花緑に咲く

ちゃけ

第1話1969年4月29日午前5時5分

 1969年4月29日午前5時5分、ぼくは母の股間からこの世界に出てきた。ただ可愛いと家族にこねくり回されてはいるが、人の形をした生物で人間とは呼べない。目も見えず、自由に移動もできない。ただぼくは記憶においては他人より優れているのかオムツを変えるときに母に両足を持ち上げられる時のことはよく覚えている。理解はできないが母が話しかけていることも覚えている。きっと愛情を伝えてくれていたのだろうだからこのことも覚えているのかも知れない。

その後の記憶は、離乳食を母からスプーンを使って食べさせてもらっているシーンだ母は暖かくて太陽の様な人だった。

 かいして父は厳しい人だった。乳児の時の記憶が全くない。きっとそれなりに可愛いがってくれたのだろうがはいはいで移動してても、邪魔にされることのある恐いイメージが赤ちゃんの時からある人だった


 立ち上がり、よちよち歩きが出来るようにようになると怪我も増えてくる、台所のつま先だちで食器棚の引き出しに手を挟んだまま閉めてしまい、痛みで泣きながら長男の指を引き出しに挟んで伝えた事をよく覚えている。そのことは母がよっぽど面白かったのか亡くなる前まで何度も聞かされては優しい笑顔を私に向けてくるのだった。長男にたいしたら良い迷惑なエピソードだ。


 この2-3歳児の時からしばらく父も可愛がってくれていた、毎朝「いってらっしゃい」と言うと父は10円をくれてそれをロッキーチャックの貯金箱に貯めるのが朝の日課だった。夜になると父が帰る前に寝てしまうので朝しかコミュニケーションが取れないので仕方ない。子供が起きているうちに帰ってくような国じゃ景気も悪くなるよなと思ってしまうが、今のぼくは6時に帰りたい。日本人は堕落した。

 父と母とぼくは同じ部屋に寝ていたが、父が朝の身支度を始めると邪魔になるのでお姫様抱っこで隣の部屋の隅っこに置かれていた。子供が寝るとsexを始めても起きないし便利なもんだ。

6畳4.5畳の2LDKの家には祖母を含め6人家族で住んでいた。幼児の頃から毎月21日の四天王寺の縁日に連れ出してはおもちゃを買ってくれたのだが今のようにパンツ型のオムツのない時代はお漏らしをしてから「おばあちゃん、おしっこ出た。」と自己申告するので持って出ているパンツの枚数が度々足らなくなり「おしっこ出る前に言わなあかんやろ。」とよく言われてものだ。とにかく祖母には可愛がられ、老人会の会合には連れ添いおばあちゃんたちの「可愛い」コールに祖母の花も高かったのだろう。いわゆるどんぐりまなこの男の子だった。それでも長男のアルバムはぼくの2倍はあり、やっぱり長男には叶わないなと思うのだった。

 

 

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