己には笑いがわからない。
雲野古葉子
KAC20224 4回目お題 お笑い/コメディ 参加
千葉県のクセに東京気取りの、例のテーマパークのある駅にいる。17歳女子と一緒だ。なにも疚しいことはない。羨ましがられることもない。単に最寄駅だ。通勤途中だ。ちなみに17歳は実の娘だ。本日たまたま通学時間に被っただけである。
「最近のコはぱんつ見えそうなほど短いスカートじゃないんだな」
「あ?」片眉あげ、蔑んだ眼差で娘が己をみる。あ?のトーンが低い。深夜彼氏だかなんだか多分オトコと会話してるときの夜の女王様のごとき超音波ではあきらかにない。不機嫌丸出し。
心の声漏れただけじゃん。べつにいいじゃん。エロじゃないじゃん。ただの感想じゃん。
「ランド寒いからじゃねーの。防寒対策だろ。ふつーにいるしパンツ見えてるやつ、ウチのガッコにも。…あー、つか親父キモ。朝からキモ。萎える〜」
スマホをかざし、己を取り残して、さっさと改札を抜けていく17歳。
かわいかったのに。あんなにかわいかったのに。生まれた瞬間。それから3歳から5歳くらいまで。走馬灯になって駆け抜けるかわいらしい娘の残像。「ぱぱ〜ァ」と己に呼びかける、甘酸っぱい愛くるしい声…。胸にいま、甘くずっしりした痛みがずっきゅんと駆け抜けていく。まるで走馬灯のように。
小学校低学年くらいまではそんな感じ。かわいかった。とにかくかわいかった。自慢の娘。鼻高々。可愛いでしょ娘なんスよ、実の。血を分けた。己の血入ってるし。なんならかなり入ってるし。
父親なんてだいたいそんな感じ。娘にメロメロ。メロンパンナのメロメロパンツ。いやパンチ。ずっきゅん。
あゝそのあとくらいからかな。小学生高学年。アンパンマンどころか、プリキュアさえ見なくなるお年頃。娘とことばがつうじなくなっていく。笑いのツボも合わなくなっていく。
いやもともと己には笑いのセンスがないんだった。
土曜の夜は「8時だヨ、全員集合」だった己の小学校時代。国民みんなだいたいテレビ前に集合。だがしかし己はいつも志村がかわいそうでならなかった。いつもいかりややメンバーからイジメられてる。志村にしかふりかからない災難。あるいは志村にしかみえないおばけ。ほかのメンバーにはなぜか見えない。都合よく見えない。
そんなわけでドリフは己にはちっとも楽しめなかった。兄も姉も父親も、腹抱えて笑ってるっていうのに。
PTAが見せたくない番組No.1だったせいか母親が「見てはいけない」と「全員集合」を家族に禁じた。己はホッとした。
母親は家族に「欽ドン!」を見せた。母親がホホホと上品に笑うから、笑うとこなんだなーと一緒に笑った。兄と姉はそんな己を軽蔑した。いや正直わかんないよ?欽ちゃんの笑いだって己には…。
いまも娘がハマるお笑いタレントの笑いがわからない。お追従で笑うと笑いのポイントを外したらしく軽蔑される。蔑みの目差を向けられる。辛い。心から辛い。
己は本当はどんな笑いが好きだったのか…。必死で思い出そうとしている。あ、そういえば木久ちゃんが好きだった。笑点の、落語家の、つかラーメン屋の。今でいう木久扇だ。エラくなったなあ木久ちゃん。
志村は苦手だが加藤茶は好きだったな。加藤茶が人気だった頃のドリフのネタ「ちょっとだけよ」を幼稚園で披露して大目玉だった。しかし、面白いかどうかは実は正直わかってなかった。ちょっとエッチだと思っただけだ。
ちょっとエッチ。案外これはキーワードかもしれない。己の笑いのツボの。木久ちゃんも「いやんバカン、ウフフン、そこはお尻なのアハハン」なんていやらしい歌を歌っていた。あれも小学校で披露して…たしか…親呼び出し。
「笑ってはいけない」で毎回蝶野に張り手される月亭方正が山崎方正の頃も好きだった。あとネプチューンのホリケンとかもな。
そう考えると…ちょっとおバカな、というか天然な、あるいは本当は賢いがあえてバカなフリしている、そういうキャラが好きなのかも、…己。
好き…。そうだ。面白いというより好きなのだ。面白いから好きなのではなく、好きだから肯定的に、面白いと捉えられる。そういうことなのだ。
…おっと。己のお笑い感について考察していたら、会社に到着してしまったぞ。つづきはまたウン、帰宅時の電車ででも考えるとするか。
ウフフン、アハハン。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます