第3話 密室

 誰かの声が聞こえた気がしてジリアンが目を覚ますと、どこか部屋の中、しかもベッドで寝ていたことが分かった。背中や頭は痛むけれど、触った限り特に傷はない。


(ここは?)


 薄闇の中手探りでベッドから下りてすり足で歩くと、何か家具らしきものにあたる。そこからランプを探し当てて明かりをともすと、小さいが調度の整った部屋だということが分かった。質素だが、女性の部屋という雰囲気だ。

 不安と疑問で首を傾げたジリアンは違和感を覚え、次いでギョッとした。

 ランプの横にあった鏡台掛かっていた布を乱暴に引く。そこに映っていたのは、豊かに波打つ髪を腰まで垂らした美しい女だった。白い肌に、濃いまつ毛に彩られた瞳とふっくらとした唇が、妖しいくらいの色気を漂わせている若い女。

 一瞬警戒するも、やがてそれが自分だとわかってジリアンは唖然とした。


(どうして)


 年単位で時が過ぎたのかと血の気が引いた。

 手足が冷たくなり、力なく鏡台の前に座り込む。

 顔に関しては鏡に何か細工があるのだろう。あるいは光の加減のせいだ。あんな女をジリアンは知らない。

 それでも伸びた髪は自分のもので、数本抜いてみれば頭皮がチクリと痛み、自分では見たこともない長さの毛が手に残る。


 レインのもとにたどり着くことができなかった。

 ヴォルフは助かったのだろうか。ジリアンを見捨ててくれていいから、無事でいてほしい。生きていてほしい。


 両手を組んで祈り、とにかく状況を確かめようと思った。

 服を見て見れば、逃げた時のままだとわかる。髪は何かの魔術でこうなったのだろう。そう考えれば、天窓から見える夜空に、まださほど時間がたってないのではと希望が持てた。

 ほかに窓は見当たらない。元々ないか埋めてしまったようだ。

 ドアは外から鍵をかけているのかピクリとも動かない。


 ジリアンは必死に頭をフル回転させながら、うろうろと歩き回った。武器になるものは置いていない。小さなハンカチが一枚ポケットに入っていたので、とりあえずそれで髪を束ねた。


 ヴォルフを襲った男たちに捕まったのなら、ここは北の丘にある切妻屋根の古い屋敷だろうか。あいつらは何者なんだろう。なぜ突然ヴォルフを襲った?

 

 やつらのニヤリと笑った口元に牙が見えた気がした。

 狼の仲間? それともまさか吸血……。いや、そんなはずはない。

 あまりにも急で確かめる暇もなかった。逃げろと言われてすぐ行動できたのは、子供のころの経験のせいだ。ぐずぐずしてしまえば、かえって足手まといになると分かってるから。


 うるさい心臓をなだめながら椅子に乗って天窓に手を伸ばしたけれど、やっと指先が届いただけで外の様子は確認できなかった。

 その時だ。


「おやおや。僕の麗しの乙女は、小鳥になって飛び立つつもりかい?」


 この嫌味なほど気障ったらしい話し方は――


「カール・ファイツ?」


 勢いよく振り返ったせいで椅子がぐらつき、どうにか体勢を整えて息をつく。ジリアンが危険だったにもかかわらず、カールは腕を組んで薄笑いを浮かべながらドアから一歩も動いていなかった。

 ゆっくり床に足をつきながらカールに目を走らせたジリアンは、彼が普段と雰囲気が違うことに気づいた。


 カールはひと月ほど前にリムン町にやってきた。ジリアンたちのコーヒーショップに来たのは偶然で、父の仕事の手伝いで、あちこち調査をしているのだと話しているのを耳にした。長くても半年ほどで次の土地に行くと。


 見た目は十代後半の少年なのに話し方が気障なので、町の女性からは面白がられていた。柔らかそうな金髪に黒に近い青い目。にっこり笑った顔は可愛らしいが、時折不相応なほど大人びた表情になる。コーヒーは酸味の強い豆のブラックを好んだ。


 瞬時に客の情報が浮かぶが、今必要なのはこれじゃない。それは分かっているのに、なぜ彼がここにいて、しかも舐めるようにジリアンを見ているのかわからなかった。

 それでも頭の中で警告音が鳴り響いてる。

 それはあの三ツ頭の蛇が近づいてきた時よりも大きかった。


「こんばんは、カール。今日は白い服ではないのね」


 カラカラに乾いた唇をなめ、シャツやタイまで黒づくめの彼の装いに言及すると、カールは残忍さに無邪気を溶かしたような顔で笑った。


「ああ。今夜は正装しないといけないからね。君を花嫁にするんだ。当然だろう」

 そう言ってばさりとマントを翻すと、彼は瞬く間にジリアンの前に立っていた。足を動かしたところも見ていないのにだ。


(なっ!)


 思考が停止するジリアンの髪からハンカチをとり、カールは愉悦の表情を浮かべながら髪に指を差し込んだ。


「思ったより早く薬が効いてよかった。やはり黒バラの君はこうでないと」

「くすり?」

「ああ。魔女がこしらえてくれた薬さ。ほんの一時間でここまで髪が伸びてくれた。礼をはずまねばいけないね。――まあ、あの世で受け取れるかどうかは知らないけど」

「どうして」

 くつくつと不気味な笑い声に体中が冷たくなっていく気がする。


「どうしてだって? あんな短い髪では、君本来の美しさが小指の先ほども出やしないだろう。僕の花嫁は美しくないといけないんだ。今の君みたいにね」


 じりっと後退しようにも、腰に回された腕に力がこもり、胸がぴたりと着くほど引き寄せられてしまう。


「わ、私は、誰とも結婚なんてしないわよ」

 頑張って気軽な調子で言って、ついでに微笑みもうかべてみせるが、カールは舌なめずりをして軽く首を振った。

「いや、するさ。君はやっと探し当てた僕の花嫁だよ」


 カールの手で後頭部を抑えられながら、ジリアンは開けたままのドアに素早く視線を走らせる。どうにか隙をついて外に――。


「ふふっ。外には僕の配下がたくさんいる。出ようとしても無駄だよ、愛しいロジェトワール」

「っ! なぜその名を!」

 とっさに口をつぐむがもう遅い。ジリアンの答えは正解だと言ってるも同然だった。


「探していたと言っただろ? 十五年もかかったんだ。あの愚か者たちのせいでね!」

 怒りに光る眼がジリアンを捉えた。

「小さな噂を元に、君を探し求めて世界中を旅したよ。ようやく見つけたと思ったら、蛇に食わせただって? 冗談じゃない。だからあの町は、あいつらの望み通り廃墟に変えた。当然だろう」

「嘘……」

「嘘なものか。褒めておくれ、愛しい人」


 呆然とするジリアンの唇に冷たい唇が重なる。

 その瞬間、故郷が炎に包まれ灰になる様子がはっきり見えた。人々が逃げまどい、何人もの悪鬼に襲われ倒れていく様が。まるでその場にいるように、音や匂いまで感じた。


「わかっただろ?」

 唇を話して微笑むカールは、二十代後半の青年の姿になっていた。その口元に大きな牙が見え、ジリアンの足は突然がくんと力が抜ける。

吸血鬼ヴァンパイア……」

 囁きにしかならない声に、カールは甘美な微笑を浮かべた。

「ああ、そうだよ。我が花嫁」


 恐ろしいほど美しいその姿は、あの町を廃墟にした悪鬼――吸血鬼ヴァンパイアを従えていた王のものだった。

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