第6話 銀

【皆それぞれに役割がある。だが、自身の役割をはっきりと認識できる者はほとんど存在しない。もしも自分の役割を知った上で人生を生きるのだとしたら、それはとても悲しいことだ】


 僕は再び裂け目に降り立った。目の前には赤土の壁がある。その壁に近付き、僕は左腕を伸ばした。

やはりだ・・・手を広げ、掌全体で壁に触れようとするが、その手は土の中へ沈んでいく。僕の手は、何かに触れている触覚という情報を脳に伝えてこない。肘まで地中に沈んだ辺りで立ち止まる。これだけ間近で見ても、土壁にしか見えない。

 よく意識を集中してみると、手首より先、手の辺りは、こちら側よりも気温が低いと感じる。いわゆる暗所なのだから、それも当たり前か。

 こちら側からは、壁の向こうがまったく見えないが、特に緊張する要素はない。あえて気になっているとすれば、向こう側に光源があるのか?ということぐらいだ。僕は腕を下げた。そしてそのまま前進し、壁の向こう側に抜けた。


 薄暗いとは思うが、周囲の様子は見て解る。光源があるということになるが、それがどこにあるのかは判らない。床、天井、両側の壁の全てが金属だ。ただの鉄板と認識していいだろう。天井までの高さは3mほどか。幅についても同様に3m程度あるようだ。映画などで見かけそうな鉄の廊下だ。見えている限りで、直線のその廊下は、どこかに扉があるようには見えない。突き当りも確認できるが、その手前に左側に空間があるように見える。折れ曲がっているのか、下り階段でもあるのだろう。

 静かな廊下に、僕の足音だけが響く。どれだけ進んでも、光源は見当たらない。廊下そのものは現実味があるのだが、明かりの在り方が、ここが僕の知っている世界ではないことを教えてくれる。

 ほどなくして、廊下の突き当りに到着した。左側には下り階段がある。ここも光源がないにも関わらず、明るい。鉄製のその階段は、20段ほど下ったところで直角に曲がっている。それの繰り返しらしく、螺旋のような階段で四方を囲まれた空間を見下ろせば、底まで見通すことができる。もしも後でこれを登れと言われれば、少々憂鬱になるところだ。もっとも、今の僕は体力を心配しなくていいようにプログラミングされているらしいが。

 ただひたすらに階段を下る。道中に廊下はなさそうだ。中央の吹き抜けを見下ろせば、最下段の床が見える。そことの距離感から、一番下はこの島の中腹ぐらいに位置するだろうか。正に、島の中心部なのだろう。そこには彼らとの通信手段があると思っている。もしかすれば、彼ら自身が疑似的にそこに存在し、直接対峙することになるかもしれない。話ができる相手であればいいが・・・。


 最下段にたどり着いた。近付くまで解らなかったが、下って来た階段を潜り抜けると、今度は短い廊下が伸びている。その先には・・・壁一面の大きさを持つ銀色の扉がある。その扉の前には、大理石と思える台座があり、その上には・・・パソコンだろうか?ディスプレイが光っている。扉は観音開きか左右開きらしく、中央に1本、縦線が見える。持ち手のようなものもなければ、装飾も一切ない。3m四方の大きな扉だ。

 見ている感じでは金属製だが、重量次第では動かせるのか疑問だ。持ち手が無いように思えることから、扉の開閉は自動であることを願うばかりだ。

 手前にあるパソコンが、扉の開錠手段なのだろうことは想像できる。僕は台座上で光るパソコンに近付いた。

 その画面上にはパスワードを入力するのであろう枠が表示され、アンダーバーが点滅している。アンダーバーと枠幅から考えると、7文字のようだ。その枠の上には、文字が表示されている。さすがにノーヒントでパスワード入力はムリがある。この文章がヒントだと考えるべきだ。

「私の前に立つ者よ、持てる全てを使い、事実を見極めろ。そしてその向こう側にある真実を手に取れ。それが始まりだ」

これは厄介。正直なところ、この文章を読んでもヒントだと認識できない。とは言え、今はこの文章以外に何もない。

 この文章で重要な箇所は2つ。〝事実〟と〝真実〟だ。1つの事象に対して、この2つは必ず存在する。この2つが同一である場合もあるが、異なることが多々ある。そして真実が悲しい場合が多い。

 あまり良い例えではないが、ある人物が警察官を刺した。これ自体、犯罪である。許される行為ではない。もちろん、その人物はその場で逮捕される。だが、そこにある真実は〝母の愛〟だと言う。息子が犯した罪が別にあり、それを突き止めた刑事が逮捕に来た。それを目の当たりにした母親が、それが重罪であることを承知で、息子を信じた凶行だった。この親子以外にとっては、「犯罪者である息子を逃がすために母親が警察官を刺した」ことが〝事実〟だ。だが、この2人にとっては、息子の無実を信じぬいた「母の愛」という〝真実〟があった。

 当事者であれば、〝真実〟は目の前に存在する。しかし、他者からは真実が見えないことが多い。〝事実〟が〝真実〟を隠してしまうのだ。他者が〝真実〟を知ろうとした場合、その事象に関わる内在的または、間接的な〝見えない事実〟を探し出す必要がある。先ほどの例えで言うのならば、「母親が息子を愛していた」という事実や、「母親である人物は自分を犠牲にする強さを持っている」という事実。といった具合だ。

 ヒントがこのことを指しているのであれば、僕に見えている以外の〝事実〟を見極める必要がある。

 この文章でいう〝私〟とは、世界を創った者のことだろう。僕が彼(もしくは彼ら)と呼ぶ存在のことだ。その後に続く人物は、今回の場合、僕のことを指す。

 次の文言、〝持てる全て〟だが、これは3つの解釈ができる。1つは文字通り、現在僕が所持している物全てだ。これに該当するものはわずかしかない。衣服、ポケットツールがソレに該当するが、見方を変えれば、その2つしかない。おまけに、実際に使えるだろうモノはポケットツールであって、衣服は関係ないだろう。

 もう一つの解釈としては、僕の内に内在するものだ。知識のように蓄積されているものもあれば、判断力や決断力といった瞬発的思考も該当するだろう。基本的には、この島に関わることの知識や、ここでの経験により得たものがコレに該当しそうだ。

 3つ目は僕自身の存在を指す。短絡的に考えれば、あの重そうな扉を開けるための力だ。あの扉が見かけどおりの質量を持っているのだとしたら、僕にそれができるとは思えない。僕の身体は、一般的に物書きに対するイメージとは違い、締まってはいるが、筋骨隆々というには程遠い。

 1でないことは解る。そもそも所持しているものなんて、ほとんどない。ポケットツールで何ができるかと言われても、せいぜいパソコンの解体ぐらいだろう。3の場合、ただの力技にしかならない。御大層な謎かけをしなくとも、扉だけあれば十分だろうし、最悪の場合、扉に押しつぶされかねない。できればゴメンこうむりたいところだ。消去法的ではあるが、相手が僕に対して挑戦的であると考えれば、2だと判断していいだろう。

 僕の知力全てを使って、〝事実〟に隠された〝真実〟を見極めることが求められている。さて、そもそもここでいう〝事実〟とは何だ?この世界に対する仮説が正しければ(いまさら疑うこともないだろうが)ある意味、この世界の全てが事実ではないと言っていい。そういう見方をすれば、事実とはこの世界がプログラムでできているということだ。それでも、そこに存在してきた生命は、それぞれ個を持つ生命であったという考えが〝真実〟だと考えることもできる。

 僕たちの世界でも、AIの研究は継続されてきた。それを題材にした映画なども多数作られてきた。そんな物語の中には「AIに人権が必要か?」という内容のものもあった。おそらくそれは、AIの使用目的に左右されるのではないだろうか?仮に、   AIを悪用されたとしても、それはAIが悪いのではない。悪用する者が悪いのだ。

 ここでいうAIは、世界に個別に存在するAI、僕たちが一般的に知っているAIだ。それがコンピューター上で構成されている場合であっても、我々の世界に〝個〟として存在する。そうした存在に対して、人権という概念を討論することは、比較的やりやすい。だが、これがコンピューター内に創造された世界に住む、人類と同数程度のAI全てであったとしたらどうだろう?これを詰めていけば、いわゆる仮想世界に存在する人間が我々と同じ人間であり、集団が形成され、やがて国家が出来上がる。ソレを人類は1国家として認められるだろうか?答えは「YES」だ。

 あくまでコンピューターの内と外。これが重要だ。コンピューター内でどれほど強大な国家が誕生しようと、どれほどの兵器が開発されようとも、外に実害をもたらすことはできない。万が一それが可能だとしても、コンピューターをシャットダウンしてしまえば、内側にある世界は強制的に消滅する。この上位存在としての認識があれば、内部で国家が成立しようと、核兵器が開発されようと、それを容認することができる。もっとも、容認と言ってもそこに内外でのやり取りは無く、“放置〟といった方が正しいのだろうが。

 つまり、僕たちはそうして外にいる彼らから〝黙認〟されてきた存在なのだ。これは、分類するならば〝事実〟だろう。ではその事実が隠した〝真実〟とは何か?カンタンなことだ。「僕たちは生きている」だ。彼らからすればそうではないのかもしれない。そもそも生命と認識しているのかも疑わしい。プログラムという構成言語であるという事実が、僕たちは生きているという僕たちの真実を隠してしまっている。

 立場が変われば、立つ位置が違えば、そこから見える景色は一変する。自らの立ち位置を変える必要はないと思うが、相手側に立った場合を考えることは必要だ。では、それは可能なコトなのだろうか?「相手の事を考えろ」といった類の言葉はよく耳にする。だが、言っている本人であっても、それは極めて難しいことだ。「相手の事を考えろ」と言い放った相手に対して、言った側は「相手のことを考えて」出した言葉なのかは疑問が残ることだろう。

 相手とは〝個〟であり、自分もまた〝個〟である。それぞれ別の〝個〟である以上、真に相手側に立つことはできない。唯一可能な方法は、相手に直接聞くことであり、そうするためには、意思疎通できる環境、状況が必要となる。そのうえで、自己を押し殺して、相手の〝個〟を尊重するもしくは、受け入れる必要がある。それも、双方互いに、だ。これは容易い事ではない。むしろ、極めて高難度な行いだ。

 このことを僕と彼らに当てはめてみよう。彼らは僕たちの創造主と言っていい。それは絶対に覆すことができない高位存在だ。そもそも対等な立場に無い2者間にあって、高位である彼らは、どこまで寛大なのだろうか?話し合うことが可能だとして、それは対等に行えるのだろうか?

 いずれにしても、僕はこの扉を超える必要がある。パスワードを解く必要があるのだが、それが〝PROGRAM〟の可能性はないだろうか?


 事実を見極め、向こう側にある真実を手に取れ。

 この島にきてからこっち、嫌というほど事実を目の当たりにしてきた。正直、受け入れがたいモノばかりだったが、事実は事実だ。変えようがない。おそらく、僕の思考も彼らには筒抜けなのだろう。

 彼らは、世界のどこであっても、その様子を見ることができ、それぞれの思考を、文字通り読むことができる(と思われる)。コレはコレで人権侵害も甚だしい。過去に自分のしてきたこと、考えてきたことを思い返せば、恥ずかしい以外の何者でもない。

 これまで知り得た事実はたくさんある。その中で根本であり絶対不変のものが1つある。僕たちの生きた世界はプログラムだという事実。これは今なお、この島にあっても変わることはない。この島も、目の前にあるパソコンも扉も、僕自身でさえも、全てプログラムであり、彼らの世界で言うところでは、実在していない。

 事実を見極めるとは、この扉の向こう側へ行くための事実を、取捨することだと思う。そして僕は、「全てがプログラムである」という事実を選んだ。だから僕は、向こう側にある真実を手にしようと思う。

 僕は顔を天井に向けた。だが、見ているのは遥か先、実際に見えていないが、彼らを見据えている。

「この扉はプログラムだ。パスワードなど必要ない」

僕は初めて彼らに対して言葉を発した。そして、台座を迂回し、扉に直進する。

 扉と接触する直前、僕は両眼を閉じた。しかし、歩みを止めはしなかった。

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