第30話 お泊まり


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「だから、玲希のことが好きなの。他の誰よりも」


 先輩は私を抱きしめると、耳元で囁いた。本当にいいのかなと思いながらもされるがままになってしまう。


「た、タマもです」

「ほんとに?嬉しいなぁ……」


 先輩は嬉しそうな声色で言う。


「……キス、してもいいかな?」

「はい」


 返事をすると同時に唇を奪われる。それは今までしてきたどのキスよりも甘くて蕩けてしまいそうだった。先輩の舌が私の口内に侵入してきて、歯列の裏をなぞったり頬の内側を刺激したりしてくる。初めての感覚に頭がクラクラしてしまいそうだった。

 先輩はゆっくりと顔を離すと、今度は首筋に吸い付いてきた。ちゅぱちゅぱという音が浴室内に響き渡る。それがすごく恥ずかしくて、同時に興奮している自分がいることに気づいてしまった。

 えっちなことに免疫がなくて、生徒会でもイチャつく茉莉や羚衣優を冷ややかな目で見ていた私が、まさかこんなことをされるなんて夢にも思っていなかった。


「玲希、可愛いよ」

「せ、せんぱい……」

「ふふっ、とろけちゃうね」

「ん……」


 先輩の手が私の胸に触れようとして、スッと引っ込んだ。


「……?」

「ここから先はまた今度にしよっか」

「どうしてですか……?」


 その時、完全にとろけていた私は、先輩に最後までしてほしいと思ってしまっていたのだけど、先輩の言葉を聞いて我に帰った。


「だって、玲希初めてでしょ?」

「……っ!?」

「図星だね。大丈夫だよ、ゆっくりやっていこうね。それにほら、もう時間遅くなってるし」

「あっ……」


「明日ね、付き合って欲しいところがあるの。今日玲希が行きたかったブティックに付き合ってあげたんだから……いいでしょ?」


 声のトーンを変えた心羽先輩がふとそんなことを口にする。


「明日も休みだし、どうせ予定もないのでいいですけど……どこですか?」

「わたしの家」

「……えっ?」


 先輩の口から飛び出した予想外の言葉に、思わず固まってしまう。


「わたしの家に来て欲しいの」

「せ、せんぱいのおうち……?」

「うん」

「ど、どういう……?」

「コーディネートした玲希を家に連れて行って、ねーねがどう反応するか見てみたい。……場合によってはねーねを諦められるかも」

「諦めるって、何言って……」

「だから、わたしはこれからも玲希と付き合いたいの」

「そ、そうなんですか……?」

「そうだよ。……まあとにかく、そういうことだから。じゃあおやすみ」


 そう言うと、手早くタオルで体を拭き、備え付けの寝巻きに着替えた心羽先輩はベッドに潜り込んでしまう。

 どうしてもあることが気になった私はそのベッドの膨らみに向けて話しかけた。


「あの……一つだけ聞いてもいいですか?」

「なに?」

「心羽先輩、絆先輩ともああいうことしてたんですか?」

「ああいうこと?」

「その……さっきしてくれたみたいなえっちなこと……」


 すると、心羽先輩はクスクスと愉快そうに笑った。


「わたしとねーねがえっちなことするわけないじゃん! 玲希が初めてだよ」

「タマが初めて……」

「そ。そもそもねーねにはカレシがいるしね。わたしなんかとえっちなことしてくれそうな気配すらないよ」

「そう……なんですね、えへへ」

「なに、気持ち悪いよ玲希」

「なんでもないですーおやすみなさーい」


 私も先輩の隣に逃げるように潜り込む。なんだかよく分からないけれど、とても幸せな気分だった。本当は心羽先輩との添い寝をもっと楽しみたかったのだけど、色々なことをして疲れていたこともあって、私はかつてないほどの快眠をむかえてしまったのだった。



 ☆☆☆



 翌日。

 朝起きると、既に起きて顔を洗っていたらしい心羽先輩におはようと言われて少しドキッとした。でも、なんだか様子が変だ。

 なんだか元気がない。元々クールな先輩だったけれど、落ち込んでいるようにも見える。


「心羽先輩?」

「ごめん玲希、わたしどうかしてた……」

「えっ?」

「昨日のこと、なんであんなことしたり言ったりしたのかなって。わたしにとってはねーねが一番で、それは何があっても変わらないはずなのに……」


「……」

「でも、それじゃダメだよね。ちゃんと向き合わなくちゃいけない。ねーねにも玲希にも。だから、やっぱり今日は一緒に来てくれないかな? ね、お願い」

「はい」


 先輩がそこまで言うなら、行かないという選択肢はない。私だって、心羽先輩が大好きなのだから。……でも、この違和感は何だろう。どこかおかしい気がするのだけれど……。

 心羽先輩が絆先輩と話そうと決心して、そして実際に行動を起こすと決めたことは喜ばしいことであるはずだ。しかし、なぜか私の胸の中にはモヤモヤしたものが残っている。

 私は一体、どういう結末を望んでいるのか、自分でも分からなくなってくる。


 本当は今すぐ「絆先輩のことは忘れてタマと付き合ってください!」と言ってしまいたい。でも、そんな度胸はないし、言えたとして心羽先輩が応じてくれたとしても、絆先輩を除け者にして本当に私たちが幸せになれるかどうかはかなり怪しいと思う。だから、私はこのまま何も言わずに黙っているしかない。

 それが正しい選択だと自分に言い聞かせながら、私は心羽先輩と共に先輩達の家へと向かった。


 朝食を食べている間も、電車に乗っている間も、心羽先輩はほとんどなにも話してくれなかった。それだけ、彼女の中で葛藤があるようだ。私も辛くなってくるけれど、こればかりはどうしようもない。心羽先輩の中で解決してもらうしかないのだ。


 心羽先輩と絆先輩の家は、学園の最寄り駅から徒歩10分ほどのところにあった。少し大きめだがとりたてて特徴もない、ごく普通の一軒家だ。


「ただいまー」

「おかえりなさい、心羽。昨日はどこに泊まってたの? ……あら、その子は?」


 玄関を開けるなり、エプロン姿の絆先輩が出迎えてくれる。休日だというのに、しっかり家事をこなしているようだ。


「もー、何言ってるのねーね。玲希だよ」

「玲希ちゃん!?」


 絆先輩は驚いた様子で大きく目を見開く。心羽先輩にコーディネートしてもらった私は、絆先輩の目から見ても見違えているようだ。なんだか少し嬉しい。


「えへ、来ちゃいました」

「そっか、心羽が連れて来たんだ……」


 そう呟くと、絆先輩の表情に影が落ちていく。やはり、絆先輩にもなにか思うところがあるらしい。


「うん。……ねーね、ちょっといい?」

「……分かったわ」


 絆先輩は、私達にリビングで待っているよう告げるとキッチンへと消えていった。



 ☆☆☆



 しばらくして、絆先輩はマグカップに入ったコーヒーを持って現れた。テーブルの上にそれを並べると、自分も椅子に腰掛ける。


「それで、どうしたの心羽。改まって」

「あのね、実はねーねに伝えないといけないことがあるの」


 心羽先輩は、緊張しているのか深呼吸を繰り返すと意を決したように口を開いた。


「わたし、やっぱり玲希とお付き合いすることになったから。……本気だからね。今日はそれを伝えに来た。ちゃんと、ねーねにも向き合ってほしいから」

「……そう」


 絆先輩は、その一言だけ返すと黙り込んでしまう。


「えっと、それだけなんだけど……」

「そっか。おめでとう心羽。良かったじゃない。玲希ちゃんなら安心だし。……あ、そうだ! これからは妹ちゃんって呼ぼうかな。なんてね」

「……」


 絆先輩は寂しげに微笑むと、「ごめん、お昼ご飯の準備してくるから待ってて」と言い残して再びキッチンへと戻っていく。そして、それからしばらくしても戻ってこなかった。


「……心羽先輩、やっぱりおかしいですよ」


 私は耐えかねて心羽先輩に声をかける。すると、彼女は首を傾げた。


「ねーねは、やっぱり……」

「ごめん、ちょっと玲希ちゃん借りてもいい?」


 唐突に私たちの前に戻ってきた絆先輩が私を手招きした。


「え、なんですか?」

「いいからちょっとだけ、ね?」


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