拾ったのは生体兵器 1
「な、昨日の会見見たか?」
「見た見た、あのアンドレイって人、結構イケメンだったよね」
「そうそう、というか今朝のニュースでやってたけどあの人39歳らしいね、あの年で外務大臣みたいな地位ってケッコーすごいんじゃない? 知らんけど」
「マチリークって滅茶苦茶寒いらしいからやたら青白い顔してなかった?」
次の授業が始まるまでの僅かな時間を、クラスメイト達は昨日の会見について話し合っている。普段はゲームとか漫画とかテレビ番組とかの愚にもつかない話ばかりで、間違っても社会問題の話とかしないのに。今は異口同音に人気者の女子グループから冴えない男子達まで同じことを言っている。
「これってひょっとして日本とマチリークで戦争とか起きるんじゃないの? そしたら世界の警察のアメリカも出張ってきて第三次世界大戦勃発みたいな?」
「いや、マチリークだってそうなったら軍配が自分らに上がることはないってことくらい分かってるだろ。やるとしたら、あそこに物資を供給してるのはロシアって噂だから戦うのは自衛隊でいわゆる代理戦争ってことになる」
こういう安っぽい自分をごまかすために、どっかの評論家やアナウンサーの言葉を借りて自分を賢く見せる人間が私は嫌いだ。特に司会者ぶって大声で話す輩がやたら凝ったことわざや熟語を使うのは不快という言葉では説明できないほどイライラする。
しかし、周りからしたら私も同じように見えるのだろう。
というか私自身、彼らと私の明確な違いを説明できない。では、私が彼らと異なるというなら私は一体何者なんだろう。いつから自分の存在価値なんかを真剣に考えるようになったんだろう。
そんなことを思いながら、私、大葉千明(おおばちあき)は揺れ動くカーテンを見ていた。
これといった取り柄もなく、成績も上の下くらいの癖に、品がなくゲラゲラ笑う私よりも成績や運動神経が良いクラスメイトを冷めた目で見ている。
こういうのを中二病と言うのだろうけど私は多分違うと思っている。でも、そんな自分が私は嫌いだ。こんなんだから私は片手で数えられるくらいしか友達がいないし、部活から勧誘されたこともない。我ながらめんどくさい女子高生だと思う。人付き合いってどうやるんだろう。
「ねぇ千明はもしどうなると思う? 戦争になると思う?」
私があと2分で授業が始まるのに前の時間の板書が消されていない黒板を睨みつけていると、急に隣から犬橋詩音が話しかけてきた。
雪みたいに色白で腰まで届く黒髪が特徴的な、いわゆる和風美人の詩音は多くの男子が密かに思いを寄せているというが、とある事情から告白した者は私が知る限り聞いたことがない。
幼馴染で、私の数少ない友達なんだけどこんな美人がそばにいると私が詩音の引き立て役になってやしないかが少し気になる。そして、今までこの子の名前の由来を色々考えてきたけど未だに答えが分からない。何を思って詩音の親は詩の音なんてわけわからん命名したんだろう。マタニティ・ハイ?
「さぁ? もしかしたら起きてもこっちは反戦デモとかしてる内に何もできないまま滅ぼされちゃうかもね」
「あはは、かもねー今の内に一緒に国外逃亡しちゃおうか」
「何で何も悪いことしてないのに逃亡するのよ」
「はっ確かに」
そう言って詩音は私の後ろの席に座った。詩音は普段はこういう社会問題なんか心底どうでも良さそうに捉えてる。けど、これに関しては女子グループでも話題になってるから、嫌でも参加しないとハブられてしまうんだろう。
周りに合わせて自分の中身を服を着替えるように入れ替えることができる詩音の器用さに感心しつつ、私は彼女を哀れんだ。同時に私は詩音のように立ち回れないことを改めて感じた。
チャイムが鳴ると同時に日本史兼担任の木佐貫が入ってきた。
「おいまた黒板消し忘れてるぞ! 斎藤と榊、お前ら日直だろ!」
そして、英文が残ったままの黒板に顔をしかめて日直の二人を叱責する。
この50代の担任は自分が来る前までに黒板が消されてないと職員室に帰ってしまい、日直が謝罪に行くまで地震が起きようが絶対に戻ってこないという、ゴミのようにうざい教師だった。腕がものすごく毛深いのはリスカ痕を隠してるからだと前に誰かが言って、教室が爆笑に包まれたのを覚えてる。私は笑わなかった。
今日もまた職員室に回れ右するのかと思ったら、流石にやりすぎて教頭あたりに怒られたのか引き返さずに教壇に上がった。
「二人が消し終わったら授業始めるぞ。そんで昼から臨時の職員会議を行うから5限以降の授業は中止だ。全員帰って復習しときなさい」
木佐貫が言い終わるより前に教室には歓喜の雄叫びが噎せかえった。私も嬉しかった。特に5時間目の数学の提出課題をまだ済ませてなかったし。
「何で職員会議するんですか?」
日直の生徒がチョークの粉を黒板下のレールの隅に集めながら木佐貫に訪ねた。
「マチリーク・アルミアがもし日本と交渉が決裂して戦争状態になった場合、授業とか行事とかどうするかってのを話し合うんだよ。あのジェスタフっていうのが悪意にはどうたらって言ってたろ? ここ東京から近いしな」
戦争も仮定の話なのに、わざわざ授業を中断してまで対策を練るようなことでもないとは思うけど、何にせよ早く帰れてよかった。マチリークありがとう。
***
「第二次世界大戦後に日本軍の捕虜がソ連に不当に拘束され強制労働されたシベリア抑留の話が教科書に載ってるが、今のマチリーク問題もこれと地続きの問題なんだな。今マチリークと呼ばれているあの島は日本側では何というか知ってるよな? 犬橋」
「えーっと北海道でしたよね」
「そうだ。あそことあとは大きく分けて根室半島、歯舞群島、国後島、色丹島、択捉島も今はマチリークが支配しているが本来なら日本の領土だ。第二次世界大戦末期に北海道と今言った島々は当時のソ連軍に占領されて、その後も日本が降伏後も兵を退かずにそれどころか日本軍の捕虜を連れてきて農作物の栽培や軍需品の製造をさせた。
ただ、やりすぎたんだな。北海道とかには元々日本人がたくさん住んでたが、捕虜どころか逃げ遅れた彼らまで強制労働に加担させ、拒否すりゃ容赦なく殺したらしい。それだけじゃなくナチスの捕虜にソ連の囚人や懲罰部隊の兵士まで労働させ、軍人は現地で彼らをこき使って使えなくなれば殺し、自分達は没収した迎賓館や軍基地で悠々自適の生活を送っていたらしい。
結果、ついにブチギレた捕虜や囚人達が現地の指揮官を殺してしまい、後に退けなくなった彼らは敵同士だったのも忘れて手を組み武装蜂起した。それに呼応して根室とかの捕虜も反乱を起こした。ここまでの反乱なんか想定してなかったソ連軍はすぐに撤退し、今はロシア領の樺太まで一時は奪われた。
ただ、装備を整えたソ連軍の反撃で、油田があって占領地で特に重要な箇所だった樺太は激戦の末に奪還され、北海道も奪われるのは時間の問題だったって時にあることが起きた。何か分かるか? じゃあ木村」
「多分、スターリンの死亡ですよね」
「うん、そうだ。その後任のマレンコフはスターリンの遺言に従って北海道を奪還する気だったが、彼を追放して最高指導者となったフルシチョフは冷戦中というのもあって軍備を温存しておきたかった。油田のある樺太さえ手中にあれば、あとは不毛な戦争を続けて北海道を取り戻しても損失に見合う旨味はないと考えた。ということで、1955年の10月に突然樺太以外の占領した島々を全部日本に返還して、解決を日本に丸投げした。その後も派兵は検討されたらしいがベトナム戦争で立ち消えになったとか。
そんで今のマチリーク人の先祖達は一応勝ったわけだが、強制労働中も戦争中も、日本国内でありながら一切支援をしなかった母国に失望した者も多くいた。それどころか警察予備隊を鎮圧のために派遣したのは彼らにゃかなりショックだったんだろう。ロシア人は言わずもがな旧日本兵も自分らは棄民だと思って本国には帰らず、そこで新しい人生を始めることにした。
こう言うと被害者みたいだが、マチリークはその後ソ連が手を引いた後も資源や領土を巡って戦国時代のような内戦に明け暮れて、一説によればまだ成立から半世紀ぐらいしか経ってないのに当時を知る年寄りは軒並み死んでもう皆無に近いらしい。それでいて見かねた国連軍が介入に来た時は呉越同舟に団結して撃退してしまうんだからタチが悪いな。
ただここ7年くらいはマチリークは確認されてる限り内乱は起きてない。やっと狭い島内で殺し合うことの虚しさに気づいたのか、あるいは自国領を攻めるより他国を攻めた方が見返りは大きいと考え始めたのかはまだ分からないが、とりあえずあのジェスタフってのがまともな人格の持ち主だというのに期待して、政府も政府でバカなことはしないでほしいな。よし授業は終わりだ。帰りのホーム―ルームこのままやるぞー」
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