鋼の精神を持つ男――に私はなりたい!

樹洞歌

第1話 絶望



「……空が青いな……」


 男が呟いた。


 男が今いるのは都内のどこにでもありそうな大きくも小さくもない公園。外回り営業中、ふと立ち寄ってベンチで休憩しているサラリーマンそのものの姿である。


 冬の訪れはまだ先だとでもいうような小春日和、その日の空は珍しく晴れ渡っていた。


 だが、男の心情は対照的だった。

 ここが都内の公園だったからよかったものの、もしビルの屋上や駅のホーム、或いはサスペンスドラマに出てくる断崖の上だったら、間違いなく自殺するんじゃないかと疑われかねないほど生気のない表情だった。


 男の心情を一言で表すと『絶望』である。

 男は所謂ブラック企業に属する営業担当で、実際外回りの仕事中である。時間を遣り繰りして私用で病院を訪れた帰りだった。

 その病院は会社が体裁のため毎年薦めている健康診断で先月訪れてから再検査を含めて三度目の訪問となる。

 男は癌宣告を受けた。


 医者は言う。

 本来なら家族同席でなければ宣告しなかった。だが早期に治療を開始すれば完治の確率も高い。だから『絶望』する必要はないと。


 だが、男は『絶望』した。

 してしまう性格だった。


『完治の確率? 再発の確率? じゃあ、そもそも癌にかかる確率はいくつだ。見事当選したオレが確率どおり完治するのか? 再発の確率は俺に限って100%じゃないのか?』


 悪い方へ考えてしまう、しかし、医者の前で爆発したりせず、内に溜め込むような、そんな性格だった。男は医者の説明を上の空で聞きながら諸手続きを理由に病院を後にしたのである。


 会社に戻って仕事をする気にもなれなかった男は病院近くの公園にふらりと立ち寄る。そこのベンチに崩れるように座り込むと自分の身に一体何が起きたのか考え始めた。

 癌になった直接の原因は、患部が胃であることですぐに思い当たった。

 胃潰瘍である。それも慢性といえるものだ。


 胃潰瘍の原因といえば乱れた生活習慣に加え過度のストレスである。

 男には思いっきり心当たりがあった。


 男の勤める会社は社会現象になって久しいブラック企業である。当然会社側が自ら『弊社はブラックです』とは公言するわけもないが、サービス残業サービス休日出勤は当たり前、中には自身のストレス解消のためにパワハラしてくる上司や先輩社員も存在する。

 男はその会社に入って10年近くになるが、いつの頃からか胃潰瘍を患い、真っ当に治療する時間も取れず市販薬で騙し騙しやってきたのだ。

 それがこの結果である。


『……労災下りるかな? あんな会社辞めておけばよかった……』


 後の祭り、後悔先に立たず。正に今の男にふさわしい言葉だ。

 男もこれまで幾度となく辞職を考えたことはあった。嫌な上司を殴り倒し辞表を叩きつける、そんな妄想もした。すぐに警察沙汰は自分の首を絞めるだけだと辞表を叩きつけるだけの内容に修正。これも性格ゆえだ。


 そんな妄想を繰り返しながら結局実行に移すことはできなかった。

 激情に任せて今の会社を辞めたところで次の転職が上手く行くとは限らない。派遣社員かフリーターか。最悪無職のままホームレスである。

 運良く再就職が叶ったとしてその新しい会社が今の会社以上のブラックであったら目も当てられない。

 そもそも今時の日本にブラックでない企業が存在する確率は? そんな天国のようなホワイトな企業が30男を中途採用してくれる確率は? 

 ネガティブな男の感性では癌の罹患率よりも低いと言わざるを得なかったため、現状維持を選択し、妄想を中断してしまうことしばしばであった。


 しかし、この男を腰抜けとバカにできる人間がこの日本にどれだけいるか。コネなどない平のサラリーマンであれば大概同じような環境ではなかろうか。

 無論そんな環境に適応する人間もいるだろうし、健全なストレス解消法で精神のバランスを保っている人間もいるかもしれない。


 また逆にこの男よりも更に過酷な環境に身をおいている者もいるだろう。

 しかし、だからといって男のストレスが軽減されることもない。

 この男の性格もマイナスに働いてしまったのだ。


『……ああ、神経の図太いヤツが羨ましい……』


 男は内向的なタイプだった。『繊細』とか『ナイーブ』と言うとオシャレに聞こえるから日本語は複雑である。ともあれ、それはブラック企業では何の役にも立たない。


 インターネットの普及により、昨今今まで知られていなかった言葉・概念が溢れかえっている。

『引きこもり』『ニート』『自閉症』『コミュ障』など、男が最近気になっているのはその方面である。

 あと一歩。何かがあったら堕ちてしまうのではないかという恐怖、男は自分の性格が嫌だった。


 そして今日、その何かがあった。これが引き鉄になって心が壊れるかもしれない。それは死ぬことよりもよほど恐ろしく感じられた。


『……なんでこんな性格になったんだろうな……』


 男は青空を見上げながら過去を振り返る。


 長くも短くもない男の人生は波乱万丈……ではなかった。

 財閥の御曹司だったので誘拐された、ということもなく、邪教の生贄にされたこともなく、超能力も発現しなかったし、隣の幼馴染の女の子が実は魔女だったり宇宙人だったりしたこともない。

 テロに巻き込まれトラウマになったり、昨今流行の転生トラックに轢かれたこともない至って普通の人生を過ごしてきた。


 男はどこにでもあるような地方都市の生まれで、公務員の父親と事務のパートの母親、年の近い妹を持つ。やはり平均的家族といっていい。

 家族仲は良くも悪くもない。当時は普通だと思っていたが、今思えば『コミュ障』の片鱗が見られる。

 それでも大過なく小中高を地元で過ごし、その後は父親が渋ったが、学費の安い国立ならばと上京した。

 大学時代も特筆すべきエピソードなどなく、生活費のために居酒屋でアルバイトを続けていたことぐらいが目立った記憶である。

 友人に関しては更に悲しい。友達付き合いが皆無ということはなかったが、深い付き合いだったかといえばそれもない。小中高、大学を通じて卒業とともに疎遠になっていた。今でも同僚との浅い付き合いがあるのみである。当然独身の一人暮らしだ。


 子供の頃から何となく感じていた疎外感。

 ここは自分の居場所じゃない。そんな思いは社会人になってからはますます強くなっている気がする。

 今回癌に罹ったことで神にも見放された思いだった。


『ハハッ。寂しい人生だな。オレってホントどうしようもない人間だったな……こりゃ、死んだほうがマシかな……』


「……ああ、空があお……ぅえっ! 暗い? なんで?」


 男が見上げていた空はいつの間にか星空であった。




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新作始めました。二作品あります。是非よろしくお願いします。


『鋼の精神を持つ男――に私はなりたい!』https://kakuyomu.jp/works/16816927861502180996月水金19時投稿予定。


『相棒はご先祖サマ!?』https://kakuyomu.jp/works/16816927861502718497火木土19時投稿予定。


連載中の本作品『ヘイスが征く』は次回3月20日から毎週日曜日、週一投稿に変更します。ストックが切れそうなので。

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