十二話 ハァッ!
深夜を回った頃だろうか。茶と黒が入り混じったダサいジャージを着て爆走する影があった。短距離世界記録者すら真っ青な速度でかれこれ三十分近く走り続けている影は、大輔である。
いつも通りのトレーニングだ。
直樹は一緒ではない。何故なら直樹と大輔のトレーニング時間は全くもって被らないからだ。
直樹は大体朝の四時近くからトレーニングするタイプで、大輔は夜中にトレーニングするタイプなのだ。また大輔は一日に二回寝るタイプでもある。大体三時間と四時間。夜の九時くらいに一度就寝し、十二時近くになると起きて三時くらいにまた寝る。
だが、モノづくりが趣味でもあるためか、最初の三時間をすっぽかすことの方が多い。大輔のステータスや
アルビオンでは、研究仲間でもありストッパー役であった王女様がいたのだが、今はそれもいないためここ最近はずっと四時間睡眠である。
兎にも角にも、直樹も大輔も地球に帰ってきてもトレーニングは欠かさずしているのだ。それこそ、病院を退院してから一ヶ月少しで、ステータス値を制限したまま市街地を爆走するくらいには鍛えている。
普段は衣服に隠れていて分かりづらいが、バランスよく全体的に鍛え抜かれた筋肉が大輔の体には宿っていた。通常一ヶ月ちょっとでその肉体をビルドするのは不可能なのだが、回復魔法やステータス値によるごり押しの回復によってその肉体を作り上げた、いやある程度取り戻した。
いくらステータス値が高かろうと肉体は資本であり、基本である。いざという時に役に立つのはテータス値や
そうして大輔は走りに走り、とある海辺の砂浜に立ち寄った。ここまで爆走マラソンはあくまで前座。準備運動である。
大輔は“収納庫”を発動し、とある
寄せては返す穏やかな波打ちの音が、おどろおどろしく聞こえるのは気のせいではないだろう。
「よし」
なのに大輔は満足そうに頷いたかと思うと、突然フィンガースナップをする。すると市松人形が基点となって長方形型の結界――否、特殊な異空間を作り出した。
少しだけもやっとした長方形型の結界だが、波打つ音はキチンと聞こえるし、転々と輝く星々が見える。
市松人形は認識阻害と人除け、迷彩にジャミング、同位相でありながら違う簡易的な異空間を作りだし、あとは空間外部への影響をなくすための結界を作る
別名――アナタはもうここから出られない、だ。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。アルビオンでちょっとした嫌がらせとして役に立った。
そんな空間内で大輔はストレッチを開始する。ラジオ体操っぽい運動をしながら体を入念にほぐした後、再び“収納庫”を発動させる。
大輔の周りが燦然と金茶色に輝く。
「じゃあ、よろしく」
「かしこまりました」
現れたはメイド。まるでビスクドール――否、本物の
落ち着きのある黒のロングワンピースに、ほんの
通称、ヴィクトリアンメイド服。もしくはクラシックメイド服。
それらに身を包んだその西洋風の顔立ちの人形はとても美しい。
キュッと結ばれた薄桃色の唇は可愛らしく、その顔立ちは陶然としてしまうほどに美しい。プロポーションも出すぎているわけでもなく、されど小さいわけでもない。黄金比。
だが、彼女はゴーレム。人形。
その美しさは人のそれとは違う。無の美しさ。機械的であり、神にも近い美しさを誇るその彼女は、死神と言われてもなんの疑問も持たない。
素の戦闘力はアルビオンの魔王の中で最弱だった人の魔王――アルビオンの小さな国の一つを滅ぼせるくらい――と同等。しかも体に組み込まれている他の
感情は持っていないが、疑似的な魂魄――魂を持っており、AI以上の学習能力や意志を持っている。高度な学習能力を応用した疑似的な感情と自立行動が可能で、流暢な会話も可能。意思決定における柔軟さもあり、隠密行動などにも優れている。
さらに恐ろしいのが、目の前にいる
命名は大輔ではなく、神官であり勇者パーティーの回復担当だった阿部慎太郎。
兎にも角にも、大輔に召喚されたそんな恐ろしい
「シッ」
「ハッ」
――
が、
一瞬両者が
全ては音速以上の世界で行われた一瞬の攻防。通常の人の目では追うことすら叶わない格闘。
鍔迫り合いをしているかのように両者は拮抗する。
大輔が右足を一瞬だけ振り上げ、クレーターとなった砂浜に叩きつける。無数の砂粒がまるで脳天を華麗に貫く貫通弾のように周囲に飛び散る。
砂粒の掃射が大輔を襲う。
「ハァッ!」
気合一発。大輔は砂浜に叩きつけた右足を軸に左拳を突き出した。すれば、空気が破裂し衝撃波となる。大輔を襲った砂粒と一緒に踊り舞い、数瞬前まで
大輔はキラリと丸眼鏡を光らせて
両者は睨みあう。殺意の嵐を相手に叩きつけながら、しかし呼吸すら響かないほど静寂を身に纏っている。
さざ波の音さえも消え失せてしまうほどに張りつめた空気は。
「シッ!」
「セイッ!」
爆発する。
砂浜がえぐり取られ、砂粒が乱舞し、衝撃波の暴風が吹き荒れ、音が破裂して消え失せ。
そしてダサジャージとヴィクトリアンメイド服が交差する。
その格闘戦そのものは極められた
だが、いくらシュールに感じようと、やはりそこにあるのは殺戮の嵐。
穏やかな砂浜であったはずのそこは、既に戦場と化していて無残なありさまだ。それは市松人形四体によって構成された結界の外と比べれば一目瞭然。その空間内だけがまるで別世界であるかのように荒廃している。
空中すら蹴って跳び交い始めた二人は物理だけで暴風を引き起こす。暴風は刃となりて空気を切り裂き、爆発させる。地は割れ、頑丈な結界は軋む。
そんなダサジャージとヴィクトリアンメイド服の激突が二十分続いた。結局その結界内の砂浜は抉れに抉れ、あり得ないほどの小さなクレーターと舞い上がった砂粒の雨が降っていた。
だが、人形である
大輔が丸眼鏡をクイッとする。
瞬間、二人の周囲が光り輝いた。大輔は金茶色、
そして両者の光が迸り、一瞬だけ世界を染め上げた後。
そこには、荒らされる前の砂浜と武装した二人がいた。
裾が漆黒の金属で補強されている白衣。その下にはパリッとした漆黒のシャツとズボン、金茶色のネクタイ。漆黒のブーツに、灰色の手袋に、灰色のベルト。
ベルトには幾つかの弾帯が下がっているが、種類は右に一つ、左に一つ。
右に垂れ下がるは複列弾倉。左に垂れ下がるは剥き出しの銃弾。右腕には金茶色の線が走る長方形型の漆黒の盾。
星明かりに光るは銀縁の丸眼鏡。その奥の瞳は真っ白に染まり六つの花弁を持つ黒の花を咲かせている。さらに左目には翡翠の星々が。
それが大輔。
対して
服装は変わらない。黒のロングワンピースに
だがしかし、背中には二対四枚の漆黒の金属翼が浮いている。翼一枚に十六の金属の黒の羽根があり、淡々とそれらが波打つ。僅かな星明かりにすら反射し輝く。漆黒なのに。
右腕は変形し、人のそれとは全くもって桁外れの大きな金属の腕がついている。こちらも漆黒。ガシュンガシュンと音を立てながら艶めく金属が蠢き続け、まるで筋肉を
爛々と瞳を輝かせ、悪魔のように嗤う大輔。冷徹という色すら宿さない深淵の瞳を向ける
寄せた波が返った。
瞬間、ドゴンッと爆発音と共に両者が地面を蹴った瞬間。
「ッ」
市松人形によって作り出された世界が飲み込まれた。灰色の世界が現れた。
そして。
「チッ」
天と地。全方位からおどろおどろしい闇を放つおぞましい巨大魚の影が、襲い掛かってきた。
「ハァッ!」
大輔は右腕の攻守一体型の盾――
爆風と共に金茶色の光が波打ち、砂浜から飛び出してきた巨大魚の影全てを吹き飛ばした。
「
カシュンカシュンと漆黒が轟く。背中に背負う漆黒の金属翼――
そして漆黒の巨腕――
全てが霧散した。
「……で、どういうことだろう。結界が飲まれた? いや、あれかな。僕たちだけが呼び寄せられたのか……何でだろう? あれは直樹から聞いた
巨大な腕と化していた
「
「特殊な魂魄波長を持つ少女、十三程度から二十程度までの女性の攻撃でしょ。なんでそんなピンポイントなのか知りたいけど」
「同感です。
「たぶんそれが
「こちらの
大輔は
無風で無音。灰色の世界で大輔は白衣を翻しながら足早にあっちこっちへと歩く。間断なく首を振り、あたりを見渡す。
近くでそれを見たら、幾何学的な模様が高速で流れているのが分かる。
そうして一分後。
「現世への侵略空間ってところかな。特定の人間を呼び寄せるのが基盤になっているようだね」
「はい。それを応用して、先ほどの影が持つ基礎因子――仮称
「まぁ基礎防御でそれなりに防げるようだけど」
大輔と
「同一存在を確認しました」
「見に行こう。空間自体の解析は終わったから簡易の転移鍵で抜けられるだろうし、少しだけ研究したい」
「かしこまりました」
大輔は作り出した金茶色の障壁を蹴って空中を走る。
「……生体反応を確認しました。人間のものかと思われます」
「よし、じゃあこれかな」
空を駆けながら大輔は“収納庫”を発動し手元を金茶色に光らせる。すると、手元には金縁の丸眼鏡が現れた。大輔は身に着けていた銀縁の丸眼鏡を外し、金縁の丸眼鏡を掛ける。銀縁の丸眼鏡は“収納庫”にしまう。
「認識阻害ですか」
「うん。一応知り合いがいると思うし、それに顔を見られるのはいやだからね」
そして大輔はワクワクとした表情を浮かべながら、感じ取った反応へと向かって空を駆けるのだった。
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公開可能情報
別名――アナタはもうここから出られない。オプションとしてそれらの市松人形の髪が伸びに伸びてその空間内を埋めつくす、なんていうのもある。
計百一体存在しており、一括して
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