第13話 優しい笑顔と醜い心
花嫁が婚礼の日に着るドレスは、庶民にとっては一生で一番美しいドレスだ。
貴族の令嬢なら、夫婦揃って出かける舞踏会などでもっと美しいドレスを着ることがあるかもしれない。
でも庶民の娘は、婚礼の日にだけ許されるギリギリまで美しく装う。
財布事情が許す最上の布地を買い、夫となる人から贈られたレースや宝石を飾り、普段着では制約されてしまう華やかな衣装を心ゆくまで楽しむ。
本当に、一生に一度だけの贅沢だ。
そんな贅沢の極みであるウェディングドレスばかりが並ぶ店内は、別世界のようだった。
「きれい……」
さっきから同じ言葉ばかりをつぶやいてしまう。
それにため息が何度も何度ももれてしまって、ジョシュア様に笑われてしまった。
「きれい以外の感想は?」
「他の言葉なんて思いつかないわ」
「それは困ったな。全く参考にならないね。これが好きとか、こんなドレスが着たいとか、そう言う言葉が聞きたかったんだけど」
笑いながらの言葉は、いつも通りにも聞こえるし、とても意味深くにも聞こえる。
胸が痛むのに、つい高鳴ってしまう心を誤魔化そうと、私は何か言い返そうとした。
でも口を開きかけた時、近くから女の人の甘い笑い声が聞こえて、とっさに言葉を飲み込んでしまった。
「ジョシュア様。お若いお嬢さんに無理を言ってはいけませんわよ」
「おや、ミアリーナ……ではなくて、ここではフライム先生か。あなたも来ていたんだね」
「私の末の弟の結婚式の参考にさせてもらおうと思いまして。ああ、でもジョシュア様、本家にはまだ内緒にしていてくださいな。弟はまだプロポーズを成功させていませんのよ」
いつの間にか近くにいたフライム先生は、私に軽く会釈をしてからジョシュア様ににっこりと笑いかけた。
私のレース編みの先生で、若くして未亡人になっているフライム先生は今日もとてもおきれいだ。
もう三十代半ばくらいと思うけれど、少し首を傾げながら唇に指を当てる仕草は可愛らしく、その上とても色っぽい。
そんなフライム先生に、ジョシュア様は大袈裟に眉を動かして悩むふりをしてみせ、それから笑った。
笑いあうジョシュア様とフライム先生は幼馴染でもあるらしいけれど、並んで立っているとよく似ている。
二人のプラチナブロンドの色合いがそっくりだから、特にそう見える。
やはり、同じ血が流れているのだ。
同時に、二人で並んで立っている姿に全く違和感がないことに気付いてしまう。
二人ともすらりと背が高くて、年頃も近い。
フライム先生の方が少し年上だけれど、ジョシュア様も三十歳の立派な大人だからちょうどいい。
そんな二人に店員さんが近付いてきて、ジョシュア様に何事かを耳打ちした。
ジョシュア様も何か囁き返したようだ。
店員さんは何度か頷いていたけれど、私の方へちらりと目を向けた。それから足先から頭までを覚えていくように見ているようだった。
しばらく無言で目を動かしいた店員は、やがて微笑みながら何かを小声で言ったようだ。
すると、ジョシュア様はとても優しい顔で笑った。隣にいたフライム先生もくすくすと笑っていた。
ドクンと胸が鳴る。
そのまま、ズキズキと痛み始めた。
ジョシュア様のくつろいだ優しいお顔は……今は私にだけ向けられるのだと思い込んでいた。
ああ、これだからジョシュア様は嫌いなのだ。優しい笑顔で期待させるのに、現実を突きつけて私は真っ逆さまに落とされる。
ずっと妹でいるから。
子供扱いされてもいいから。
今だけでいいから、祭りの間だけでいいから、あの笑顔を他の女性に向けるのを見せつけないで……!
泣け叫びたい衝動に襲われ、私はぐっと奥歯を噛み締めて無理矢理に笑顔を作った。
「……私、先に外に出ているわね」
「リィナちゃん?」
「フライム先生がいらっしゃれば、ここにいてもジョシュア様が変な目で見られる心配はないわよ。店のすぐ外に、今日限定の果物ジュースを売っている出店があったでしょう? 私、あのジュースがずっと気になっているのよ。椅子もあったし、飲みながら待っているわね!」
嵐のような感情を押し殺し、私は手をひらひらと振って店の外へと早足で向かった。
ウェディングドレスがずらりと並んでいる広い部屋から出て、広い階段を駆け降り、店の外へと繋がる立派なドアをくぐる。
途端に、祭り特有の喧騒に包まれた。圧倒された私は一瞬足を止めてしまった。
品の良い静寂の満ちた贅沢な空間から出てきたから、いろいろな人々が行き交う通りの熱気にいつも以上に圧倒される。
でも、今の私にはそんな暴力的な賑わいがありがたい。
余計なことを考えてしまわないように、私は通りを渡ろうと足を踏み出した。
でも、思っていたより人の流れの勢いが強かった。あっという間に押されてしまって、口実に使った果実ジュースの店が遠のいてしまう。
本当に少し気になっていた私は、流されながら「しまった」と慌てた。
でも人の流れは止まらない。ぐいぐいと体を押され、引き返すことも、流れから逃れることもできなくなった。
この流れはどこに向かうのだろう。
私は肩を押されながら、少し伸び上がった。
どうやら、交差点にあるステージに向かっているようだ。祭りで集まった大道芸人たちを見に、ジョシュア様と一緒に行きたいと思っていたのだけど。
一人で行って、楽しいだろうか。気晴らしにはなるんだろうけれど。
……せっかく、こんなきれいなドレスを着ているのに、一人になってしまうなんて馬鹿みたいだ。
はぁっとため息をついた私は、向かいから歩いてきた人と肩が当たって睨まれてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて謝ったけれど、その男の人は不機嫌そうに舌打ちした。
ぼんやりしている場合ではない。気をつけなければと前を向いた時、突然肩を掴まれた。
びくりとして振り返ると、柔らかな色合いのプラチナブロンドが見えた。
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