第11話 では明後日に


「ねえ、リィナちゃん。ウェディングドレスを見に行かない?」


 ジョシュア様は手に持った内覧会の招待状をひらひら動かしながら、私を誘ってきた。

 これはいつものこと。

 六年前から続く、いつもの口実作りだ。

 今年で二十歳になった私は、針を止めて顔を上げた。



 膝の上には、明後日から始まるお祭り用のドレスがある。

 特訓を重ねたレース編みはともかく、刺繍も裁縫もあまり得意ではないけれど、自分のドレスに仕上げのレースを縫い付けるくらいはできる。

 今つけているのは、昨日ジョシュア様からもらったレースだった。


 ジョシュア様は三十歳になるより早く騎士を辞め、今はお父様の隊商のお仕事を手伝っている。

 そうなることを聞いたのは引退する一ヶ月前で、それまでこっそり泣いていた私はただ驚いてしまった。

 でもそのおかげで、ジョシュア様は私の家にずっと滞在してくれている。頻繁に遠くへと出掛けてしばらく会えない日が続くけれど、また必ず戻ってきてくれた。


 ここ一ヶ月ほども、ジョシュア様はしばらく南に行っていて、祭りの日が近付く中、ずっとお会いしていなかった。

 ドレス用のレースを作ると言っていたけれど、そう言ってくれたのは一年近く前だ。

 もしかしたら忘れているかもしれないし、覚えていてもずっと忙しかったから、完成が間に合わないかもしれない。

 そう思ったから、私は祭り用のドレスに別のレースをつけていた。


 でも昨日旅先から戻ってきたジョシュア様は、まるで貴族のご令嬢が身につけるような素晴らしいレースを持ってきてくれた。

 ジョシュア様から選んでもらった淡いクリーム色の布地を引き立てるような、細やかな模様が浮かび上がったレースだ。


 あまりにもきれいだったから、感激したお母様が知り合いに見せびらかしに持って行ってしまって、その日は戻ってこなかった。

 レースは、今日の昼になってやっとお母様が返してくれた。

 だから今、急いで付け替え作業をすすめているところだ。

 なんとか今日中に仕上がりそうな祭り用のドレスから目を離し、私は首を傾げながらジョシュア様を見上げた。


「もしかして、明後日にある招待会? ウェディングドレスばかりを集めているって話の?」

「そう、それだよ。大通りに面した店だから、行き帰りに祭りの出し物も見ることができると思うよ」

「そうなのね。もちろんいいわよ。今度はどなたの婚礼用のレースの参考にするの? ジョシュア様のご親戚に、結婚の予定があるお嬢様っていらっしゃったかしら?」


 私がジョシュア様の親戚のみなさんの顔を思い出していると、私の横に立っていたジョシュア様は変な顔をした。

 言葉にも詰まったようで、私に問いかけてきたのはしばらく間が空いた後だった。


「……リィナちゃん。もしかして、結婚したい相手ができた?」

「え? 残念ながら、全くそんな人はいないままよ」

「そうか、だったらいいんだ。……僕は君にあげようと思っているから」


 ジョシュア様は急にほっとした顔をした。

 まさか、結婚の予定がない私にくれるつもりなのだろうかとまた首を傾げたけれど、すぐに思い当たった。

 もしかしたら、製作にとても時間がかかるような大きくて凝った物を考えていて、それで急ぐ必要があるかどうかを確かめたかったのかもしれない。

 昨日もらったレースもそうだけれど、ジョシュア様が作るレースは本当にきれいだ。

 お店に出したら、きっとものすごい金額がつくだろう。


 そんなことを考えながら、またドレスにレースを縫い付ける作業を再開しようと針を持つと、ジョシュア様はふわりと微笑んで私が座っている椅子の背に手をかけた。


「ジョシュア様?」

「昨日戻ってきたばかりだから、今日と明日は忙しくてリィナちゃんとゆっくりすごせないけれど、明後日はゆっくり時間が取れると思う。明後日を楽しみにしているよ」

「え? あ、ありがとうございます。……私も楽しみです」


 珍しいことを言われてしまって、私は少し動揺した。

 頬が熱くなったから、きっと赤くなっている。

 それをごまかすために瞬きをしながら針を持っていない手でパタパタと顔を扇いでいると、ジョシュア様が少し身を屈めてきた。


「では、明後日に」


 短く切り揃えている私の前髪が、唐突にかきあげられた。

 指先が額に触れた。

 びっくりして顔を上げると、すぐ近くにジョシュア様の甘く整ったお顔があった。

 それと同時にジョシュア様がいつも使っている香りを強く感じて、私の体は強張った。

 それを見てとったのか、ジョシュア様はまた微笑んで私の額にキスをした。

 柔らかい唇はすぐに離れた。

 でもほんの少しだけ癖のあるプラチナブロンドはまだ私の頬に当たっていて、思わず息を止めてしまう。

 その髪も離れ、ジョシュア様の香りも離れた。

 柔らかく私の頭を撫でて、ジョシュア様は大股で部屋を後にした。


 騎士を引退して、お父様の隊商のお仕事をしてくれるようになって、あと何ヶ月かで一年になるけれど、ジョシュア様の歩き方は騎士だった頃と少しも変わらない。

 豪快でしっかりした足音が聞こえなくなるまで、私は動くことができなかった。

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