第5話

 やってしまった。


 目を覚ますと、時計の針は八時を回っていた。昨日入念な準備を行い、中身は二十六歳の社会人なのだが、あろうことか寝過ごしてしまった。

 今朝は同じ登校班の五年生の生徒のインターホンで目が覚めた。

「安全第一」と表記されている黄色い班長旗をその子に渡し、先に行くように促す。小学生は近くに住んでいる生徒達で班を組み学校へ登校しなくてはならない。最上級生になる僕は、その班の班長だった。


 先生だった時は、朝早く集合し、クラス分けの掲示など、新学期の準備で大騒ぎだった。この時間には、既に昇降口に今年のクラスの名簿が張り出されているだろう。


 ふと、優香と母親が起きてないことに気がつく。和室を覗くと、そこには並んでぐっすりと眠っている親子がいた。優香はこの頃、まだ甘えん坊だった。自分の部屋とベッドが用意されているのに、両親と一緒に寝ていた。

「起きてー、遅刻確定しますよ」

 雨戸を開け、日差しを入れる。親子揃って朝が弱かったことを思い出した。

 優香は反応しないが、母は窓から入る光に晒されると、焦って飛び起きた。

「え、まって、今何時?」

「八時十分。」

 八時と聞いた途端、洗面所へ駆けて行った。

「ほあ、くうまで行くよ。ゆうかおおしてっ!もうなんでおおしてくれないのあの人は!」

 歯を磨きながら母は、おそらく二時間ほど前に仕事に向かった父に文句を言っていた。

 優香を起こし、急いで準備をさせる。朝ごはんを食べている暇がなかったので、その工程を飛ばし、着替えと歯磨きを済ませる。そうして僕らが車に乗り込んだのは、登校時刻の八時半だった。


 学校へ向かい、校門が視界に入らないギリギリのところで優香と僕は車から降ろされた。

「あんまり近いとバレちゃうから」と母はそのまま笑顔で帰っていく。

 優香と二人で校門へ向かう。曲がり角から顔を覗かせ、辺りを確認する。校庭や校門に人の気配はなかったので、急いで校門を通過する。

 過去に来てから、今日は二回目の学校になる。

 優香は今年から三年生、僕は六年生になった。

 六年生と三年生の昇降口は、少し離れた場所に位置していた。僕がこっちの世界に来た時に立っていた場所に、一年生から四年生が使う昇降口がある。そこを超えて奥に行くと、高学年の生徒が使う昇降口があるはずだ。


 優香と共に、先に三年生の昇降口に行った。

 クラス分けの名簿が張り出され、優香が自分のクラスを確認している。

 毎年、新学期に登校すると、昇降口の前には人で溢れかえっていた記憶がある。それを思い出すと同時に、自分達が遅刻していることを思い出した。

 優香は何も気にせず、名簿を見て目を輝かせていた。

「お兄ちゃん。るかちゃんとまた同じクラスだった!」

 優香は飛び跳ねて喜んでいた。

「そうか、良かったな」


 優香はこんなに喜んでいるが、この「瑠夏るか」という少女は、いじめに加担する。

 来年の夏の終わり、優香が四年生、僕が中学一年生の頃に、優香へのいじめは始まってしまう。だが、そこから一年半後に僕らが事実を知ることになるのも、この瑠夏という少女のおかげだった。


「てか、もうみんな教室にいるぞ」

 教室に行くことを優香に促す。

「うん。お兄ちゃんもクラス当たりだといいね!」

 優香は笑顔でそう言い、階段を駆け上がって行った。


 まずい。

 多分もうみんな席に座って待機している。確か予定では、九時から体育館に移動だったので、全校朝会には間に合うと思うのだが、遅刻は遅刻だ。

 仮にも未来では教師をやっているのだが。教師の頃に遅刻していたらと思うと、一年生のクラスに、揶揄されるのが目に浮かぶ。

 下級生が使う玄関を飛び出し、学校の裏側へ回る。うさぎ小屋やお玉杓子が蠢いている池を越え、学校で管理されている小さな畑の脇道を通る。一昨日訪れた時には、高学年の昇降口がある、学校の裏側を見ていなかったので、すごく物懐かしく感じた。


 昇降口に着くと、こちらにもクラス名簿が貼り出されていた。その紙には目もくれず、校舎に入る。

 一つだけ空いている下駄箱に靴を入れ、家から持ってきた上履きに履き替えてから、急いで六年二組の教室を目指した。


 六年二組。これから一年間、僕らはこの教室で過ごす。

 下駄箱を左に曲がると、突き当たりに「6−2」の学級表札がすぐに見つかった。教室の後ろのドアの小窓から恐る恐る室内を確認する。


 教卓には先生の姿はなく、黒板には乱雑に「五十分になったら体育館へ移動」と書かれていた。まだ今年の担任は発表されていない。この後の全校朝会で、各クラスの担任発表が行われることになっている。


 後ろのドアを静かに開ける。教室内には先生はいないが、どの子も自分の席に座り、深閑としていた。

 ドアを開ける少しの物音に生徒たちは反応し、全員が怯えた目つきでこちらに振り返った。その中には、ホームセンターで会った拓哉の目も確認できた。

 全体を見渡し、同級生の顔を凝視した。顔と名前が頭の中でしっかりと一致し、この頃の同級生を覚えていることに安堵する。


 自分の席に座り、持ち物を準備した。雑巾を洗濯バサミで椅子の下に吊るし、引き出しに筆箱と連絡帳を入れる。ランドセルは後方のロッカーに入れに行き、もう一度席に戻った。その時の時刻は八時四十五分を指している。

 教室はお葬式のような雰囲気で、誰一人口を開けていなかった。机の上はまっさらな状態で、全員が黙って時計を見るか、下を向いているだけだった。


 この光景も本当に懐かしいものだ。

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