第16話 料理の魔法
☆☆☆
文化祭当日。
敵の目をかいくぐるため、私は高等部の校舎で心羽先輩と待ち合わせをすることにした。普段は立ち入らない高等部は、色とりどりに飾り付けられ、文化祭当日の慌ただしい雰囲気に包まれている。やっぱり中等部より装飾の凝り方やポスターのクオリティ等が数段上だ。
「これは……なかなか勉強になるかも……」
昇降口で待っているようにと言われていたけれど、まだ待ち合わせの時間までは余裕がある。私は少しだけ高等部を見て回ることにした。
が、すぐ後悔することになった。
文化祭といえども中学生がこの校舎をうろちょろしているのは珍しいらしく、すれ違った高校生のお姉さま二人組から好奇の目を向けられた。
「あれ、あの子中学生?」
「ちっちゃくてかわいい〜! 迷子かな?」
「お姉ちゃんに会いに来たとか?」
「やばい、かわいい〜!」
こちらに聞こえてるなんてことはお構いなしにかしましく騒ぐお姉さま方。
かわいいじゃないんだよ! 中学生はみんな私みたいにちっこいと思うなよ! と内心プンスカ怒りながらも、私の心は早くも折れそうになった。
「……帰りたい。心羽先輩早く来て」
昇降口に戻って心羽先輩の姿を探す。高校生の心羽先輩と一緒にいれば少なくともナメられるなんてことはないだろう。
永遠とも思える時間の後、やっと見慣れた姿が視界に入ってきた。
「おまたせ」
「心羽せんぱぁぁぁい……」
「ど、どうしたのそんな情けない顔して」
「通りすがりのお姉さま方に『かわいい』って言われましたぁ……」
私は心羽先輩に駆け寄ると涙声で訴える。彼女はしばし「は?」みたいに呆気に取られていたけれど、やがてクスッと笑った。
「笑い事じゃないですよ!」
「ごめん、でもやっぱり面白いね玲希は」
「むっ……」
褒められてるのか馬鹿にされてるのかわからない。けれど、何故かそこまで嫌な気分にはならなかった。同学年や後輩に弄られるとあんなにイラッとするのに。
「どうして誘ったかというとね……玲希に一つだけお願いがあるの」
「なんですか?」
「わたしと踊ってほしい」
「えっ?」
それは、どういう意味だろう? なにかの例えのような気もするし、そうでないような気もするし。
「だから言ったでしょ? わたし、社交ダンス部なの。だから、うちの部室に行ってわたしと組んで踊ってほしい。ねーねの前で」
「えっ……」
何を言われているのか、少しだけ理解した瞬間に私の思考は真っ白になった。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「うるさいな」
そりゃあ叫びたくもなる。ダンス未経験の私がよりにもよって社交ダンス部で、絆先輩の前でどうして恥を晒さなければいけないのだろう? し、しかも心羽先輩と踊るってそれってつまり……。
だめだ。思考が良くない方向に向かおうとしている。心臓もかつてないくらいバクバクしている。落ち着け、落ち着くんだ私……!
パニックに陥ってしまった私の背中に、心羽先輩が自然な仕草で手を添える。すると不思議と少しだけ息が楽になった。
「ごめん、説明不足だったかも。──つまり、ねーねに『見せつけ』て、どういう反応をするのか見てみたいの。ねーねはわたしに対してジェラシーを抱くのか、とかね」
「それは……」
「だっておかしいじゃない。わたしがこんなにもねーねのことで苦しい思いしてるのに、ねーねは他の人とイチャイチャしてるなんて……!」
「だから仕返しってことですか……?」
こくりと心羽先輩は頷く。心なしかいつもよりも、何かを決心した──少し吹っ切れたような表情をしている。
「勘違いしないで。わたしが好きなのはいつでもねーね。それはずっと変わらない。今までも、これからも」
「いや別に勘違いしてませんけど……」
少しだけ、ほんの少しだけ勘違いしていたのは事実だけれど、やはり脈はないのかもしれない。淡い期待を抱くのはよくないな。
「だから、これは喧嘩じゃなくてただのアピール……本当にそれだけなんだから」
「なんでもいいですけど、タマは心羽先輩について行きますから」
「ほんと?」
「はい。せっかく暇してたタマを誘ってくれたんですからね。プランは心羽先輩に任せます」
「といってもね……わたしもそれ以外のことは考えてないの。目的を果たしたら、その後はどうしようかな……」
「行き当たりばったりでぶらぶらしてみるのも楽しいかもしれませんね」
「……そうね。とりあえず適当に歩いていれば何か面白いものがあるでしょう」
前にも言ったけれど、星花女子学園はマンモス校だ。いくら中学生徒会役員といえども全ての部活やクラスがどういう出し物をするかなんて完璧に頭に入っているわけではないし、それが高校ならば尚更だ。おまけに、非公式部がゲリラ的に行っている活動も含めると、催し物の数は百は下らないだろう。
心羽先輩の背中に隠れるようにしながら校内を歩いていると、準備を終えた部活が早速声をかけてくる。
「漫画部でーす! ちょっと見ていきませんかー?」
「写真部です! 君かわいーね! 写真撮ってよい? よい?」
「料理部でぇす! 美味しいクレープ焼いてるよぉ? 食べてかない?」
高校生のお姉さま方が私や心羽先輩の手を引いて拉致しようとしてくる。困ったので先輩に助けを求める視線を送ると、案の定先輩も困った顔をしていた。もしかしたら、こういうのはいつも一緒にいた絆先輩になんとかしてもらっていたのかもしれない。
だったらここは私がなんとかしないと!
「あ、あの! 後にします……」
「ん、そう? じゃあ後でねー」
「絶対だよ! 絶対写真撮らせてね!」
「あ、あはは……」
笑って誤魔化していると、お姉さま方は興味を失ったように別のターゲットに話しかけに行ったが、一人だけ料理部の高校生だけは私たちをもの欲しげに見つめてくる。
「あのぅ……」
「クレープ美味しいんだけどなぁ……」
よく見るとその高校生はエプロン姿だというのに両手に大きなクレープを持って、口の周りについたクリームをペロペロとやっているという、なんとも食いしん坊な感じの先輩だった。全体的に肉付きもよく、主に胸が大きい。すごく羨ましい。
そんな先輩が美味しそうにクレープを食べているものだから、私も何故かお腹が空いてきてしまった。朝ごはんはしっかり食べたはずなのに。
「……じゃあ少しだけ」
「ちょっと玲希?」
「いいじゃないですか、ダンスの前の腹ごしらえということで」
「まあ、ちょっとくらいなら……」
「やったぁ! じゃあ二人とも、ついてきてー!」
食いしん坊先輩について廊下を進んでいると、前方から甘ったるい匂いがし始めた。先輩が持っているクレープの匂いではない。もっとこう……空間全体が香っているというか。
突き当たりの部屋からなんとも美味しそうな匂いがする。部屋の扉の上には『家庭科室』とあった。あそこが高等部の家庭科室……。
「どーん!」
という、セルフ効果音を立てながら、両手にクレープを持った先輩が体当たりのようにして扉を開ける。すると部屋の中の視線が一斉にこちらに向くのがわかった。反射的に心羽先輩の背後に隠れると、心羽先輩も少しだけ震えていた。
「おっ、りなりーおかえりー……もしかして?」
「あ、つむ先輩。お客さんですー」
「……かおちゃん、かえちゃん、せっちゃん、きららちゃん」
「ふぅ、やるかぁ……」
「「よし囲めー!」」
目にも止まらぬ速さで、五、六人ほどの高校生に私たちは取り囲まれた。
「まずうちさぁ……ホットプレート、あるんだけど。──焼いてかない?」
「クレープ! クレープ作りの体験やってます! 今ならなんとタダ! 赤字覚悟だ持ってけドロボー!」
「トッピングもし放題! フルーツ、クリーム、チョコ、ケーキ、なんでもあるよ」
「おねーさんたちカップル? よかったら恋バナしよ?」
「私の作ったクレープが余ってるの。食べてー?」
さすがは料理部と言うべきだろうか、発せられているエネルギーの質量が一般人とはかけ離れている。きっと毎日美味しいものを食べているのだろう。
私と心羽先輩が困惑していると、囲んできた料理部員のうちの一人が、家庭科室の奥に向かって叫んだ。
「かの先輩! お客さんですー!」
「ごめん今手が離せないからそっちでおもてなししといてくれるー?」
「はぁい!」
そう元気よく答えた先輩。ポニーテールの活発そうな印象の先輩だ。先程やたらと目がキラキラしており、エネルギッシュな料理部の中でも特に元気そうだ。
「ねぇそこのあなた! キラキラしてるね。わたしと一緒にクレープ作ってみない?」
「えっ、タマですか?」
「他に誰がいるの?」
心羽先輩に助けを求めようとしたが、彼女も他の先輩たちから「あれ、あなた5組の絆ちゃんの妹だよね?」「絆ちゃんのこと色々聞かせて欲しいなぁ」「あたしも、興味あるぅ!」などと拉致されてしまった。
ポニーテールの先輩は私の意思など関係なく、手を引いて調理台の前まで強引に連れてくると、そこら辺に置いてあったボウルに無造作だが正確で素早い動作で材料を入れ、私に手渡してきた。
「はい、あなたはかき混ぜる係ね。ダマが無くなるようにしっかりよろしく!」
「えっ、えっと……タマは……」
私はこんなことをしに来たわけじゃない。食いしん坊っぽい先輩の謎の魅力に惹かれて、ただ覗きに来ただけだというのに。
──どうしてこうなった!
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