帝、降臨

 



 一つしかない皇后の座を争うには、教養が足りない桜は不利だ。

 以前の橘の言葉を、桜は思い返した。


(勉強もだけど、場慣れも足りなかった)


 三人の姫君たちは、指先の所作一つ一つに品が漂い余裕が見える。桔梗が梅を見て見事な和歌を詠み、すかさず白萩が句を返す。桜も歌を詠み蝋梅が返した。橘の容赦のない教育がなければ、知識を引っ張り出すことに必死で周りを見る余裕などなかっただろう。


(癪だけれど橘のおかげで、ほんの少し余裕ができた)


 橘があの頃「住む世界が違う」と言った理由が、わかる気がした。

 桔梗と共に育った橘から見た桜など、山猿も同然だったに違いない。あの頃の桜は、今にもまして碌な教育を受けていなかった。それを思い出すと同時に、寒々しい風が胸の内に吹き抜ける。


(……思い出すのはやめよう)


 桜が考えを切り替えようとしたとき、嘲笑混じりの声が耳に聞こえた。


「蝋梅様が和歌を詠むとは思いませんでしたわ。殿方に混じって、不可思議な力で病に侵された平民を癒やされていたとか。女性の嗜みを学ぶ暇もありませんでしたでしょう」


「……一通りの教育は受けておりますが、桔梗様のように素敵な歌を詠むには勉強不足ですね」


「まあ、皮肉も通じない。高貴な者、それも女性が平民と関わるなんて、勉強以前の問題だと申し上げているのです。平民と触れ合った者が宮を賜るなど前代未聞ではないでしょうか?」


 蝋梅が微かに眉を顰め、桔梗が表情に浮かべる嘲りの色を強くする。まだ口を開こうとする桔梗に、桜は思わず口を開いた。


「帝が御即位なさる時、民は宝なり、と仰せになりました。ねえ、橘?」

「……はい、その通りです」


 突然の言葉に、蝋梅は驚き桔梗は嫌悪の表情を桜に向けた。


「宝である民を、その身でお救いになる蝋梅様は帝のお言葉を体現したに過ぎません。磨けば輝く宝を、汚れたからといって打ち捨てる者がおりますか?」


 桜の言葉に一瞬口籠もる桔梗は嫌悪の表情はそのままに怒りを瞳に宿した。しかしその後ふっと嘲笑するような笑みを浮かべ、口を開く。


「花桜様には、公家の矜持はお分かりにならないでしょうね」


 声に混じる揶揄するような響きに、桜は眉を持ち上げた。


「わたくし、一度花桜さまにお会いしてみたかったのです。母君譲りの美貌・・・・・・・で人を狂わす姫君・・・・・・・・。本来ならば両親ともに由緒正しい血筋の姉君が選ばれる筈だったのに、その噂で先代の帝が花桜さまに興味をお持ちになったゆえ、四姫に選ばれたとか……」

「それ以上の発言は、花桜様に対する無礼と受け取ります」


 悪意の込もった言葉に、橘が気色ばむ。


「まあ、お兄さま。無礼だなんて。わたくしは花桜さまに憧れておりますのよ。本当に、噂通りの、桜の如き美しさ。今が盛り・・・・と咲き誇るその美しさを誰しもが羨むことでしょう。わたくしが誇れるものなど、この体に流れる血と公家の矜持だけですもの。衰えないことだけが救いでしょうか」

「流石にその言葉は」

「橘」


 橘の言葉を遮り、大丈夫だと言うように微笑んで桜は桔梗に向き直った。


「私、桜が好きですわ。咲いて美しく、散って美しく。その美しさばかりが讃えられる桜ですが」


 桔梗は蔑みの表情で鼻白んだ。その桔梗を笑顔のまま見据え、桜は言葉を続ける。


「古来より桜は美しさで人を慰め、その花を無くした後も葉は食用となり、枝は布を薄紅にも緑にも染めあげる。幹は家を作る柱となります。皇后を目指す以上、桜を目指さねば。例えて頂けて光栄です」



 言い返せたことに内心安堵し、表面上は柔らかく微笑したまま心の中で喜んでいると、後ろから「見事だ」と低い声が響いた。



 振り向くと、そこには光り輝く美丈夫がいた。帝である。



 その場の全員が一瞬息を呑み、慌ててひれ伏す。


「礼は良い。今日は姫君だけの花見だとは聞いたが、ほんの少し邪魔しても良いだろうか」


 文官が慌てて帝の席を用意し、帝は鷹揚とその席に座った。渡された甘酒を飲みながら、梅を見上げ、「美しいな」と目を細める。


 余裕の帝と比べて、桜を含む四人の姫は皆一様に緊張していた。特に桔梗は真っ青な顔で押し黙っていた。聞かれたくないだろう言葉を、一番聞かれたくない相手に聞かれてしまったその心中は、察するに余りある。内心ほんの少しだけ、桜は同情した。少しだけ。


 しかし帝は先ほどの会話には一切触れることはなく、四人の姫に皆同じような態度で同じ数だけ会話を振った。話しているうちに、全員の緊張がほぐれていき、最後には青ざめていた桔梗も僅かに元気を取り戻した。


「異例中の異例で戸惑ったろうが、花桜。橘とはうまくやっているだろうか。図書寮で共に勉学に励んでいると聞いているが」

「はい、勉強を教えて頂いております」

「橘は賢いだろう。西園寺の当主が、長男ならば必ずや太政大臣まで上り詰めたはずと悔しがっておった。なあ、橘。私は出自ではなく、能力で評価する。武士はやめて官職につかぬか」


 そう言って帝が意地悪そうに笑い、橘を見た。橘は表情を変えずに「私には勿体無いお言葉。不相応でございますゆえ」とだけ答えた。


 帝が声を上げて笑い、横にいた蝋梅に困っていることはないか尋ねている。首を振る蝋梅に、白萩が何かを尋ね帝が楽しそうにそれを聞く。そして口数少ない桔梗に甘酒を勧めた。


 誰よりも尊い彼は、誰よりも他者を気遣う人間のように見えた。


 桜は不敬ながら、帝をじっと見つめた。


『出自ではなく能力で人を評価する』と、この国で一番高貴な血を持つ帝の言葉に、胸の中でぽっと花が開くようだった。


 視線を感じたのか、帝と視線が合った。ふっと微笑する帝に桜の頰が赤くなる。


 橘の視線を、桜は気づかなかった。




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