第3話 11年前の出会い
ジョシュア様は貴族だ。
だから、本来なら庶民である私の家とは全く接点がないはずの人だ。
でも一応、商人なら「親類です」と言いふらしたくなる程度の遠くて薄い繋がりはある。
私の母方の叔母さんはとても美しい女性で、身分を超えてとてもよい家に嫁いでいった。
その嫁ぎ先はある貴族の分家にあたり、本家の方の次期当主となる人の奥方様の弟がジョシュア様だ。
こういう繋がりは、一般的にはただの他人でしかない。
でも商人にとっては、とても貴重な繋がりだ。
この遠くて細い繋がりを武器として、お父様は嬉々としてジョシュア様と付き合いを始めた。
商人が欲しいのは、どんな名目であろうと確かな繋がりなのだ。
貴族であり、王国軍の騎士でもあったジョシュア様に取り入ったお父様は、ジョシュア様のお名前をお借りする。
その代わりに、商人として身の回りの品々を格安でご用意する。
没落気味の貴族と商人の、ありがちな付き合いだ。
でも十一年前、我が家はもう少し踏み込んだ縁を作ることに成功した。
十一年前。
それは私が初めてジョシュア様にお会いした年だ。
九歳になったばかりの私は、大人びたい気持ちの中に、ときどき子供のままでいたい気持ちが混じる複雑な年頃の子供だった。
その頃ジョシュア様は足を負傷して、しばらく療養しなければならなくなった。その時に私の家が療養先として選ばれた。
たぶん選ばれたと言うより、商人としての下心からお父様が熱心に売り込んだ結果だと思う。お父様はとても有能なのだ。
とにかく怪我が癒えるまでの数ヶ月間、ジョシュア様は私の家に滞在することになった。
大切な来客があると聞いて、一人娘としてわがままに育っていた私はこっそり見に行ってしまった。
日当たりのいい離れの一室で、ジョシュア様は明るい窓辺にテーブルを置いて、そこに座っていた。
今も素敵な貴公子だけれど、当時十九歳だったジョシュア様は本当にきれいな人だった。たっぷりと室内に入ってくる明るい光の中で、一つに束ねた長めのプラチナブロンドがキラキラと輝いていた。
横顔しか見えなかったけれど、すっきりとした鼻筋は完璧な形を作っていて、長い睫毛に縁取られた目は手元を真剣に見ている。
ゆったりと座っているように見えたのに、手だけが忙しく動いていた。
このきれいな人は何色の目をしているのだろうかとか、何をしているのだろうかとか、そういう興味に突き動かされた私は、周囲に誰もいないことをいいことに、こっそり部屋に入っていった。
ドアがゆっくりと開いても、忍び込んだ時に服のリボンがドアに一瞬ひっかかってガタンと音がしても、ジョシュア様は手を止めなかった。
でも目だけがちらりとこちらに向いて、私は思わず立ち止まった。
そんな私を見て、ジョシュア様は笑っていた。
その笑顔が優しく見えたから思い切って近寄っていくと、ジョシュア様は初めて手を止めて、近くにあった椅子をがたがたと動かして席を作ってくれた。
素直にそこに座った私は、ジョシュア様の左足が棒を添えた形で固定されていることに気付いた。
びっくりして足を見ていると、ジョシュア様は少し座り直して私へと体を向けた。
「えっと、君は、この家のお嬢さんかな?」
「は、はい、ジョシュア様!」
「おや、僕のことは聞いているの?」
「もちろんです! お貴族様のお客様ですよね!」
私が真面目な顔で答えると、ジョシュア様はぷっと吹き出した。
そのまま笑いながらテーブルの端から飴玉の入った箱を引き寄せて、私の前に置いてくれた。
「名前を聞いてもいいかな?」
「はい、リィナと申します」
「リィナちゃんか。ああ、飴玉をどうぞ。それから興味があるのなら、作業台に触らないならここにいていいよ」
「……見ていて、いいの?」
「このあたりでは、こういうのは作っていないはずだから、初めて見るんだろう? 手を出さないのなら、見ていていい。でも絶対に触らないように」
「はい!」
私が頷くと、ジョシュア様は笑いながら私の頭を撫でた。
それから、私が入ってくる前までのように手元に目を落として、無言で手を動かしていく。
カラカラとか、カタカタとか音がする。
それが止まると、長い指で器用に糸を引っ張りながら細い針を刺した。
また、カタカタカラリ、それから針をグサリ。
何をしているのかさっぱりわからなくて、私は思い切り体と首を伸ばした。
それでもよくわからないままだった私を手招きをして、ジョシュア様はすぐ横に立つことを許してくれた。
クッションのような台の上に、たくさんの針が刺さっていた。
その針に無数の糸が交差しながら絡んでいて、針を除けても糸が作っている形は崩れない。
白い糸の形を見ていた私は、思わず大きく目を見開いた。
「これ、もしかしてレースなの?」
「当たり。この糸巻きをこうやって動かしていくと……」
ジョシュア様が手を動かしてから針を刺していくと、細い糸は引っ張り合いながら少しずつ形を作っていく。
私の服にもついているレースに似ているけれど、それよりももっと細かくていろいろな形のあるレースになっていく。
魔法のようで、うっとりと見ていた私は、引き寄せられるように手を伸ばしていた。
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