第9話 恋するということ

 ☆☆☆



「恋愛……恋愛かぁ……」


 桜花寮に帰る途中、校内のカフェテリアに寄った私は、誰にともなく呟いた。部屋に戻ると伊澄がいるので考え事に集中できないというのも問題だ。まあそもそも今は伊澄とも気まずい状態だからあまり顔を合わせたくないっていうのもあるんだけど。


「はぁ……」


 恋愛をしたいから大人っぽくなりたいのに、大人っぽくなるためには恋愛をしなきゃいけないっていうのはなかなか理不尽だ。そもそもこんな私と付き合ってくれる子がいるのかもよく分からない。

 男の人は分からないけど、女の子って基本的に大人びているから、大人っぽい子の方がモテる傾向にある。……あると思う。子どもっぽいのはちょっと……とかいう人も聞いたことがあるし。


 こういう時に女子校は不便だ。私の性格的に、あまり知らない人といきなり付き合うっていうのは少し怖いので、生徒同士となると必然的に女の子同士になってしまう。それは別に構わないんだけど、学園内には同性との恋愛に抵抗のある人も多いはずなので、選り好みできない。


「くぅ……誰かタマと付き合ってくれる人いないかな……!」


 と言ったところで、誰かが返事をしてくれるわけでもなく。なんとなく注文したココアを飲んでいると、見慣れた人影が視界に入ってきた。


「あれ……?」


 周囲の視線を集めながらカフェテリアに入ってきたのは、中学生徒会書記の神乃かんの 羚衣優れいゆ。鮮やかに染め上げられた金髪と、抜群のプロポーションを誇るその容姿、そして潤んだ瞳と儚げなオーラ。歩くだけで近くの人々を誘惑しているのではないかと錯覚するほどの美少女。

 どうしたらこんなに魅力的になれるのだろうか。きっと男女問わずかなりモテるだろう。


 だけど、羚衣優が茉莉と一緒にいないのは珍しい。何かあったのかなと思っていると、羚衣優はまっすぐ私の方に歩いてきたので、危うく口に含んだココアを吹き出しそうになった。


「タマちゃん、隣いい?」

「は、はいぃ……じゃなくて、うん」


 羚衣優の見た目と、そもそもあまり面と向かって言葉を交わしたことがなかったのもあって、思わず敬語を使いそうになったが、この子は同学年だ。私と羚衣優、きっと前世での徳の積み方が段違いだったのだろう。

 私は前世の自分を恨んだ。


 恐縮する私の隣に、素知らぬ様子の羚衣優が座ってくる。ふわりと花のいい匂いがして、周囲の刺すような嫉妬の視線が突き刺さってくる。

 茉莉はよくこんな視線に耐えられるな……。きっと、周りを黙らせるくらい羚衣優と茉莉のカップルがお似合いなのだろう。私は逆立ちしても釣り合う相手ではない。


「茉莉ちゃんはどうしたの?」

「まっちゃんは会長さんと話してる。心配だけど、ずっと一緒にいたら鬱陶うっとうしいと思われちゃうかもしれないし……」


 羚衣優はこういうところがある。周りに気を遣いすぎるというかなんというか。相手に嫌われないかどうかビクビクしているのが分かる。その割には私とかがちょっと茉莉と話し込んでいると、途端にこちらに殺意を向けてくるので油断も隙もない。心配しなくても茉莉が羚衣優を嫌うことなんて万に一つもないと思うのだけど。


「大丈夫だと思うよ? 茉莉ちゃんは羚衣優のことが大好きだから」

「でも、甘えてばかりじゃ悪いと思うから……! わたしもまっちゃんの役に立ちたいの」

「うーん、茉莉ちゃんなら『羚衣優せんぱいがいてくれるだけであたしは幸せですよ』とか言いそうだね……」

「それ何回も言われた。恥ずかしいけど嬉しい……」


 あーもう、このリア充め。同じ中学三年生とは思えないおマセっぷりだなぁ。

 私は無意識に唇を尖らせた。


「そう、わたしがタマちゃんに話しかけたのは、まっちゃんの話をしに来たわけじゃないの」

「そうなの?」

「うん。さっきの沙樹さんの話聞いてちょっと思ったんだけど……」

「──?」


「恋するって素敵なことだよ」

「はぁ?」


 まずい。突然のことだったから変な声が出てしまった。

 が、羚衣優は気にせずに続ける。


「誰かを好きになること、その人のためだったらなんだってできる。わたしに生きる意味を与えてくれる。──それがまっちゃんなの。だからタマちゃんも……」

「……」


 言いたいことはわかる。わかるけど、この子はちょっと──というかだいぶ愛が重いところがある。必要以上に他人を愛してしまうし、相手に全てを委ねてしまうし、心の底から信頼して全てをさらけ出してしまうし、嫌われないためになんでもしてしまう。

 少し危なっかしい部分があるのは事実だし、私がそんな恋愛をしたいかというとちょっと違う気がする。



「ありがとう、励ましてくれてるんだね?」

「えっ、う、うん……というか、なんか伝えておかなきゃって思ったから……わたしの気持ち」

「つまりタマの悩みは、誰かを好きになればおのずと答えが出るかもってこと?」


 羚衣優はびっくりしたように目を見開いた。


「そう! それが言いたかったの」


 口下手で自己表現が苦手なところがある羚衣優にしてはよく頑張ってくれた。あとは私の国語力で読解すれば……ってね。

 なぜだろう。ふと眺めた羚衣優の顔は茉莉と一緒にいる時の、茉莉を頼りきっている少女のものではなく、私に対して同学年の友人として接してきているかのようだった。なんか嬉しかった。

 それならもう一つの悩みを打ち明けてもいいだろうか? ついさっきできた悩みだ。恋人を作るにあたって一番恐れていること。──それは


「じゃあさ、羚衣優は茉莉ちゃんが自分のところから離れていっちゃったらとか考えたことはある……?」

「……?」


 しまったと思った。地雷を踏んでしまった。

 羚衣優の表情は途端に感情を失ってしまった。ピシピシと周囲の空気が凍る音が聞こえてくるようだ。


「──まっちゃんはそんなことしないよ?」

「えっ、ご、ごめ……」

「まっちゃんはそんなことしない! わたしを捨てて他の人のところにいったりしない! 誰にも渡さない、だってすっごくいっぱい好きなんだから!」


 きっと、毎日のようにそういう不安にさいなまれているに違いない。羚衣優は今にも泣き出しそうだった。私は自分の発言を反省した。興味本位とはいえ少なくともメンヘラな羚衣優に対してかける言葉ではなかった。


「わかったわかったごめん! タマもそんなことは微塵も思ってないよ! 茉莉ちゃんには羚衣優が一番お似合いだと思うし、逆もまた然り……」

「……そう? よかった」


 ふっと、嘘のように空気が和らぐ。まったく、一瞬死を覚悟したよもう……。まあ今回は私が悪いんだけどね。


「結局、まっちゃんの話になっちゃったね」

「でも、すごく参考になった。ありがとう。あとはタマに合う相手を探すだけだね。羚衣優はどうやって気になる相手を探してるの?」


 羚衣優は茉莉の前にも何回か付き合ったことがあるらしい。……というか、沙樹とは対照的に恋人がいない時期なんてほとんどなかったんじゃないかってほど付き合っていた噂を聞いたことがあり、この子は根っからの恋愛体質であり、一人じゃ生きていけないんだなって、改めて思う。


「どうやってって……こうやって?」

「ふわぁっ!?」


 突然柔らかい感触に包まれて私はびっくり仰天した。羚衣優に抱きつかれたと理解するまで数瞬の時間を要した。花のような柔軟剤のいい匂いに包まれると同時に、パニックに陥ってしまった。


「あば、あばばばっ!?」

「ごめんね。驚かせちゃった?」

「ふわぁっ、もう、羚衣優のバカ! そういうのずるいと思う!」


 普段はあまり自分から行くタイプではないのに、たまにこうやって積極的になられると脳の処理が追いつかなくていろいろと……! 羚衣優はもう少し自分の魅力というものを自覚した方がいいと思う。いや、自覚した上でやっているのか? だとしたら相当ワルい子だ。

 からかっているだけだと分かっているのに、あのなんとも言えない包み込むような柔らかさと心地良さを味わってしまったら、誰でもドキドキしてしまうだろう。


 私は恥ずかしさから逃げるようにカフェテリアを後にした。バクバクいっている心臓を押さえながら、気持ちを整理する。と、やっと自分の気持ちが分かった。

 確かに羚衣優に抱きつかれて気づいたのだけど、確かにすごく気持ちよくてドキドキしはしたものの、何となく「これじゃない」感じもあった。言語化するのは難しいけど、多分羚衣優は私の恋愛対象では無いのだろう。

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