第26話 九編 1
学問の旨を二つに分けて、中津の旧友に贈る文
人の心身の働きをよく観察すれば、大きく二つに分けることができる。第一は、一人の人としての人と、第二は人間社会の中で社会と接する時の人、の二つ。
第一。心身が求める衣食住の安楽を満たすことは、一人でいる時のことである。そうは言っても、地球上にある万物でひとつとして役に立たないものはない。一粒の種をまけば二、三〇〇倍の実を生み、深い山の樹木は育てなくてもよく成長する。風は風車を回し、海は運送の役に立ち、魚を育てる。山で石炭を掘り、川や海の水を汲み、火をつけて蒸気を作れば大きくて重い船や車を自由に動かすことができる。この他、造物主の妙工を数えればきりがない。人はただ、この妙工を借り、少し使い方を変えて自分のために使っている。だから人が衣食住を得るのは、すでに造物主によって九九まで整えられたものに、一の人力を加えるだけのことだから、人がこの衣食住を作るとは言わない。その本当のところは、道ばたに捨てている物を拾うようなものである。
だから人として自分で衣食住を満たすことは難しいことではない。だから、これができるからといって誇ることでもない。言うまでもなく、独立して生計を立てるのは、人間の一大事である。「自分の額の汗をもって自分の飯を食え」とは聖書の教えだけど、わたしが考えるには、この教えを守り、実行したとしても人間たる者の務めを果たしたことにはならない。この教えはただ、人間と禽獣とを分けて、人が禽獣に劣ることのないようにしているだけである。試みに見よ、禽獣魚虫で自ら食べる物を取らないものはいない。ただそれを得て一事の満足を得るだけでなく、蟻は遥か未来を図り、穴を掘って住居を作り、冬のために食料を貯えている。
そして、世の中にはこの蟻さんの行動で自ら満足する人がいる。今、その一例を挙げよう。男子が大きくなり、工業についたり、商業をしたり、あるいは官員になって、ようやく親類や友人の厄介にならないようになり、相応な衣食をして他人に不義理なことをすることもなく、自分に適した家に住み、家具はまだ整ってないが、妻だけはと、望み通り若い婦人をめとり、身も治まり倹約を守り、子供がたくさん産まれ、ひととおりの教育ならたいした銭もいらず、不時の病気などの費用に三〇円から五〇円は貯え、細く長くの長久の策を考え、とにかく独立した生計を得たと言って得意になり、世の人もこれを独立自由の人物と言い、とても大きな働きをしたように評するけども、それは大きな間違いである。この人はただ、蟻さんの弟子程度のものである。人生の事業は蟻さんを越えることはない。その衣食を求め家を作る時には、額に汗を流すこともあったろう。胸に心配することもあったろう。古人の教えに対して恥ずかしいことがないと言っても、その成功を見れば万物の霊長である人間の目的を達成した者とは言えない。
右のように、人は一身の衣食住を得て、それに満足するべきものとすれば、人間の渡世はただ生まれて死ぬだけになる。その死ぬ時の有様は生まれた時の有様と異ならない。このようにして子孫に代々伝えれば、何百年経っても一村の有様はもとの一村のままで、世の中に公の工業を興す者もなく、船も造らず、橋をも架けず、一身と一家以外のことはすべて自然に任せて、その土地に人間が生きた痕跡を残すことはない。ある西洋人が言ったことがある。「世の中の人がみんな自分の満足を知って小安に安んじていれば、今日の世界は開闢(かいびゃく)の時の世界と異ならないだろう」と。このことはまさにその通りである。もとより満足は二つに区別することができ、その境界を見誤ってはならない。一を得て、また二が欲しくなり、足りれば不足と思い、ついに際限のないものを欲と名づけ、他の言い方では野心という。その自分の心身の欲をどんどん拡大していって、達成しなければならない目的を達成しない者は無知で愚かと言える。
第二に、人間の性は群居を好み、決して独歩孤立するのを好まない。夫婦親子だけではこの性質を満足することができず、必ず広く他の人と交わることになる。その交わりが広ければ広いほど一身の幸福もそれに比例して大きいと思うものである。これが人間間で交際の行われる理由である。すでに世間に住み、交際している者の一人になれば、またそれにはそれの義務がある。およそ世の学問や工業や政治や法律などは、すべて人間が交際するためのもので人間の交際がなければそれらはすべて不用のものとなるのである。
政府がどういう理由で法律を設けるのか。それは悪人を防ぎ、善人を保護し、それによって人が交際しやすいようにするためである。学者がどういう理由で書を著述し、人を教育するのか。古く遅れた考えを善導して人の交際を保つためである。昔の中国人の言葉に「天下を治めるには肉を分けるように公平でなくてはならない」(漢の劉邦に仕えた智謀の士、陳平(ちんぺい)の言葉)というのや、「庭の雑草を除くより、天下の掃除をしようとしているのだ」(後漢の名臣陳蕃(ちんはん))といったものも、すべて人間の交際に役立とうとする志を述べたものである。誰でも少しでも得るところがあれば、それを世の役に立てたいと思うのが人情である。また、自分には世のために行おうとしてなくても、知らないうちに後世に徳となることをしていることがある。人間にこの性質があるからこそ、人間交際の義務が達成されるのである。
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