り振る舞えているだろうか。

 私がそう考えていると、僅かにあった私と彼の隙間を埋めるように彼が座りなおした。

 真横に感じる彼の体温。香り。私の心臓は、更に高鳴る。おかしな動きをしているんじゃないかと思える程に。

 しばらく黙っていた彼が、私の手をそっと取り、優しく指を絡ませた。


「春野ってさ、俺のこと好きでしょ」

「え……」

「俺のことずっと目で追ってる。気付かなかった?」


 初めて出会った時と変わらぬ、優しい声色。けれどそれには、どこか熱を含んでいるように感じた。


「……っ、す、好きだった。ずっと……初めて会った時から」

「やっぱり」


 逢坂は悪戯に笑い、握っている手を更に強く握った。それに呼応するように、私の心臓もぎゅう、と握り潰されるよう。

 私は、彼に甘えるようにして肩に頭を乗せた。それに更に重ねられる、彼の頭。髪の毛がくすぐったくて、重みが心地良くて、遠くから聞こえるテーマパークの音が幻想的で、波の音が優しくて。このまま時が止まればいいと思った。


「この後、どっか行かない?」

「……うん」


 その誘いが何であるか分からないほど私は子供ではなかった。彼女に対する後ろめたさよりも、幸福感が僅かに上回り、再び車に乗り込む。

 行きと同じように流れる景色。向かった先は、国道沿いのネオン街。

 のれんの垂れ下がる駐車場に迷わず入庫した彼は、私の手を引いて小さな入口を入った。目の前に広がる、バリ風のフロント。甘い香りが、そこには満ちていた。

 選んだ部屋は、二階の真ん中くらいのグレードのもの。途中、帰宅する二人組とすれ違い気まずさを覚える。

 あの二人がしたこと、私達が今からすること。それは、私がしたことのない交わり。


 部屋の扉をカードキーで開けるとそこにはビジネスホテルとは違う空間が広がっていた。同じホテルという名称が付くのにこんなにも違うものなのかと私は感心する。


「おいで」


 彼に手を引かれ、キングダブルサイズ程ありそうなベッドにちょこんと小さく座る。未知のものに触れる緊張でガチガチになっていた私の緊張をほぐすように、彼は私の髪を優しく撫でた。


「優しくするから」


 聞いたこともないような甘い声色でそう囁かれ、身体の中の何かが弾ける。あぁ、彼は今、私を女として見ているんだ。ギラギラとした瞳。それは、獲物を狩る肉食獣のよう。それから逃げようと、私はぎゅっと目を瞑る。彼の指が、私の髪を離れて頬を伝う。ぐい、と顎を掴まれ、そのまま口付けをされた。

 何度も角度を変えながら落とされる優しいキスに、私の身体からは力が抜ける。それだけで頭がふわふわして、多福感でどうにかなりそうだった。

 しばらくそうしていた彼が突然、自らの舌で私の唇をこじ開けた。僅かに開いた隙間から、熱くてねっとりとした舌が侵入する。

 彼の熱と香りはますます強く、私を襲う。

 触れるか触れないかの絶妙な力加減で歯をなぞられ、かと思えば吸うように舌を絡ませられる。静かな部屋に水音を響かせながらの口付けに私の身体は火照り、そしてもっと、彼を求めていた。


 彼の長い指が、私のブラウスに手を掛ける。一つずつ外されていくボタン。露わになった肌に彼は噛み付き、そして、私をベッドへと押し倒した。


 *


 その時から、私の生活は一変した。一週間に一回は夜に出かけ、朝に帰ってくる。昼間の太陽の下で彼と会うことは、なくなっていた。

 明るい空の下で笑う彼を見れなくなるのは悲しかったけれど、その代わりに夜薄暗い部屋で私を見下ろし、切なそうに名前を呼ぶ彼を見られるようになった。


 彼女にも、友達にもヒミツの関係。

 それの終わりは、秋の足音と共に突然やってきた。


 彼からの、夜の呼び出し。

 私はいつものように車に乗り込んだ。そしていつも通り国道を使いネオン街へと向かう。私はいつも、流れる景色を見ながらだった。

 部屋を決め、鍵を開け、ベッドに座る。流れはいつも大体同じだった。時々彼が突拍子もないことをし始めることもあるけれど。

 お互いに一度ずつ昂りを放ち、布団の中でくっ付いて寝る。この時間が私は一番好きかもしれない。それに彼はお喋りで、この時もよく喋っていた。

 その日は、いつもと同じ声色でこう言った。


「ごめん、もう終わりにしよう」

「え……」


 身体の中の熱が一気に溶ける。先程までの興奮も、熱情も一気に冷めていくのがわかった。


「彼女と、仲直りした」

「……そんな、急に」

「ごめん、ほんと」


 ぎゅう、と私を抱き寄せた彼の素肌が、私の頬に触れる。トクトクと鼓動する彼の心臓だけが、いつも通りだった。


「……んで、急に……やだよ、そんなの」

「──でさ、バレたかもしんないんだよ、彼女に。だからしばらく会えない」


 彼がそう言ったと同時に、ベッドボードに置いてあった彼の携帯がけたたましいアラームを鳴らした。

 彼は気怠そうにそれを止め、起き上がる。


「今日はこれでおしまい。シャワー浴びておいでよ」

「……うん」


 こんなに酷いことをされたのに。言い返せもしない私は、ただ大きな悲しみを心に湛えていた。


 シャワーを終えて出ると、彼の姿はそこにはなかった。その代わりに、机に置かれた一万円札。それには、『タクシー代置いとく。ホテル代は払っとくから朝まで寝てていいよ』と書かれた汚い文字のメモが添えられていた。

 震える指でそれを取り、私は初めて泣き崩れた。とめどなく溢れる大粒の涙は無限に湧いて出て、頬を伝い床を濡らす。子供のようにしゃくりあげながら泣いて泣いて、そのうちに寝落ちしたらしい。硬い床の上で目が覚めたのは、朝になってからだった。


 *


 あれから、彼と連絡は一切取っていない。あの一万円札は、何となく使わずに置いている。ホテルから泣きながら家まで歩いて帰ったあの日から数ヶ月──季節は巡り、彼と出会った冬になっていた。

 私は、彼のこと忘れられずにいた。心にポッカリと空いた穴を埋めることも出来ずただ日々を消化していくだけ。

 もしかしたら、また気まぐれに呼び出されるかも。そんな風に、思っていた。

 今夜は何年かぶりに関東に大雪警報が出ていた。夜九時の時点で地面はうっすらと白くなっていて、このまま降り続けたら明日には十センチほど積もるだろうと言われている。

 私は、灰色の空から落ち続ける雪を見ながらただ一人感傷に浸っていた。

 ──そこに鳴る、一本の電話。

 私は慌てて携帯を確認した。


「も、もしもし……?」

「久しぶり」


 ずっと聞きたかった、彼の優しい声。

 私の双眸から、涙が溢れ出る。


「どうして、急に」

「雪降ってたからさ。初めて会った時も雪だったじゃん」


 ──彼はちゃんと、覚えてくれていたらしい。

 キラキラとした雪の中で初めて会ったことも、その日、初対面にも関わらず雪合戦をしてはしゃいだことも。


「うん……そうだね」

「あのさ……彼女もオレのこと疑うのやめたみたいだしまた会わない? またしようよ」


 "しようよ"その言葉を聞いた瞬間に、私の心が冷めていくのがわかった。

 彼は何かを喋っているようだけれど、私にはただ下品な男の声にしか聞こえなかった。私は勢いに任せて電話を切り、ついでに着信拒否設定をした。

 はらはらと落ちる涙は止まる気配はなく、降る雪も止む気配はない。

 そうだ、あの一万円札。もう会うこともないだろうし、縁起も悪いから使い切ってしまおう。積もった雪が溶けたら、街に繰り出して美味しいご飯を食べて、可愛い服を買って、思う存分ゲームセンターに注ぎ込もう。


 ──好きだった友達は、もういない。


 悲しいのに、何故だか笑えてしまって私は泣きながら声を上げて笑っていた。

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