すぐそこにある歴とした現実と事実として

半崎いお

ありふれた幸せ

「あのさ! 今朝からすごく考えてたんだけどさ!!」

茉莉がこういう風に妙な圧を込めて言い出す時は、大抵突拍子もないヤツだ。

今日はなんだっていうんだろうか。

ため息をつかないように、細心の注意を払わなきゃならないくらいだっていうのに同時にほんのりワクワクしてしまう。


取り出されかけていたドリップコーヒーのパッケージをそのままそっとしまわれた。でも、僕がちゃんと聞こうとする姿勢をとらない限りその次の言葉を出すつもりはないんだろう。フンスカふんすか鼻息がここまで聞こえてきそうだ。うん、湯は沸いてる。仕方ないか。

「砂糖? 蜂蜜? シナモンは?」

カップにインスタントコーヒーの粉をパラパラカップに落としながら一言、そして「蜂蜜シナモン。ミルクはいらない」少々憮然とした声で答える茉莉。


あー、コーヒー入れるのって面白いな。そういえば、インスタントはこうやって粉を落とすし、ドリップなら雫を落としていくし、みんな落とすな。あ、いや、パーコレーターだと違うのか? 

「……ハルくん別のこと考えてるでしょ」

「あ、ごめん」

「大事な話しようと思ってるんだから真面目に聞いて! 全身で聞いて! 期待して!!!」

「あー、はいはい。わかったわかった」

「わかったは一回っ!」

そう言って背を向けてリビングに行ってしまった。

とろり、蜂蜜を落としたコーヒーの香りはどこかしらエキゾチックで、茉莉の雰囲気によく似合っている。気が強そうなのに、不安げな揺らぎを常にたたえて。


茉莉が買ってきて以来めちゃめちゃ大切にしている、貝殻の内側みたいな色のトレイに乗せて、コーヒーはリビングに運ばれた。さあ、今日は、何が出るかな。


前回は突然「きっと全世界は私が嫌いなんだ! じゃなかったらこんなに玉突き式に踏んだり蹴ったりしないはずだ!」という持論を展開し、最終的には逆に私ってばすごい恵まれてない!? みたいな結論に至った挙句、ガブガブとワインを飲んで猫を巻き込んで踊り倒していたし、その前は「実際にうさぎを宇宙で餅つきさせるには、あの長い耳はどうすればいいのか」だったし、本当に予測がつかない。


コトン、コトン、こん。

二つのカップと、一つのお皿をテーブルに置く。

一足先に座卓に陣取っていた茉莉はクッキーを見るとニンマリして即座にかじりついた。

いや、俺が座るまでは待てよお前。

いいんだけどさあ。

文字通り、かじる。茉莉はクッキーをいつも、リスみたいに両手で食べる。ハムスターでもいいかもしれない。でっかいやつだと頬張って、ほっぺた膨らませてるし。

今回は小ぶりの1枚だったので、すぐに一枚を食べおえ、ふーっとため息をつき、まだ熱いコーヒーをふーふーしながら、茉莉は話し始めた。


「あのね、なんか、この頃平和じゃない。平和で幸せ、でしょ?」

「……まあ、そうだね。」

確かにこの頃、大きなトラブルはない。茉莉が大人しくしていたとも言えるけど。

「うん、私も普通にしてたら、普通に普通の暮らしを送って、普通に幸せできるんだなぁって、思ったんだよね。それが、すごくやりやすい世の中に生きてるなぁ、って」

おお、茉莉にしてはかなりまともなことを言っているぞ? どうしたんだ?

「それはいいことなんじゃないのか?」

「うん、多分いいことだと思う。でもさ」

「でも?」

「なんかさ、こう、特別な何者かになりたいじゃん!! チートとか、超能力とか、第六感とか欲しいじゃん!!!」

バン!と座卓を叩きながら膝立ちになるほど興奮して、茉莉は叫んだ。

揺れる液面。振動で皿から滑り落ちそうになったクッキーを、見もせずに守るも、その拳は震えている。まだ酒は与えていないはずなんだが、どうした。

「どうしたんだ? なんかあったか?」

とりあえず聞いてみないことには話は始まらない。

「普通の大人にはなりなくない! とかって、言ってたじゃん私たちも」

「中学くらいの時にな」

「だって今私普通の大人だもん! 子供の頃の夢とは違うもん! せめてちょっと気の利いた予知とか ”禍が起こるのがわかる……” とか ”やめて! あなたたちは間違っているのよ、目を覚まして” とか ”前世の記憶が……” とかやりたいじゃん!! やってみたいじゃん!」

「占いとか習いたいって話?」

「あ!それいい!!!!……違くて!」

ノリツッコミかと思ったら素っぽいな。高額通信講座とか宗教がらみのに申し込まないように先回りして目につくところにカードとか本とか置いとくかな……いや、あいつ占い師になったんだっけ、遊びに来てもらおう。こういうのを放置したらロクなことにならないのは火を見るより明らかだ。

「じゃあ、陰謀論でも信じてみる?」

「信じられるわけないじゃん! 私あんなに簡単に他人に悪意があるって信じらんなかったもん!!!」

「……試したのか」

「あ、う、、うん」

いつの間に……知らなかった。どっかが被害受けてるとか、なんか取り返しつかないこと起こしてないかどうか調べないとだ。5年前に全く無関係なはずの他大のサークルぶち壊した悪夢が蘇るわ。

「余計なこと、しなかった?」

目を見て、問い詰める。

「……ワクチンにナノマシンを入れられるならこんな技術ができてるはずでしょ、って、添加物ってこういうものだって説明っていうか、お分かりいただいたけど……目が覚めた、って言ってくれた、よ?」

「……その件は後でまとめて詳しく聞くわ。それで?」

真っ白な猫が横切る。真っ白と言っても、腰骨のあたりに一箇所だけ黒いところがある猫だ。彼女曰く、この子は4代目で、最初の猫は鼻の上に一箇所黒いところがあったそうだ。二頭目は、首の後ろ。三頭目は肩の後ろ、なので、四頭目のこの子も初代の生まれ変わり、なのだそうだ。ちなみに名前は「ニコゴリ4世」だ。

「だから、第六感とか、欲しい!って思ったんだよぅ。特別になりたああああい!! チート欲しい!」

あー、そういえば最近ニヤニヤしながらスマホ見つめてなんか読んでたけどあれもしかしてWeb小説か。第六感、ねぇ。


「ねえ、茉莉。知ってる? 第六感の意味。」

「え。超能力? 霊感?」

「……本来の意味はね、五感以外の感覚、なんだよ。六つ目の感覚」

「そうなの?」

「そうなの」

意味もわからず騒いでたんか。まあ、そんなに離れた認識ではないけれど。

ケンタも撫でて撫でてとやってきた。5さいのマルチーズ。こっちは僕の連れ子なのでまともな名前がついている。


「犬ってさ、人より嗅覚が優れてるだろ? それによって、何時間前に誰がしたおしっこなのか電柱の匂い嗅げばわかるらしいし、癌発見犬なんているわけだよフェロモンなんてものも嗅ぎ分けてるし。そのための器官だってある」

「何それチート」知らなかったのか、目を丸くして茉莉がつぶやいた。そうだよね、チートに見えるよね。

「でも、犬は視覚がそんなに強くない。視覚に関しては、モンシロチョウなんかは、紫外線まで色として見ることができるから、その色でオスメスを見分けてる」

「何それ超能力じゃん」

「そうだね、視覚が拡張しただけだから、五感のうちだよね。人の能力を超えた能力だから超能力だよね」

ニコが茉莉の足の匂いを嗅いで思いっきりフレーメン反応をした。

くさいのかよ。

「動物は人を超えるのは分かったけど、私は、人であることを捨てたくない!」

「何そのアニメの決め台詞みたいなの」

「人であるままでチートが欲しい!」

清々しいまでの俗物的発言。茉莉はこういうところが可愛いよな。

でも、叫んだ途端にうずくまってしまった。

「大丈夫か?」

「うう、頭痛くなりそうな気がする。気圧かな」

「興奮したからじゃないか?」

「違うもん、雨降ったり気圧が変わるのわかるんだもん」

「あーはいはい」

「そういえば鳥には気圧の変化を感じる能力があって、それは渡鳥とかにはすごく便利って言うなぁ」

茉莉の顔がぱあっと輝く。

「渡鳥? わたし渡鳥の能力持ち? それってかっこよくない?」

「あー、そうね5感じゃないしね」

「……5感じゃ、ない、ね。視覚、聴覚、味覚、嗅覚……後なんだっけ」

「触覚、だね。よかったじゃん、第六感あるじゃん」

茉莉の顔が、わかりやすくカッとゆがむ。


「こう言うのじゃ、なああああい!!!」



なんだ、ダメなのか。

難しいなぁ。


まあ、僕にとって茉莉は一番の特別なんだけどね。

そんなのは悔しいから、言ってあげない。

それに、君の日常は第六感に塗れているなんて、教えてあげない。


気圧の変化を感じちゃうなんて、まさにそれだし。

そもそも、僕と会話できてるんだから十分にチートで第六感持ちじゃないか。



僕のカップはいつも、空。

だってもう、5年も前に死んでるからね。


今日も僕の茉莉は綺麗で可愛い。

いつか、このオモチャ箱みたいな女の子を、誰かが幸せにしてくれますようにと、触れられないカップを両手で包んで、祈るしかないのだ。


その当人はまだ、ひとりで百面相、してるんだけどね。






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