18.神明裁判
神明裁判とは、その名の通り神に裁きを委ねる裁判方法だ。
火は虚偽を暴き魔を払う神聖なものと考えられていた。
だから太古の昔より、和の国の神明裁判には火が使われる。
手足を縛られた被告が、簡易的に作られた庵の中に入る。出入り口は塞がれるため、脱出はできない。それを外から庵の四方に火をつけ、燃え盛るのを確認したら自然と鎮火するのを待つ。
これで無事に生還できたら、その者は無罪となる。
「馬鹿馬鹿しい」
桜の口から思わず飛び出した言葉は、静まりかえった部屋によく響いた。視線が桜に集まる。無論、南條三家の当主の射るような視線も。
「……馬鹿馬鹿しい、と聞こえましたが。私の聞き間違いかな」
「いいえ。はっきり申し上げました。茶番です。東一条家の当主様が仰った通り、確実な捜査を行うべきです」
南條三家の当主のこめかみがピクリと動いた。侮蔑と苛立ちを隠すように微笑を浮かべ、嘲りを込めた声で桜に語りかける。
「どうやら、花桜様は神明裁判のことをご存知ないようだ。これは神に罪の在り処を問う、神聖な儀式ですよ」
「存じた上で、申し上げております。神明裁判とは、正しき者には奇跡を起こしてみせよと神に問うーーいわば、神を試す行為ではありませんか。かえって天罰が下りかねない。私たちは神に与えられたこの目と頭脳で、真実を掴むべきだと言いたいのです」
「詭弁がお上手だ。だが神を疑ってはなりませんよ」
きりきりと目を釣り上げる当主を、桜は静かに見据えた。
「南條三家のご当主は、神明裁判では必ず確かな真実が掴めるとお考えなのですか?罪無き者に奇跡が起きないはずがないと」
「無論」
「ではまずあなたがお入りになって、神明裁判の奇跡を証明してくださいませんか」
桜の言葉に、一瞬の間があった。
「…………何?」
「罪無き者に罰がくだる筈がないと仰るのなら、造作もないことでしょう。私の知る歴史の中では、神明裁判で無罪を証明できた者は一人もおりません。これでは本当に神の意向なのか判断することは難しいと思いませんか。私たち人間には、神の言葉を理解する術がないというのに」
「あなたの不信のために私に罪人の真似事をしろとは」
「それならば私がーー」
言いかけた時、突然帝が愉快そうに笑い出した。額に手を当て笑っているが、口元以外の表情は窺い知れない。
「確かに神が罪人にのみ罰を下すというのならば、ここにいる全員ーーいや、宮中に入ることができる全ての者を神明裁判にかければ良いのか」
ぴしりと、その場が固まった。
帝は額から手を外し、部屋中を見回した。
「仮に橘を神明裁判にかけて罰が下されたとしてーー、共犯がいないとは限らない。龍花の生息地、または栽培地、入手先。それらがわかるまで、全ての者が神明裁判にかけられるべきだ。そう思わないか?南條三家の当主よ」
「そ、それは……」
「答えよ」
凍てつくような鋭い眼差しと声音に、部屋の空気がガラリと変わった。南條三家の当主は顔を上げることもできず、長く悩んだ末に小声で「……帝の仰る通りかと……」と呟いた。その答えを聞いてようやく眼差しを溶かし、そうだな、と鷹揚に頷く。
「しかし花桜の、神明裁判は神を試す行為に他ならないと言う考えは一考に値する。皆の者。この事について議論を交わしたいのだが、今は西園寺家と北小路家の当主が不在となっている。戻り次第語り合いたい。今は一度、神明裁判は保留とし、通常の捜査を行いたいと思うのだが」
帝の言葉に、皆一様に安堵の気配を滲ませてその場は収まった。
今日この後すぐに捜査が始まるということで慌ただしく解散となった。皆が我先にと出ていく中、一瞬絡みつくような視線を感じる。振り向いたが人に紛れて、誰の視線かはわからなかった。
「皆凄まじい勢いで出て行ったな……叩けば大量の埃が出ると言いたげだ。良い機会だ、全員徹底的に調べ上げろ」
帝は文官にそう言った後、橘を見る。
「証拠が不充分のため、解放する。しかし疑いが完全に晴れたわけではない。ゆえにお前には常に二名以上の監視をつけよう。疑われるような行動はしないように」
橘の手首の縄が解かれた。
逆に監視があってよかったと、桜は思った。橘が再び誰かに罪を被せられる可能性は減っただろう。
安心すると、体の力が抜けた。
へなへなとその場に座り込む。芙蓉が肩を抱き、橘が駆け寄った。大丈夫と伝えたくて、「気が抜けただけ」と言ったが、声がみっともなく震えていた。
橘の手が桜に伸びたが、その手は届く事なく、項垂れるようにだらりと下がった。代わりに降ってきたのは怒り混じりの低い声だ。
「……何故こんな無茶をなさったのです」
橘の顔を見る。彼は険しい、何かに耐えているような顔で言った。
「もしも帝がまとめて下さらなかったら、あなたは自ら神明裁判にかかると言う気だったでしょう。……死ぬ気ですか」
そう言われて、弛んだ感情が吹き出した。
「わ、私だって死にたくないわよ!」
ぼろぼろと溢れる涙を気にする余裕もなく、橘を睨みつける。
「でもああ言わないと、あなたが死んじゃうところだったでしょ……」
そこまで言って、後はもう言葉にならなかった。恐怖が甦り悪夢を見た時のように体が強張っていく。体に流れる血が全て氷になってしまったかのように、冷たい。
泣きじゃくる桜の背中を芙蓉の手が優しく撫でる。
「……すみません。でも俺は、あなたに仕えている身です。あなたに命を懸けているのに、あなたに何かあったら、俺は……」
「罪悪感、だけでっ……命を懸けることはないでしょう!」
しゃくり上げながらまた橘を睨みつけると、橘はどこかが痛くて堪らないような顔をした。
「罪悪感だけなわけがないでしょう……!俺は、あなたを」
「二人とも興奮しすぎだ」
呆れたような帝の声が響いて、橘が我に返り口を噤む。
「今日はこのようなことがあって、お互い気が昂っているようだ。特に花桜、お前は本調子ではない筈だ。……でもそれだけ頭も口もまわるなら、そろそろ花の儀を再開しても良さそうだな」
そう柔和に微笑むと、芙蓉に向かって頼むぞ、と頷いた。
「誰にも傷つけられることのないように、丁重に守ってくれ。大事な皇后候補だからな」
「かしこまりました。……花桜様、立てますか?」
芙蓉の言葉に頷き、ゆっくり立ち上がる。
まだ考えることはたくさんある。桜が毒を盛られたこと、橘がその罪を擦りつけられそうになったこと。疑いが晴れたわけではないから、もしかしたらこのまま橘に罪を着せられるかもしれないということ。そして桜は無力ということ。さっきだって、帝がいなければ桜の言葉は一蹴されていたに違いない。
そんな無力な桜を、きっと誰かが陥れようとしている。橘への冤罪もおそらくその一つだ。そのうち帝の気を引くための自作自演とか、武士の管理が甘いとか、言われかねない。
そこまで考えて、自分のせいで橘は謂れもない罪を着せられそうになったのかと背筋が凍った。
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