第14話 地獄と……

 ジジッとジッパーを開け、バッグの中をごそごそとあさりながら、道也は話を続ける。

「美代ちゃんは偉いよな、自分のすることちゃんとやれててさ。昔聞いたけど、スナックとかバーのママになるって美代ちゃんの夢だったんだろ? 俺も美代ちゃんと付き合ってからここまでずっと、経済支援っての? 美代ちゃんの夢の力になれてうれしいよ。……美代ちゃんは『そういう歳頃』だっつってたけど、お前その歳でゴムのひとつも持ってねぇのか」

「必要ありませんのでッ……お願いですから出て行ってもらえませんか?」

 笹夜は一瞬、道也に近寄って目一杯めいっぱい手を伸ばしバッグを奪い取ると、反対側の部屋の角にスススッと引き下がって、より硬く身構えた。

「……妃与、お前わかってねぇなぁ。ここにきてからお前はずっとそんな態度だが、俺はお前ともっと仲良くなりたいんだよ。そのために、お前はお前のすることをちゃんとした方がいいんじゃねえの? 美代ちゃんみたいにさぁ」

 そう言うと、道也は椅子を笹夜の方に向けてドカッと座り、股を開いて腕組みをした。

「……最低。あとから母に言いつけます。出て行ってください」

 笹夜は道也の意図を察して——そんなもの察したくはなかったが——体中におぞけが走った。

「これまでこんな話をしたことはなかったが、これは今日のお前の態度のせいだからな? しつけは親の役目だ。それに、いいのか? お前のせいで、せっかく自分のやりたいことをしてる美代ちゃんに迷惑がかかったら、美代ちゃんはどう思うだろうなぁ? もう一度言う。《。妃与、お前はをしろ。それで全部うまくいく」

 道也は少し苛立った様子で立ち上がると、ゆっくりと一歩ずつ笹夜に近づく。笹夜はみぞおちがグーっと下に落ちるような恐怖と緊張、寒気に襲われ、へなへなとその場にしゃがみこんだ。

「なーに、最初から全部出せとは言わんし、補助してやろう。そうだ、今日は手でいい、手で。アソコからカレーの匂いがしちゃたまらんからな」

 道也はハハハハハ、と一人で笑っていたが、座り込んでこちらを見もしようとしない笹夜を見下ろして、「それだよそれ、その態度。ムカつく……」とつぶやくと笹夜の手首をむんずとつかみ上げた。叫びにもならない小さな悲鳴が笹夜の口から漏れ出る。

「おっと、静かにしろよ? これはスキンシップだ。俺たちが家族として上手くやっていくためのな? 美代ちゃんはスナックのママを続け、お前は時折父親孝行をしながらのびのび過ごし、俺は妻と娘と仲良く暮らす。オールオッケーじゃないか。な? そうだろ? 妃与……あぁ、妃与……与………さん…妃………れくらいですかね? 妃与さん、聞いてますか?」

「えっ……うん、私はそれでいいと思うわよ?」

「ほんとですか〜? 今妃与さん見てなかったでしょ? 私そういうのわかるんですからね?」

 水野は振り終わったフリフリチキンの袋をぺりぺりと破ると、うまみの詰まった粉末がまんべんなく全体にまぶされたチキンに、ガブリとかみついた。笹夜はこめかみの辺りを人差し指で軽く指圧した。

(デート中にあんなことを思い出すとは、情けない)

「ん~! やっぱりフリフリチキンは最高ですよ妃与さん。妃与さんも頼めばよかったのに」

「私は……私はこのプレミアムカタラーナが好きだからいいの。ほら、そこ粉末こぼれちゃってるわよ?」

「っわわ」

 笹夜は、慌ててももを払う水野を見てクスりと笑った。本当にこの子は愛くるしいんだから……。

 二人がいるのは、住んでいる町から数駅離れた隣町にある駅前の喫茶店『ラムスカ・パロウール』。

 ジャンクフードとケーキなどのスイーツが同時に楽しめるお店として、ちまたの高校生の間で人気の店だ。前々から笹夜が目をつけており、今回、水野を誘ってデートしに来ているのだった。今日は土曜日の昼下がりということもあってか、喫茶店の多くの席がJC・JK・カップル勢で席が埋まっているようだった。半ば上の空で辺りを見渡しながら左手をナプキンで執拗に拭っている笹夜に、水野は声をかけた。

「妃与さん、早く食べないとカタラーナ私が食べちゃいますよ?」

「あら、あなたこそ早くロールケーキにたどり着かないと私がつまんじゃうわよ?」

 水野は空いている手でサッと、チキンと一緒に頼んでいた抹茶ロールケーキを自分の方に引き寄せると、番犬のような顔つきで妃与を睨みながら、またしてもガブリとフリフリチキンにかぶりついた。笹夜はおかしくてついプッと笑い声を漏らし、それを見た水野もチキンがこぼれないよう口元を手で覆い、上を向きながら笑った。

 笹夜はスプーンで一口、カタラーナを掬って、口に運んだ。

 カタラーナとはスペイン発祥の冷凍プリンの一種だ。半解凍の程よいシャリシャリ感を残したカタラーナは、上部にあるクリームブリュレのようなねっとりとしたカラメルコーティングが少しだけ溶けていて、その絶妙な甘苦さが濃厚なプリンに乗って口の中に広がる。

 目の前のカタラーナを凝視して、一口一口を大事そうに、美味しそうに食べる笹夜を見ながら、水野は食べ終えたチキンの袋をガサガサと丸め、トレーの上にほうった。

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