もうひとつの再会

イカワ ミヒロ

第1話 クラスメイト

 来年また同じクラスになったら告白しよう。

 中学生の音羽雛乃はそう思っていた。相手は二年生の時に一緒のクラスになった鳴沢陽介だ。

 鳴沢は一年生の頃から風間伸司という同級生とつるんで授業をサボったり、校舎裏で煙草を吸ったりして、教師の手を煩わせている札付きの不良だ。雛乃が二年生に進級して生徒会の副会長になったときに、担任教師の柿本から直々に鳴沢の面倒を見るように言いつかった。

「鳴沢は根はいいやつだと思うんだが、風間と一緒になるとどうもいけない。ともかく授業中は鳴沢が外に出ないように引き止めておいてくれ」

 正直なところ、雛乃はこの用命に冷や汗をかいた。鳴沢はクラスで一番背が高いし、身体もがっしりしている。大人びていて高校生ぐらいに見える。その上、新学年の始まりには顔に大きな絆創膏と左手に包帯を巻いて現れた。暴走族とやり合ってできた傷だと誰かが言っていた。

「お前だったらずばっと言ってくれそうだからな。頼りにしてるぞ」

 あの鳴沢に楯突けるほど気が強そうに見えるのかと雛乃は思ったが、責任感の方が勝った。

「わかりました。任せてください」

 雛乃はしっかりした口調で答えた。

 その直後に席替えがあって、雛乃は鳴沢の隣の席になった。教室の最後列で、雛乃は出入り口のすぐ横、鳴沢はその隣だった。要は雛乃が門番で、鳴沢を外に行かせないようにする。最後列なら、少しくらいすったもんだがあっても他のクラスメイトにはあまり被害が及ばない、という計画だった。私の勉強はどうなるのよ、と雛乃は思ったが、生来の負けん気が頭をもたげ、「鳴沢の面倒は見る。そして、成績上位も死守する。」と心に誓った。

 雛乃の門番役は功を奏し、風間が授業を抜け出して、教室の後ろのドアから堂々と鳴沢に声をかける度に雛乃はその前に立ちはだかった。最初、雛乃が鳴沢を呼び止めたとき、鳴沢は目を丸くして雛乃を見た。雛乃みたいな優等生が鳴沢に口を利くなんて思ってもみなかったのだろう。その日は、「放っとけ」と言って教室を出て行ったが、何度かそれが続く内に、「音羽がうるせえから今日はやめとくわ」と言って抜け出さない日も出てきた。風間が来ない限り、鳴沢が自主的に教室を出ていくことはなかったが、席にいても授業はまったく聞かずに寝ているか、教科書の内側に漫画を重ねて読んでいるかだった。しかし、間もなく風間は戦法を変えたらしく、鳴沢と休み時間に学校を抜け出して、そのまま帰って来ないようになった。一日中鳴沢を付け回すわけにも行かず、雛乃の門番役も休止状態になった。

 ある金曜日の晩のことだった。雛乃は遅い時間に終わった塾の授業から帰る途中だった。自転車で自宅近くの大きな緑地公園を抜けようとしたところ、突然がちゃんと音がして、ペダルが空回りした。自転車を降りて、チェーンホイールを見てみたのだが暗くて何が起きたのかわからない。あたりを見回して、目に入った街灯の近くまで自転車を引きずって行った。明るいところでもう一度チェーンホイールを見ると、チェーンが外れていた。なんだかペダルが重いなと思いながら自転車を漕いでいたのだが、チェーンがかけ間違っていて外れてしまったようだ。仕方がないので、自転車を押しながら帰ることにした。公園の中は林や茂みが多いので、不審者が隠れているかも知れない。公園を通って帰ってくるなと親には言われているのだが、迂回するとかなり時間がかかる。自転車なら全速力で通過すれば、まあ怪しいヤツも追って来られないだろうと、雛乃はいつも公園を抜けていた。今日は、自転車を押しながら歩くことになる。どうしようかと迷った挙げ句、街灯のある遊歩道の真ん中を走って通れば大丈夫じゃないかと考え、少しびくびくしながら公園に足を踏み入れた。

 最初は良かった。それなりのスピードで走れていて、誰かに追われたとしてもダッシュできる余裕があった。しかし、公園の半ばに至る頃には息も切れてきて、ようやっと早足で自転車を押しているという具合だった。

 ふと、前方の茂みから誰かが出てきた。雛乃の心臓は一瞬凍りついた。そして、バクバクと口から飛び出しそうなくらいの勢いで強い鼓動を始めた。今来た道を戻ろうか。そう思ったが、ここさえうまく通り過ぎることができれば、後は家まで遠くない。このまま進もう、と決めた。

 人影は遊歩道沿いにこちらに歩いて来た。若い男のようだった。なるべく距離を置こうと思い、遊歩道の端に寄ってできるだけ早足で歩いた。男は、途中で立ち止まった。雛乃はどきりとした。雛乃を遠くから見ているようだった。

(ヤバい、ヤバい、ヤバい!)

 雛乃の頭の中で警報が鳴り響いた。ここで立ち止まるわけにはいかない。全身の隅々まで目が覚めたようになり、足元は小走りになった。両手は震えて汗ばんでいたが、雛乃は一生懸命に自転車のハンドルを握った。

 視線を地面に落とし、目を合わせないように、先を急いだ。男まで残り数メートルとなったとき、声が聞こえた。

「あ、やっぱり音羽だ」

 聞き覚えのある声に男を見た。鳴沢だった。

 途端に雛乃の全身から力が抜けた。両手から自転車のハンドルがすっぽりと抜け、がしゃんと地面に倒れた。雛乃自身も両脚から崩れるようにその場に座り込んだ。

 びっくりしたのは鳴沢の方だった。

「大丈夫か?」

 走り寄った鳴沢に向かって、雛乃は涙目になって「もうっ、脅かさないでよっ!」と怒鳴った。


「あの公園、変質者出たんだろ? 夜アブないんじゃね?」

 雛乃の自転車を押しながら鳴沢が言った。

「そうなの?」

 雛乃は、横に並んで歩く鳴沢を振り返った。

「俺、職質された。昨日」

 鳴沢は胸にぶら下げた古びた双眼鏡を見せながら言った。確かに、そんな双眼鏡で夜に何を見ようというのか。

「何やってたの? それ」

 雛乃は尋ねた。

「流星群。今頃見られるんだ」

 意外な言葉に雛乃は鳴沢の横顔を覗き込んだ。

「好きなんだ。星」

「まあな。本当はこれからがよく見られる時間なんだけど、曇ってきた」

 鳴沢はそのまま黙り込んだ。

 雛乃は間を保たせようと、「じゃ、帰るとこだったんでしょ? 遅くなって心配されない?」と聞いた。

 鳴沢は乾いた笑いを吐き出した。

「心配するかよ、あのクソ親父が」

 自分の父親を「クソ親父」と呼ぶ友達を今まで見たことがなかった雛乃は思わず鳴沢を見た。その視線に気づいた鳴沢は、意地悪そうに笑って「ゴミだ、あいつは」と挑発するように言った。

「これだって、あいつにやられたんだぜ」

 そう言いながら、鳴沢は自分の顔の傷を指差した。指差した手にも傷があった。もう絆創膏は取れていたが、まだ傷は生々しかった。

「酔っ払ってコップ投げつけやがった。呑むと何するかわかりゃしねえ」

 雛乃は「そうなんだ……」と言ったが、その後の言葉は継げなかった。


 雛乃の家の近くのスーパーの前を通った時、店先にワゴンが出ていて見切り品の弁当を売っていた。店員が「お弁当がどれでも半額以下! おにぎりは一個五十円! お買い得ですよー」と通行人に声をかけていた。雛乃は塾帰りにいつも見る光景だし、弁当など買う必要はないので、そのまま通り過ぎようとした。が、鳴沢は立ち止まって、自転車のスタンドを立てた。それからポケットに手を突っ込んで、中から小銭を取り出し、数え始めた。そして少し前方で立ち止まった雛乃に言った。

「おい、お前頭いいからこういうの得意だろ。今三百八十五円ある。これで一番たくさん買うとしたら、どの弁当が買える?」

「ええ?」と言いながら、雛乃は鳴沢の方に引き返した。「お弁当? 明日の?」明日は土曜日なので半日授業で給食はない。

「違う。今晩と明日の飯。昼は伸司のとこで食うからいいんだ。これで買える一番でかいの二つ選べ」

(スーパーのお弁当が夕ご飯ってこと?)と雛乃は思ったが、口にはしなかった。自分も塾から帰るまでは、夕飯を食べていないが、家に帰れば母親が作ったご飯が待っている。そういえば、鳴沢の家は父子家庭だと聞いた。鳴沢はいつもこんな食事をしているのだろうか。そう思いながら、なるべく安くてボリュームのありそうな弁当を二つ選んだ。

「あと、もう十円あれば、こっちのお弁当を選んでおにぎりを一個足すこともできるけど……」と雛乃は頭の中で計算しながら言った。

「そうか。だったら朝飯も食えるな」

 真剣な顔で鳴沢は言った。

(えっ、じゃあ、朝ご飯抜きの日もあるってこと?)

 雛乃は再びショックを受けた。少し躊躇した後、雛乃は言った。

「あの……、出そうか? 十円」

「バカ言うな。自分の飯代ぐらい自分で払う」

 鳴沢は怒ったように言って、雛乃が最初に選んだ二つの弁当を店員に手渡した。

「これください」

 雛乃は自分の発言に恥ずかしくなって下を向いた。

 店員は、「ありがとうございます。三百八十三円になります」と言って弁当を袋に入れた。それから、会計を済ませると、おにぎりを二つ袋に足して、「これ、おまけね。悪くなっちゃうから早く食べてね」と言って鳴沢に手渡した。少し考えてから「さーせん」と言って頭を下げた鳴沢は、いつも教室で見る鳴沢と全く違って見えた。

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