第17話 六編 2
罪人を罰するのは政府だけの権である。私的なものではない。だから、私的の力でこの強盗をすでに取り押さえ、捕らえてしまえば、平人の身だからこの賊を殺したり、ぶったりしてはいけないのはもちろんのこと、指一本も賊の身に加えることは許されない。ただ、政府に告げて政府の裁判を待つだけである。もしも、その賊を捕らえた後、怒りにまかせてこれを殺し、これをぶつことがあれば、その罪は無罪の人を殺し、無罪の人をぶつ罪になる。例えば、ある国の法律に「金一〇円を盗む者の刑罰はムチ一〇〇。また、足で人の顔を蹴る者の刑罰もムチ一〇〇」とある。そこでここに盗賊がいるとして、人の家に入り、金一〇円を盗んで出ようとしている時、主人に捕らえられ、すでに縛られた後にその主人が怒りにまかせて足で賊の顔を蹴飛ばすことがあるとする。その時にそのある国での法律でこれを論じれば、賊は金一〇円を盗んだ罪で一〇〇のムチの刑。主人もまた平人の身なのに私的に賊の罪を裁決し、足で賊の顔を蹴飛ばした罪で一〇〇のムチ。となる。国法の厳しさとはこのようなものだ。この厳しさを人々は知らなくてはならない。
右の道理をもって考えれば、敵討(かたきう)ちがよくないというのも納得がいく。ある人の親を殺した者はその国で一人の人を殺した公の罪人である。この罪人を捕らえて刑罰を加えるのは政府だけの仕事であって、平人の関わることではない。だから、その殺された者の息子といっても、政府に変わって私的にこの公の罪人を殺す道理はない。差し出がましい行動と言える。それだけでなく、国民の職分を誤り、政府との約束に背くものになる。もし、このことについて政府の処置が正しくなく、罪人をひいきするようなことがあれば、その筋違いの事情を政府に訴えるだけである。何かの事故があっても、決して自ら手を出してはいけない。たとえ、親の敵が目の前を歩いていても、私的にこれを殺す道理はない。
昔、徳川の時代に浅野家の家来は主人の敵討ちとして吉良上野介(きらこうづけのすけ)を殺したことがある。世はこれを赤穂の義士と言う。しかしこれは大きな間違いである。この時の日本の政府は徳川である。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)も吉良上野介も浅野家の家来も、みんな日本の国民で、政府の法に従い、その保護を受けると約束したものである。それなのに、ある時の急の問題で上野介という者が内匠頭へ無礼を加えた。しかし内匠頭はそれを政府に訴えることを知らず、怒りにまかせて私的に上野介を切ろうとした。そしてついに双方のケンカとなり、徳川政府の裁判で内匠頭に切腹を申しつけ、上野介には刑を加えなかった。このことは実に不正な裁判と言える。浅野家の家来も、この裁判を不正と思ったならば、どうしてこれを政府に訴えなかったのか。四七士が面々相談しておのおのその筋に沿い、法に従って政府へ申し出ればよかったのだ。しかし相手は暴政府。その暴政府だから、最初はその訴訟を取り上げず、あるいは、その人を捕らえて殺すこともあるかもしれないが、一人が殺されても恐れず、また代わって訴え出て、また殺されても訴え、四七人の家来が理を訴えて命を失い尽くすことになれば、どんな悪政府でも、最後には必ずその理に従い、上野介へ刑罰を加えて、裁判を正しくするだろう。
こうあってこそはじめて真の義士と称することができるはずなのに、この理を知らずに、身は国民の地位にありながら国法の重さを顧みず、みだりに上野介を殺害したのは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して私的に人の罪を裁決したものと言わなければならない。幸い、この時は徳川政府がこれらの乱暴人に刑罰を加えたから無事に収まったが、もしも、これを許していたならば、吉良家の一族はまた敵討ちと言って赤穂の家来をきっと殺すだろう。敵討ち敵討ちと果てしなく続いてしまう。双方の一族や友人が死に尽くすまで終わらないだろう。いわゆる無政無法の世の中とはこういう世の中である。私裁が国に迷惑をかけることとはこのようなものである。このようなことは慎まなくてはならない。
昔の日本では百姓町人が士分の人に対して無礼を加えれば、切り捨て御免という法があった。これは政府が公に私裁を許したものである。けしからんことである。すべての一国の法は政府だけが施行すべきものであって、その法の出るところがとても多ければ、その権力はそれに比例していよいよ弱くなる。例えば封建の世で三百諸侯のおのおのに生殺与奪の権があった時では、政府の力もそれに比例して弱かったはずである。
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