第32話 八八艦隊!?

「で。ハワイの件を知ってる上に、掛澗かかりまのお嬢が連れてきたってことは相応のお嬢様とお見受けする」


 秋山真之は、執務室机に腰かけたまま玲那へと問いかける。


「……有栖川宮家第二皇女、有栖川宮玲那と申します。」


 スカートを摘まんで一礼すると、ほう、と一言、彼は玲那の顔を覗き込んだ。


「有栖川宮家……ふむ、『末席組』か……なら良いか」

「……はい?」

「面倒な礼儀は省くってだけだ」


 その答えに、ぽかんとする玲那。何度かその言葉を咀嚼して、ようやく男のいわんとすることが見えてくる。

 末席組、とは有栖川宮家から閑院宮家までの、宮廷序列下位3宮を指す言葉で、影響力の乏しさを皮肉った括りだ。で、礼儀を省くということは。


(はぁぁああああ~~!?)


 この男、玲那を舐め腐っている。

 ぴきぴきと笑顔を作って、玲那は声を返した。


「これでも、皇族なのですけれど」

「そりゃ承知してる」

「……失礼。儀礼がどうも陸軍と異なるようで。戸惑ってしまいました」


 言うと、どははっと彼は笑った。


「そりゃ結構! 海軍ウチの洗礼ってわけだ」

「……はい?」


 秋山は、窓の向こうに見える水面へと振り返る。


「知ってるかお姫さん。海の上ってのはな、別世界なんだぜ?」

「……」

「あれは戦艦『三笠』。最新鋭の敷島型2番艦にして、『富士』『八島』に続く皇國海軍三番目の戦艦だ――とんだ図体だろう?」


 玲那は目を見開く。戦艦三笠。令和の時代では、この国に唯一残る旧海軍の記念艦だ。前世で見た通りの横須賀の公園に横たわっていた艦影が、そっくりそのまま、窓の向こうの水面に浮かんでいた。


「でもな」


 そんな『三笠』を指差して彼は言う。


「大海原に出た途端、あんなにデカい船とて600名で完結する小さな世界だ」


 陸とは物理的にも心理的にも切り離されて、孤独な社会になると言う。


「たとえ海が荒れようと、舵が壊れて漂流しようと、なかなか助けちゃ貰えない。そもそも外に助けを呼ぶことすら陸上とは桁違いに困難だ。船ん中のちっちゃな世界でなんとかせにゃならん……だからこそ、一人一人の腕前がモノを言う」


 ごくり、と玲那は喉を鳴らす。


「徽章にもとり、なかりしか」


 噛み締めるように彼は言う。


「能力はこの襟元の星の数に足るか、絶え間なく問われ続けるんだ。佐官も将官も関係ねえ、この荒れ狂う大海原ってヤツにな」

「……っ」

。血筋も家柄も財も所詮はおかの話。船ん中じゃ関係ない――無力な者は相手にしない。船乗りが敬意を払うのは、実力のあるヤツだけ」


 そう言うと秋山は、じろりと玲那の瞳を覗きこんだ。


「で。有栖川宮家は、海軍ウチのどこにチカラを持ってるんだ?」


 蛇に睨まれたように硬直してしまう。けれどそれとはまた別に、冷静な部分では感心もしていた。土壌が違えば文化も違う。皇族という地縁血縁が、船の上で何になる――か。なるほどな、陸軍とは違うわけだ。

 わなりと震える手をどうにか抑えようと握った時、ぱんっと高い音が鳴った。


「はいはい秋山、そこまで」


 掛澗が手を叩いていた。うへぇと眉を寄せて秋山は彼女のほうを見た。


「おい水差すなよいいとこだろ」

「何が良い所でございますの、わたくしごときに逆らえないくせに」

「はぁ!? 何言うかこちとら海軍大佐だぞお前みたいなガキンチョ」


 その言葉に、ぱたん、と掛澗は帳簿を閉じる。


「では、申請なされている第四艦隊の配当予算は再検討ということに」

「おい嘘だろやめてくださいお願いします」


 この通りと机から飛び降りて膝をつく秋山。びっくりするほどの端正な正座だ。


「うわ……」


 さっきまでの威勢はなんなんだよ。

 ふん、と髪を靡かせる掛澗を横目にしらけていると、べそみたいな声で秋山がこう嘆く。


「でも本当に予算足んないんです、ゲチで。戦争賠償金からの海軍への割り当て額が史実と変わんないんです、枢密院が『史実でバルチック艦隊に圧勝できたんだから史実以上の梃入れは要らない』って言うから……」


 史実、か。秋山真之が枢密院議員ことは聞き及んでいる。何か懲罰的に枢密院を追われたということまではハワイ介入を仕組んだときに松方から聞いた。


「それはわたくしがお師匠様に申し上げて増額して差し上げましたわよね?」

「でも精々1600万圓ですぅ……『三笠』を二隻作るにも足りないんですぅ……」

「そもそも枢密院の言い分も一理はありますわ。史実みたいな無駄な強攻をしなければよくってよ。旅順湾なんか閉塞しなければ、『朝日』も『初瀬』も日本海海戦に出れましたのに」

「いやいやだって万一この世界線でも陸軍が旅順の攻略に遅れたら、出血覚悟で旅順湾を閉塞しなくちゃいけなくって……」


 掛澗と秋山のやりとりに、玲那は違和感を覚える。

 秋山が史実のことを知っているのはわかる。かつてとはいえ枢密院議員だ。しかしこの掛澗茶路という少女は、史実の英雄でもなんでもない、玲那が学修院から誘い出したただの御令嬢だ。なのになぜ、彼女から「史実」なんて言葉が出る?


「お待ちください掛澗さん」


 振り向く彼女に、一歩玲那は踏み寄る。


「どこでその言葉を知ったのですか」

「?」

「旅順湾閉塞も、日本海海戦も。知るはずのない言葉です」


 あぁ、と彼女は頷いた。


「そういえば姫宮にはお伝えしておりませんでしたわ。給仕のお仕事にあたって、お師匠様から色々と授かりましてよ。『史実』と呼ばれる……禁忌の知識も含めて」

「っ!?」

「ええ。俄かには信じられませんけれど、枢密院には未来人がいるみたいでして。ねぇ、秋山?」

「あぁ。そいつから仕入れた未来の運命を指針に、あの組織はこの国を動かしているんだよな」


 というか、それは姫宮もご存知でしょうと聞き返してくる掛澗。玲那はひっくり返るような衝撃を受ける。


「ちょっ、ま、松方、あの節操なし! 大蔵省では片っ端から給仕に至るまで史実概念を吹き込んでいるんですか!?」

「ひ、姫宮、落ち着いてくださいまし。全部の給仕じゃなくってよ。わたくしだけですわ、大蔵大臣お抱えの給仕は」


 自分は特別に教えられたのだと彼女は言う。秋山も頷いた。


「安心しろお姫さん。さすがにそのへんも枢密院は厳重に管理してる。今回のコイツは個人的に元老と師弟関係を結んだうえでの特殊事例だ。気に病むべからず」


 それよりも、と彼は笑う。


「お姫さんが知っていることのほうが気になるけどな」

「……っ」

「『史実』には、お姫さんの話どころか、有栖川宮家の話すら聞かない。令和時代とやらじゃ、お姫さんは俺ほど重要扱いされてない歴史人物のはずだ――だとしたら史実の英傑のみを引き込んで史実知識を与えるっつー枢密院の方針には合わないはずなんだけど」


 どの経緯で知ったんだか、と玲那に目を合わせてくる。おっと不味いな、玲那が転生者であることまでは知らないらしい――白状する利益はないし、さぁどう切り抜けようか。


「説明差し上げましたでしょう」


 そこに、掛澗の声が割って入る。


「わたくしとお師匠様を出会わせたのは姫宮です。わたくしより、姫宮の方がお師匠様との関係が長うございますわ」

「……あー、そうだったっけ」


 納得顔の秋山に胸を撫でおろす。この二人には松方の縁で知ってることにしてもらおう。

 とにかく、ゲームストーリーの話までは露見していないようでなにより。そちらは歴史の知識以上に玲那の運命に直結する。これ以上この話を引っ張るとボロも出かねないし、早いとこ話題を戻してしまおう。


「失礼いたしました。話を逸らしてしまいましたね」


 どこを喋っていらしましたか、と玲那は問う。


「あー、なんだっけ」

「海軍予算が火の車という話にございますわ」

「あ、そうそう。てかそもそも陸軍が史実5600万だったところを1億も持ってくから海軍は悲惨なことになってるんだけどな」


 秋山の言葉に呆れる掛澗。


「何を理不尽ぶられて……賠償金割当が少ない代わりに、一年あたりの軍事費の大半は海軍に回しておりますでしょう?」

「あーうるさいうるさいぞ」

「国家予算の軍事費枠を毎年食い散らかして。海軍にも困ったものですわ」

「まじかよ」


 何ださっきの秋山の悲痛な表情。詐欺じゃん。


「フフ……バレてしまったか」

「この3年間でもう国庫から海軍に累計3億圓をつぎ込みましてよ。史実で日露戦争までの国庫からの海軍費は累計3億5000万ですもの、計算上はもう、バルチック艦隊を迎撃できるはずでなくって?」


 詰めよる掛澗。秋山は両手を挙げてじりりと足を退く。


「OK、分かった落ち着け。ある程度形にはなってるから」


 そう言って資料を横流ししてくる。


「八八艦隊計画、ですか……――はぁ!? !?」


 その表紙を見てびっくらこいた。米英と建艦競争でも始める気か。


「きゃ!! ご勝手になにをされていらっしゃって!? 史実の大戦景気中盤にすら国力が届いていない皇國に、戦艦8巡洋戦艦8を飼う余裕はありませんわ!」


 掛澗も悲鳴を上げた。


「待て待てふたりとも落ち着け。史実の六六艦隊計画は知っているか?」

「六六艦隊計画……?」


 玲那の記憶にはない。けれど、掛澗のほうは思い当ったようだ。どうやら松方経由で知っているらしい。


「たしか、史実で日露戦争を前に遂行された計画で―――あぁ、そういうことでして。仰天させますこと……」


 彼女はふぅと胸をなでおろす。


「六六艦隊計画は、戦艦6装甲巡洋艦6を対露戦に備え、史実日本海軍が実行した建艦計画でしてよ。」

「あぁ……そういうことですか」


 秋山は涼しい顔でどこからか持ち出した万年筆をくるくると回す。


「その通り。八八艦隊計画は、戦艦8装甲巡洋艦8を皇國海軍の基幹戦力として整備する計画だな。清朝との戦争で大破した『富士』がやっと修理を終えて富士型2隻が戦列に揃ったし、新造するのは6隻だ」



「八八艦隊」――建造計画

 ・敷島型戦艦4隻

 『敷島』『朝日』『初瀬』『三笠』

 ・筑波型巡洋戦艦2隻

 『筑波』『生駒』

 ・八雲型装甲巡洋艦2隻

 ・吾妻型装甲巡洋艦2隻

 ・出雲型装甲巡洋艦2隻



 資料を手に取って、玲那は息をつく。史実より多い戦争賠償金の恩恵で、史実に加えて筑波型2隻と出雲型2隻が戦列に加わる形か。


「装巡についても、清朝との戦争中に浅間型2隻が就役している。あと建艦しなきゃならなかったのは6隻で、史実は装巡全て列強に発注するか購入するかだったが、今回は戦争賠償金で最新鋭のドックを呉と横須賀に造ったからな。なんと国産だ」

「え、それって大丈夫なのですか? 突然沈んだりとか……」


 清朝に勝ったとはいえ所詮はまだ三流国家。この時代の国産を舐めてかかってはいけない。下手したらまるゆ以下だろうから。


「史実じゃ清朝賠償金から技術革新の費用なんて存在しなかったのに、今回は2000万圓も割り振って基礎工作技術向上に努めてる。戦艦三笠1.3隻分の予算だぞ?流石に装巡くらいは建艦可能になってるわ」


「ええ。そもそも戦争賠償金による莫大な軍需で工場も技術的に進歩していますわ。大量生産で連続で生産していれば、基礎工作技術にしても自然に伸びましてよ」

「そんなものですか……?」


 とはいえ、たしかにこの軍拡による特需、製鉄所及び付属の工業団地が建設された八幡や神戸以外では、呉、横濱、函館といった造船都市の拡大成長が著しい。

 装甲巡洋艦8隻と結構な量の水雷・潜水艇を建造していたら雇用も相当生まれるだろうし、そこで働く人を対象にした商業も集中する。結果造船所もこの軍拡特需を相当支えている。


 しかし、この経済成長を軍拡特需と称していいかはもはや怪しいところだ。民間も政府も通称として使ってはいるが、その実は長江南岸に築いた勢力圏への独占貿易が経済成長を大きく先導している。これは第一次産業革命的な成長になるから、少なくとも軍需ではないだろう。長江もしくは大陸景気と言うべきではなかろうか。

 閑話休題。


「まぁそれでも戦艦は建造できるはずがない。敷島型は史実通り王立海軍ロイヤルネイヴィー、筑波型も大洋艦隊ライヒスマリーネに発注した。国内での建艦は出来なくはないだろうが安全性に疑問がある。対露戦は文字通り死闘だから信頼性を確保したい。……敷島型1番艦ネームシップ以外は、着工から進水まで全て列強に面倒見てもらう形だ」


 一連の言い回しに、玲那は違和感を覚える。


「ネームシップの『敷島』は……?」


 訊ねると、掛澗と秋山が互いに目を合わせてほくそ笑む。


「ふふ……。とんだ決戦兵器を作られますわね、海軍は」

「そうだとも。書類上では敷島型1番艦と称されても、その実、もはや設計思想からして他同型3艦とは離れている」

「存じ上げておりますわ。超極秘裏に建造されている、皇國の切り札」

「ああそうだ大変だったとも。船体だけは王立海軍ロイヤルネイヴィーで建造して、その船体をはるばるスエズを越えて就役したばかりの初瀬と三笠に引かせて、喫水線上構造物は単冠湾秘密泊地で工作艦3隻動員による昼夜徹しての極秘建造中だ」


 秋山はあたりを見回して言う。


「枢密院の連中は、列強に建造を誇示したがってたがな」

「……博打に走るおつもりですの?」

「まさか。博打なんて大したもんじゃない、ただ連中が図に乗ってるだけだ」


 恨み言を吐く。事情は知らないけれど、思うところがあるみたいだ。


「けれど浮かれるのは分かりますわ……あの戦艦は革命的すぎましてよ。アレの登場で全世界の既存の戦艦は、すべて陳腐化しますもの!」


 ふんすと掛澗は、どこから出したか日傘をカン、と地面に打ち付ける。


「わたくしだったら公衆の面前でものたうち回りますわ。数十年、数億圓とかけて建造してきたと化しますの!」

「全くだ。あれを公開して建造なんてトチ狂ってる。全世界から叩かれ恨みをめちゃくちゃ買うことになるぞ」


 まったく話についていけないが、どうやらとんでもないものを枢密院と海軍は作っているらしい。


「本当に慎重に、露見しないように進めないといけなくってよ……――”弩級戦艦『敷島』”」


 その言葉に、玲那は目を見開く。


「ド級……戦艦?」

「ええ」


 掛澗は意地の悪そうに微笑んだ。


「主砲、30.5cm連装砲――6基12門」


 思わず口を開けてしまう。

 あぁ、そうか。世界がひっくり返るわけだ。


 20世紀前半の戦艦の典型的なタイプを形成した「弩級戦艦」。1906年に進水した王立海軍の弩級戦艦第一号”ドレッドノート”は、単一口径巨砲による武装と蒸気タービンによる高速機動力を最大の武器とし、戦略思想を遠距離砲撃戦へと導いたことで、それまでの中距離砲戦を目的に作られてきた戦艦群を全て旧式化させた。

 かくして海洋列強を半ば恐慌状態へ陥れた海のナポレオンであると言える。


「世界の恨みを買うには、皇國じゃ弱小すぎましてよ。やはりこの役目は、正式に弩級戦艦を進水させるのは、世界に冠たる大英帝国に担ってもらいませんと。」

「日露戦争に使うから結局世界にバレるのでは?」

「大丈夫だ。敷島型戦艦の注文時に、英国造船所に弩級戦艦の設計思想を吹き込んでおいた。結果的に英国は史実より一年近く早い弩級戦艦の就役を可能にするだろう。――つまり日露戦争中には、欧州にて世界初の弩級戦艦の進水だ。」


 秋山は咳払いする。


「そしてバルチック艦隊がインドを抜けたタイミングで皇國海軍は、英国の弩級戦艦の影響を受けて進めていた弩級への転換改造が終わったという名目で、すでに極秘裏で完成している『敷島』を就役、出撃させる」

「……乗組員の練度はどうするんですか?」

「バルチック艦隊がインドから台湾海峡に到達するまで3ヶ月ある。この間、生死を懸けて月月火水木金金な」

「素敵な労働環境ですね……」


 月残業100時間で飛び降りどうこうどころではない。終日労働1ヶ月だから、月残業400時間を3ヶ月の末に日本海で撃ち合いどうこうなのだ。これは死んでしまう。

 どうやら、『敷島』配属の水兵の労基違反は前提事項らしい。

 待て、この時代には労働基準法自体が存在しないのでは。つまり半ばシベリアか。


「さぁみなさん、日露戦争がんばりましょう!(白目)」


 文字通り、戦争とは死闘である。

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