連絡をください

桝克人

連絡をください

「私の時は黒電話やったねぇ」


 由紀は黒電話を思い浮かべた。テレビドラマでしか見たことがないのでぼんやりとした形しか思い出せない。


「今の子は黒電話なんかわからんかねぇ。これくらいの大きさでなあ、ダイヤルを回して電話するんや。私が小さい時にお父はんが仕事で使うから言うて電話を敷いてなぁ。その頃は電話を敷くのもまだ珍しかったから、なんだか誇らしかったよ。ただ初めてあの呼び鈴を聞いたときはあまりのけたたましい音に驚いて泣いてしまったって、お母はんがよく話してくれてなぁ」


 日の当たる縁側で座布団を敷き正座する初枝おばあちゃんの背中は丸い。初枝は近所に住む一人暮らしのおばあさんだ。由紀はどういう知り合いだったか思い出せない程小さいころから初枝の家にちょくちょく遊びに行っていた。

初枝は夏休みに入ったばかりの夏日でも熱々の緑茶を啜っていた。湯呑をお盆に置いて、丸かった背中を少しだけ起こし手振りを交えて教えてくれる。昭和レトロの黒電話にさほど興味のない由紀は、本題に早く戻りたかった。


「それで、その黒電話にかかってきたんだよね」

「そうや、そうや、あの日は今日みたいな暑い日やったなぁ。私は夏風邪で寝込んでてな、家には誰もおらんかった。ジリリン、ジリリンって大きな音をあげて電話が鳴りだしたんや。普段ならお母はんがすべての電話を取り次いでたんやけど、ちょっと買い物に出てたんやっけなぁ。仕方なく私が受話器を取った。もしもしって小さい声で電話に出ると、向こうから綺麗な音色が流れるんや。まるでこの世のものとは思えない綺麗なお琴の音色やったなぁ。今でも覚えているのにどうにも再現出来へんかった。なんせ芸道をからっきしで、お父はんは習わせたいってよ言ってたけど、うまくならんでなぁ。おかげでお嫁にいけへんって嘆いてはったわ」


 初枝は、気にしてないとでも言うようにほほほと上品に笑った。


「それで、綺麗なお琴の音が聞こえてどうしたの」


 脱線した話を戻そうと強い口調で話の先をねだる。初枝はうんうんと頷き続きを話し出した。


「電話の向こうで優しい声が聞こえたんや。聞きなれた優しい声やった。その人は私の幼馴染の男の子やってなぁ、私の初恋の人や」


 初枝は顔をぽっと赤らめた。その表情は自分と変わりない乙女の顔だと由紀は思った。また話が脱線しそうになるかとも思ったが、目の前にいるしわくちゃのおばあちゃんが語る恋バナの誘惑には勝てず相槌を打つ。


「小さいころから病弱で布団の上で過ごすことの多い人やったけど、私は外で遊ぶのが苦手な子供やったさかい、よぉ遊びに行ってはお手玉やら折り紙やらしたもんや。お互いが年頃になった頃には恋心が生まれてお付き合いが始まったんよ。親には反対されるってわかっていたから、こっそりやったけどなぁ。子供やったけどお互い本気で、結婚の約束なんかしてなぁ。でも叶わんかった。結局そんお人は病状が悪化して二十歳になる前に亡くなった。毎日泣いて暮らす私にお父はんが縁談の話を持って来た。私はまだあのお人を忘れることが出来へんでなぁ。嫌やって突っぱねたんや。でもお父はんはそれを許してくれへんかった。死んだ男を生涯思って生きるんかって。隠していたつもりやったけど、死んでから泣いてる私を見て気づいたんやろうねぇ。一度逢うてから考えたらええって言われて渋々お見合いしたんや。そんお人もええ人やった。優しゅうて、暮らしに困らんくらいの稼ぎがあって、これを逃したらもうないでって、お父はんが私にはっぱかけはった。私も同じ気持ちやったけど、どうしても死んだお人を忘れられんで、噂になってた冥土の連絡先って言うのに縋ったんや」


 由紀はこれきたと、身を乗り出した。


「近所の宗教施設に行ってお願い事をすると死者から連絡があるって、いかにも作り話だと思ったけど、私は一縷の希望だと信じたんや。でもそんな話信じてるなんて知られたら恥ずかしゅうて、ふたつ隣町の絵馬がたくさんかけられてる神社にお参りにいった。神社では絵馬にお願い事を書いて吊るせばええって聞いてたから、そんお人の名前を書いて連絡をくださいって書いた。その絵馬を他の絵馬に隠れるように吊るして急いで帰った。慣れないことをしたせいと、長いこと陽にあたっていたせいか、夜中に熱を出して寝込んでしまったんよ。ほんで、次の日の昼間にその電話がかかって来たんや。間違いなく、あんお人やった。私は名前を言って覚えてるって聞いたら、笑って覚えてるよって返してくれた。暫くは思い出話に花咲かせてから意を決して私は本題に入った。いい縁談が入って来たけど、あなたを裏切る気がして踏み切れないって泣きながら正直に言うた。そしたらあんお人、『約束を守ろうとしてくれてありがとうな。でも僕は死んだことで先に君との約束を破ったんや。だからそんなこと気にせんでええ。必ず幸せになってな』って。私ぼろぼろ涙を零してありがとう、ありがとうって何度も言うたわ。それで電話が切れた」


 初枝は部屋の中をちらりと見る。由紀がその視線を辿ると仏壇がある。そこには比較的新しい鮮明な写真が飾られていた。数年前死んだ初枝の夫の写真である。


「あの電話のおかげで背中を押してもろて、今ここにおるんや。神様に感謝せなあかんなぁ」

「それって今でも黒電話なんですか?黒電話ってこの家にありますか?」


 初枝のいい話を遮るように、由紀は自分が欲しい答えを求める。初枝は嫌な顔はひとつもせずににこにことほほ笑みながら少し冷めたお茶を啜った。


「最近はスマホに変わったそうやで」


 初枝はお盆の傍に置かれた、日差しで温まったお年寄り用の簡単に使えるといううたい文句のスマホを手にした。黒電話と口にしていた初枝は慣れた手つきで指を滑らせ、とある画面を見せた。


「これやこれ、都市伝説のサイトに書いてあるよ」


 由紀は差し出されたスマホを受け取った。とあるブログサイトに初枝が語った噂話が書かれている。大昔から伝わる死者と話せる都市伝説、大まかには初枝が言った通りのやり方が書かれている。連絡がくる手段は、手紙、電話、メールだと言う。『固定電話がない人も安心!スマホでも大丈夫!』と大きく書かれていた。コメント欄も覗いてみた。多くの人は嘘つきだの、フィクションですかwだの、こんなことで広告収入得るなんて最低ですだのネガティブなコメントが並んでいる。信じられないのは仕方がないとはいえ、見るに堪えないコメントも見受けた。そんな中、願いが叶ったと言うコメントもある。ツリーには嘘乙wと書かれていた。


「ほんでも由紀ちゃん、こんな話を聞くなんて、お母はんと連絡とるつもりんなんか?どうしたんや」


 図星を言い当てられた由紀は何も答えず小さく頷くだけの返事をする。初枝は「ほうかぁ」とだけ言ってそれ以上は踏み込まなかった。由紀は縁側に置いた学校鞄を肩にかけて立ち上がった。


「初枝ばあちゃん、ありがとう!すぐに行ってくる!お茶菓子もご馳走様!」

「はいはい、気を付けてなぁ」


 初枝はまた背中を丸めて手を振って見送った。


◆◆◆


 由紀は気持ちが冷めないうちにと初枝と同じように神社に向かった。それも初枝と同じく、知り合いが居そうにない、住んでいる町から少し離れた地域まで自転車を走らせた。

 そこそこ大きく、人気の少ない神社の入口に自転車を止めて、石畳を走り抜ける。手水で清めてから拝殿へ足を向けた。お賽銭に一枚の五円を放り投げて鈴を鳴らした。幼いときに死んだ母に学んだ、二礼二拍一礼をする。お参りが済むと社務所に併設された授与所へと向かう。授与所は閉ざされ人の気配がない。社務所のインターホンのボタンを押した。暫く走った静寂を追って、走る音が近づいてきた。引き戸を開くと五十代位の宮司の奥さんらしき人が出て来た。


「はいはい、お待たせしました」


 恰幅のいい女性は額から汗を流していた。滴る汗を手の甲で拭きとっても、汗はとめどなく流れ、女性が着ているシャツの襟付近を濡らしている。


「あの、え、絵馬を買いたいんですが」

「あーはいはい、絵馬ね。隣開けるからちょっと待ってねぇ」


 引き戸をそのままに奥へ引っ込み、少し待つと、隣の授与所のライトが点灯する。ガラス戸が開けられ「どうぞー」と間延びした声の方へと由紀は移動した。


「絵馬なら、こっちとこっち、どっちがいいかしら?」


 その年の干支である未年の絵柄と、なにかの植物が描かれたものの二種類を指さした。由紀は干支の方を選んでお金を渡した。


「ようこそお参りいただきました」


 由紀はお辞儀をすると女性も同じように返してくれた。絵馬掛所に足を向けて歩いているとガラス戸を閉める音がする。ちらっと振り返ると、電気はすでに消え女性の姿もなかった。

 絵馬掛所にはあまたの絵馬が所狭しと掛けられている。この数なら自分の絵馬は目立たないと胸を撫でおろした。鞄から筆箱を、そしてサインペンを取り出した。絵馬掛所の柱を机代わりにするように絵馬を押し付けて、母親の名前の後ろに連絡をくださいと慎重に綴った。書かれた絵馬を、一番下の真ん中に絵馬の柄がこちらに見えるように吊るした。

 由紀はすぐにでもその場を離れようと駆け足で神社を出る。鳥居の下でお辞儀をしてから自転車に乗ってペダルを漕いだ。


 六時前に明かりのついていない家に着く。まだ父親は帰っていない。いつも帰りは九時を過ぎる。自分のために仕事をしてくれているのだと由紀は充分わかっていた。だからこそ文句は言わない。

 しかし一か月前は違っていた。一年の間、家族の誕生日と、母親の命日だけは必ず早く家に帰ると約束をしていたのに、由紀の誕生日の日、大層なものは作れないが、いつもより少し豪華な食事を用意して帰りを待った。しかし父親は日付を跨いでから帰って来た。お酒の匂いをさせていた。飲んできたのと問い詰めると、父親は肩をすぼめて謝った。それが大事な取引先との急な飲み会だと知ったのは少したってからの事、父親のスマホに届いたメールを盗み見た時だった。そういうことは今までも何度もあり、由紀はそれが仕事の一環で大事なことだと知っていた。父親を一方的にまくしたてたことに由紀は申し訳なさが立ったが、それでも自分の誕生日が優先されなかったことは悲しくて堪らず、それから今に至るまで二人の間には他所他所しい空気が漂っていた。遅くに返ってくる父親を出迎えはしたが、後は部屋に引きこもるようにして、出来るだけ顔を合わさないようにしていた。翌日の朝も朝ごはんを準備し、早めに食事をして学校へと行く。「そんなに早く行くのか」と問われれば「朝練があるから」と嘘をつき、七時前には家を出た。


 今日も作り置きのおかずを取り出して二人分お皿に盛りつける。父親の皿にはラップをかけて食卓に置いた。由紀はスマホで動画を見ながら食事を済ませて部屋に戻る。

 明日の学校の準備をしながら初枝の話を思い出していた。


(私にもかかってくるかな)


 不安と期待が渦巻いている。初枝おばあちゃんの嘘かもしれない。本当だとしても、自分にかかってくる可能性は絶対と言い切れない。初枝おばあちゃんのようなロマンスの欠片もなければ、摂るに足らない願いかもしれない、それでも母親と話したい。

 由紀はぼんやりとしていた。いつものルーティーンならお風呂に入って宿題をする。しかしどちらも出来ないまま布団の上に体を倒した。


◆◆◆


 聞き覚えのある音がする。これってなんだっけ。暫く聞いていない音色だ。あ、そうだ。お母さんからの着信音、お母さんが好きだったアーティストの有名な音楽。古い曲だけど有名な恋の歌だ。


「ってそんなわけない!」


 由紀は飛び起きた。部屋の電気はつけっぱなしだった。閉められたカーテン越しにもまだ夜、もしくは夜中だと推測される。鳴りやまないスマホを見ると『非通知』と表示されていた。着信音はスマホに初めから塔載されている単純な音色に設定していたはず。それなのに母親が生きている時、それも今持っているスマホの前の機種の着信音の音が鳴り響く。

 恐る恐る電話に出た。


「もしもし?」


 誰も返事をしない代わりに、後ろから母親が好きな曲がハープのような撥弦楽器の音で奏でられていた。聞きなれた曲なのに、どこかこの世のものとは思えない美しい音色だった。


「お母さん?お母さんなの?」


 期待を込めて問いかけた。すると、向こうから息遣いが聞こえる。


「由紀?」


 懐かしい声だった。パワフルだったお母さんの声は、由紀と同じように緊張しているようで、少しかすれている。それでもずっと聞きたかった声が耳元で名前を呼ばれただけで、それまで溜めていた涙が一気に決壊する。


「うん、由紀だよ。お母さん」


 涙声で答えると、電話口の母親は同じように鼻をすすりながら泣いていた。


◆◆◆


 週末の土曜日、いつものように平日と変わらず九時頃に帰って来た父親は、食卓を見て目を丸くした。普段なら一人分しか残っていない食卓には二人分の食事が並んでいる。


「由紀、これは一体」

「お父さんの誕生日でしょう。忘れたなんて言わせないから」

「忘れてはいないけど…」

「いいから早く座って、あ、手洗いとうがいをしてからね!」


 由紀は洗面所に早く行くようにと父親から荷物を乱暴に奪った。父親は戸惑いながら洗面所に行く。手早く汚れを落として戻って来て食卓についた。目の前のカレーに目が釘付けだった。自分の誕生日には大抵好みの刺身の盛り合わせが出されるはずなのに、定番料理を見て少しがっかりした。


「はやく食べて!」


 由紀にせっつかれて父親は手を合わして、スプーンを手に取りカレーがかかっている部分のごはんを掬い取った。それを口にした途端、そのカレーが由紀の怒りの表われでなく特別なカレーだと気付く。


「え、これって…」

「どう?流石に気付くよね」


 由紀は父親の驚愕ぶりを見て計算通りとにやにや笑った。由紀には食べなれており、父親にとって特別なカレーだった。


「お母さんのカレーの味がするんだけど」

「そうだよ。お母さんのカレーだよ」

「でもどうして?レシピは残ってないって言ってたのに」


 数年前、事故に巻き込まれ突然帰らぬ人となった母親。その日から家の中はひっそりと静まり返った。葬儀から数日間経った頃、父親は仏壇の前で呆然と涙一つ零さず座って遺影を眺めていた。葬儀からずっと泣きじゃくっていた由紀も、訪問者が居なくなるころには涙も枯れ果て、父親の隣で膝を抱えて座っていた。


「ママのカレー食べたいな」


 ぼそっと零した父親の言葉に由紀は顔をあげた。父親は常日頃から言っていた。ママのカレーは世界一なんだと。隠し味を問うても母親は決してレシピを明かさなかった。由紀は教えてとしつこく強請ると母親はお嫁に行く頃には教えてあげると言っていた。それも叶わず母親は天国へと旅立った。二度と聞けないレシピのはずだった。


 父親は怪訝な顔で首を捻った。由紀は満足そうにそんな父親を眺めながら母親と電話での邂逅を思い出していた。

 あの日、由紀は母親からかかって来た電話でずっと言いたかったことを話した。母親と急激な別れの後、父親と二人で力を合わせて生きていこうと約束したこと、暫くの間の食事はお弁当だったが、由紀がご飯を炊けるようになってからはお惣菜になって、高校に入学してからは、出来る限り由紀が作っていたこと、他にも生活が変わっても懸命に生きていることを話した。母親は頑張ったねと由紀を労い褒めた。そして最近父親との仲が不和だと話、仲直りがしたいからカレーのレシピを請うたのである。

 母親は事細かくレシピを教えてくれた。何度も何度も由紀は念入りに確認をした。全く同じ味にならなくても出来る限り近づけたかった。父親に喜んで貰うために。


「お母さんからきいたんだよ」


 父親は愛娘の言葉の真意がわからなかった。それでも久しぶりに見る笑顔はカレーのスパイスとなり、スプーンを口にせっせと運んだ。そして二度お替りをしたのである。


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