同棲しているJKが僕の前で笑ってくれません
kattern
第1話
「自分の出てる番組くらい、笑って見たらいいのに」
金曜日の午後八時。
家賃6万円の1DKアパート。
ダイニングテーブルで冷めた酢豚弁当つつきながら僕は同居人に言った。
掃き出し窓の前に置かれた液晶テレビを、茶と白の市松模様のカーペットにうつ伏せになって眺めていた同居人がスンと上体を起こす。
穂海が振り返る。
清純派のイメージを崩さないよう念入りに色を選んだ黒めの髪が、むき出しになった彼女の肩をはらはらと撫でた。
ホットパンツに包まれた尻が微かに浮く。
ヤング誌のグラビアとはまた違う、プライベートだからこそ感じる女の子のいやらしさ。たまらず、健全な20代社会人男子の僕は生唾を飲み下した。
それが運の尽き。
見とれる僕の前で――胸の下に敷いていたぬいぐるみを穂海が振りかぶっていた。
ぬいぐるみの冷たい瞳が僕の瞼にキスをする。
痛え。
「笑顔はアイドルの商品なの。安売りできないっていつも言ってるでしょ?」
下瞼を人差し指でさすりながら「ふぁい」とマヌケな鼻声を返す。
すると、僕をにらみつけていた穂海が肩を揺らして満足そうに息を吐いた。それから、僕の腕に抱かれたぬいぐるみに物欲しそうな視線を彼女が向けてくる。
君が投げつけたんじゃないか。
彼女の名前は由家穂海。
芸名を林原穂海という。
17歳。JK。
いわゆる坂道系アイドルのような活動をしており、事務所横断のアイドルグループの選抜メンバーを務めている。最近は深夜帯ではあるがバラエティ番組に出るようになった。彼女となんで僕が一緒に暮らしているかについては――まぁ、内緒だ。
「ほら、返しなさいよ。でないと、『28歳童貞ドルオタサラリーマンが、未成年のアイドルを拉致監禁誘拐している』って、近所の交番に連絡入れるわよ」
「君が押しかけてきたんじゃないか!」
僕はあわててぬいぐるみを返した。
このやり取りから察してください。
三年前にひょんなことから夜の街で彼女と出会った僕は、帰る家がないという当時中学生の少女に、一夜ばかり無償の愛と庇を差し出した。それが、なぜか随分と大胆に事実関係を湾曲され、このようにつけいられることになってしまった。
女は怖い。
幼くとも怖い。
保護しなくてはなんて思った僕の方が幼かったのだ。
その後、社会人3年目で彼女無し・都内近郊で一人暮らしをする文系青年という、活動拠点を手に入れた少女はみるみると立身出世。
都会での居場所を自分で開拓していった。
今や、都内の高校に通いながらアイドル稼業にいそしむ、同年代少女達の憧れの的なのだから本当に恐れ入るよ。
ただし――。
「ねぇ。いいかげん、この笑わないルールやめようよ」
「やだ」
彼女は家で笑わない。
頑なに僕の前で笑うのを拒む。
というのも、同居する際に彼女はとあるルールを僕に突きつけたのだ。
『タダで住まわせろなんて言ってないわ。私を笑わせることができたら、おじさんとSEXしてあげる。それでいいでしょ』
14歳そこかしこの女の子が見下すように放ったその約束は今もまだ有効だった。そして、一度も果たされることがなかった。
渡したぬいぐるみを胸に抱くと穂海が僕に背中を向けた。
カーペットにうつ伏せになると、肩出しのニットセーターが歪に歪む。アイドルにしては少し貧相な彼女の身体も、大きめの女の子らしい上着に包まれると色っぽい。
痩せたお尻を覆うホットパンツは、お尻という概念を破壊したそうなきわどさだ。
ホットパンツの丈の端から苺色の布が覗けた。
慌てて僕は視線を逸らした。
彼女と一緒に暮らす前は同年代か年上が好きだったんだけれどもな。
穂海が振り返らないように注意しながら、僕はテーブルの前から立ち上がった。
「ねぇ、伊織くん」
僕に背中とお尻を向けながら穂海が言った。
視線はテレビの方を向いているが、ひな壇で笑う自分の姿を追ってはいない。四角い箱を通して、どこか遠い世界を彼女は眺めているようだった。
こういう反応は、たいてい迷っている時だ。
「……どうした?」
年長者の余裕を出そうとしたけれど微妙に声がうわずった。
そんな気遣いも穂海はどうでもよさげだったが。
少し間を置いて彼女が口を開く。
「今度の番組の撮影でさ、ベッドシーンやることになったんだ」
「へぇ」
「驚かないね?」
「まぁねぇ。アイドルなら、それくらいやるんじゃないの」
というのは大人の嘘。
めっちゃ驚いた。
心臓が聞いたことない音を立てたよ。
ベッドシーンって。今時のドラマでもそんなのあるんだ。
ここ数年で、いろいろと表現周りの規制が厳しくなったからちょっと意外だ。
というか、穂海ってば清純派路線で売ってるんじゃないの――。
「ははん、さては俺をからかってるな穂海ってば。その手には乗らんぞ」
「ほんとだよ。嘘吐いてどうすんよこんなの」
「だよね」
嘘であって欲しかったよ。
芸能界の厳しさと黒さに目眩を覚える。
もう一度、椅子に座ろうかと思った所で、ぴょんと穂海が飛び上がった。
事務所仕込みの華麗な足さばきでカーペットの上でターンを決めた彼女は、肩甲骨まで流れる黒い髪をさらりと涼しげに揺らす。
濡れ羽色をした髪が静寂を取り戻すと潤んだ瞳が僕を見てきた。
まるで彼女を拾ったあの日の夜のように。
ピンク色のペディキュアが塗られた親指がカーペットをきゅっと踏みしめる。
「そろそろかなって、私も思ってるの」
「……そろそろって?」
「処女、やめるの」
童貞の僕には「アテがあるのか?」なんて野暮なこと言えなかった。
言う暇もなく、穂海が悔しそうに唇を噛みしめた。
また黙り込む。
休日を前にした夜のアパートに重苦しい沈黙が流れる。
テレビから流れてくる音声はあんなに陽気なのに、ちっとも心は晴れなかった。
CM入りの直前、笑う穂海の顔が一瞬だけアップで映る。
どうやら穂海の出番が近いらしい。そうなったら湿っぽい話もそこまで。
唐突に突きつけられた時間制限に穂海が慌てて口を開いた。
「ねぇ、伊織くんはさ、処女じゃなくなったら私に興味持ってくれる?」
「……なにいってんのさ」
「処女ってめんどくさいってよく言うじゃない。一緒に暮らしてんのに、ずっと襲ってこないから、そういうのが嫌なのかなって思ってたんだけど――違う?」
「I AM A DOUTEI!」
「そうだったね」
「選べる立場じゃねーのよ」
渾身の自虐もやっぱり不発。穂海はくすりとも笑わない。笑顔をテレビの向こうに預けてきたのだろう、少女の表情筋は頑なに緩むことを拒んでいた。
穂海が俯く。
手の中に抱いたぬいぐるみ。
やさぐれた顔をしたそいつの手を弄りながら、彼女はカーペットに視線を彷徨わせる。ここは大人の寛容さで彼女の言葉を待つべきだ。
乾いた彼女の唇が寂しげに震える。
「簡単な条件をつければ、伊織くんみたいな奥手っぽい男でも何かしてくると思ったんだ。なのに、伊織くんってば何もしてくれないんだね」
「……簡単って?」
「女を口説くのと笑わせるの、どっちが気が楽かって話」
――なに?
もしかして僕ってば気を使われていたのか?
14歳の女の子に?
はっとしてもしょうがない。
僕は迷ったが穂海の真意を尋ねることにした。
「それじゃ、穂海は昔から俺のことが好きだったのか?」
「それはちがう」
「即答」
「笑わせようとしてきたら全力で逆らってやるつもりだったの。そう簡単に抱かれてたまるかって。さんざん焦らして、挑発して、私の価値を高めてやろう。伊織くんが私のことを手放せないようになるまで心を縛って」
「……縛って?」
「……それだけすれば、抱かれてもいいかなって」
暗い瞳で14歳の少女が目の前で言った。
幼さを虚勢と度胸で誤魔化し続けて来た女の子。
愛に飢えた女子中学生が僕の部屋に立って居た。
震える彼女の手からぬいぐるみが滑り落ちて、鮮やかなピンク色をした爪先に落ちた。彼女の足に当たったぬいぐるみが僕の方に転がってくる。
瞼にキスをしたつぶらで冷たい瞳がこっちをせつなげに見上げてきた。
こんなの、卑怯だろ。
すぐに手の中の弁当箱をテーブルに置くと、僕はぬいぐるみを拾い上げる。
「穂海ちゃん。顔を上げて。こっちを見て」
「……なにやってるの?」
顔の前にぬいぐるみをかざして僕は言う。
おどけたリズムで。
声を裏返らせて。
悲しみなんてこの場にないように装った。
「僕は穂海ちゃんのことが大好きだよ。嫌いになったりしないよ。君が出て行きたいと思う日まで、ずっとここに居てくれていいよ」
「……ほんと、なにやってるの?」
「だから安心して笑っていいんだよ」
穂海が言わなければいけない言葉を口にしたように、僕も言わなければいけない気持ちを彼女に告げた。ずっとずっと、彼女にかけてあげたかった言葉を。
三年もかけてどうしてこの一言を口にできなかったのだろう。
ほとほと情けない。
ぬいぐるみに隠れて見えないのにどうしてだろう。
物悲しい嗚咽が聞こえてくるのになんでだろう。
一度も見たことないのになぜだろう。
僕にはその時、穂海がどんな顔をしているのか、その顔を見ないでも分かった。
「SEXしなくていいの? 女子高生モノAV、好きでしょ?」
「フィクションと現実を一緒にしないの」
大人の男はそういうの、割としっかり切り分けられるものなんですよ。
◇ ◇ ◇ ◇
後日、この話にはひとつオチがついた。
「ごめん、伊織くん。ベッドシーンの話なんだけれど」
「もしかしてやめることになったの? よかったじゃん?」
「いや、その――実は、お笑い番組のコントの話だったらしくって」
たははと苦笑いするようになった穂海は、最近また少し可愛くなった。
【了】
同棲しているJKが僕の前で笑ってくれません kattern @kattern
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