埋木舎

 佐和口まで中濠を回ってお散歩。まず橋まで続いているのがいろは松。かつては松並木が四十七本あったから、そう名付けられたそうや。


「江戸時代の彦根城と言うか、彦根の街は今とは随分違うのよね」


 これはまず三成が佐和山になぜ城を築いたかになる。佐和山の西側には松原内湖が広がっとってん。これは北側の入江内湖にもつながってるし、松原内湖は松原湊にも通じとる。松原湊は米原、長浜と並ぶ湖東の大きな湊やってんよ。


 佐和山の西側に松原内湖、入江内湖が頑張っとたから、中山道のルートも醒ヶ井、番場、鳥居本、高宮になっててん。つまり佐和山の東側を通るから、佐和山城は西に松原湊の水運、東に中山道を抑える要衝にもなるんよね。


 彦根城のあたりやけど、当時は芹川が流れ込んどった。信長は芹川の水運を利用して材木を松原内湖に運び込み、幅が七間、長さが三十間の巨船を作らせたりしとる。三成時代もそうやったと思うてる。


「彦根城はより水運重視になったのね」

「城下町の建設もやりたかった気がする」


 井伊直正は関が原後に佐和山城を与えられとるけど、これを破却して彦根城の築城に着手しとる。佐和山城を気に入らなかったのは三成の城やったんもあるやろし、佐和山は二百メートル以上もある山城やったんもあると思う。


 この頃の城のトレンドは城下町と一体となった平山城から平城や。山城の佐和山城では城下町の発展が望みにくいと見たのはあると考えてる。そこで芹川を松原内湖から直接琵琶湖に流すようにして彦根の城下町の建設用地を確保したぐらいちゃうやろか。


 今の彦根城には中濠までしか残っとらへんが、かつては外濠もあり、内・中・外の濠はすべて松原内湖に通じてたんよ。江戸時代には松原内湖と松原湊を一体化して松原浦とされ、大津への水運で繁栄してたそうや。


「玄宮園の北側は松原内湖だったから、今より壮大な眺めだったはずよ」


 琵琶湖の水運が衰退したのは鉄道の開通や。輸送の効率で鉄路に負けてもたんや。これは琵琶湖だけやなく、日本の河川水運は鉄路に駆逐されてもたからな。松原内湖も入江内湖も干拓されてもて、かつて彦根が水運で栄えたなんて想像するのも難しゅうなってるわ。


「ここが直弼が住んでいた埋木舎ね」


 中濠に面した外側にある。彦根城は濠による三重構造やけど、内濠の中は藩主の家族が住み、中濠の内側は上級武士の屋敷があったはずやねん。外濠の内側は中級から下級武士の屋敷があるぐらいや。


 埋木舎は直弼が自嘲して名付けたものやけど、当時は尾末町御屋敷または北の御屋敷と呼ばれとる。規模的には中級武士の屋敷程度になる。


「直弼は十四男なのよね。大名の息子も大変だと思ったよ」


 泰平期の大名の家で一番重視されたのが相続でエエと思う。殿様の仕事は、殿中で粗相を犯さない事と跡継ぎを作る事やと言われたぐらいやからな。相続が重視されたのは失敗すればお家断絶とか、領地の削減が待ってたからや。


 大名家の相続には手続きを踏む必要があってんよ。そうやな許可制になっとったしてエエと思う。大名は将軍の家来になっとるから、将軍の許可を得る手続きを踏まなあかんかってん。


 具体的な手続きとして必要条件が嫡子を誰にしたかの届け出、十分条件が将軍への御目見えや。ただし御目見えは数えで十七歳以上になっとるねん。十分条件も江戸初期は厳しかったみたいやけど、まあその辺は長くなるから置いとくわ。


「問題は若死するのが多いことよね」


 そりゃ、正室の長男がすくすく育ってくれたらエエけれど、乳幼児の死亡率が高いし、元服年齢まで行っても若くして亡くなるのも多かってんよ。そやから息子は一人でも多く作ろうとしたぐらいや。


 元気そうに見える当主かって、病気なったらいつ死ぬかわからん時代やんか。医療が今とは雲泥どころの差やないからな。当主が急死して嫡子がおらんかったりしたらお家存亡の危機になってまう。


 そやから庶子の兄でも元服したら嫡子の届け出をしておくのはようあったみたいや。とにかく嫡子がおらん状態はお家の危機みたいな感じやろ。この辺は嫡子の変更はかなり自由やったんもあるそうや。


 嫡子届を出しても理由を付けて廃嫡にするのは十分にありってことや。そやけど二つ目の条件の将軍に御目見えは重かった。


「御目見えって人事採用の面接試験みたいなもんだよね」


 ちょっと近いかな。御目見えしてまうと将軍が認めたことになるから、これをひっくり返すのは、あれこれ問題が生じるんやろ。そういうのが直弼の代の井伊家に相続でも起こったと見てエエと思うてる。


 長男は側室の庶子やねん。母は殿中でお手付きになったぐらいでエエと思う。そやけど三歳下に正室の直亮がいるんよね。こういう場合は正室の子が優先になりそうなもんやけど、まず嫡子に直清がなっとるねん。


「ディスポだったのかな」

「ありえると思うで」


 直清は病弱を理由に廃嫡されとるけど、その時にまだ十四歳や。つまりは将軍へのお目見え年齢になってへん。正室の子の直亮が十一歳、数えやったっら十二歳やから、直亮が元服したと同時に直清は不要になったぐらいと思う。


「でも享年二十一だから本当に病弱だったんじゃない」

「そこら辺はわからんが、病弱やなかったら当主になれたかどうかはわからんがな」


 たいした波風もなかったのは、藩内の誰もが正室の子である直亮が本命やと見とったんやと思うてる。直亮は嫡子になり十八歳の時に藩主になっとる。これで藩主レースはとりあえず終わったから、弟たちはどうなるかや。


 今かってそうやけど稼いで自分で食えて一人前と見られる。そやけど大名の息子の自立できる条件は限られとってん。事実上の三択や。


 ・藩主になる

 ・他の大名・旗本の養子になる

 ・出家する


 出家も有力寺院の法嗣や。養子の貰い口は多かったみたいやけど、養子藩主はどこでも肩身が狭かったそうや。そやけど三択にも入らへんのがおる。それが、


「部屋住ね。今ならニートみたいなもの」


 直弼も養子や法嗣の話もあったそうやけど、当主の直亮に大問題が発生するねんよ。直亮は十八歳で家督を継ぐんやけど、男性不妊症やってん。どこで直亮には子どもが出来へんと判断されたかはわからんけど、三十歳になっても直亮に息子が出来ないあたりで対策に入ってもおかしない。


「最初からあったかもね」


 そうかもしれん。直亮に息子が出来ない時の保険を十一男の直元と十三男の直弼にしたでエエと思う。


「つまりはスペアね」


 スペアでいるためには養子にも行かれへんから、部屋住のままやねん。それもやで、


 第一スペア・・・直元

 第二スペア・・・直弼


 スペアの地位は不安定なんよね。当主に晩年の息子が出来たりしたら用済みになってまう。さらに部屋住は半人前扱いやから結婚も出来へん。直弼から見ると、このまま直亮が子無しで亡くなり、なおかつ兄の直元が先に亡くなってくれないとずっと部屋住のスペアのままや。


「だから自分を埋木に例えたのね」


 他人どころか兄弟、直元なんか同母の兄やんか。その連中の不幸が無い限り、自分が世に出るチャンスがない境遇はシンドイと思うわ。


「直弼が世に出て良かったのかな?」


 直弼ももう三十年ぐらい早く産まれとったら、単なる大老の一人ぐらいで終わったかもしれん。あの時だって黒船騒ぎがなかったら、せいぜい何とかの改革をやったぐらいやと思うてる。しかし登場したのは時代の大転換期。


 こんなもの歴史のイフにもならへんけど、直弼がおらんかったっら水戸斉昭の時代が来てたかもしれへん。そうなれば将軍は家茂無しで、斉昭の実子である慶喜がなり、斉昭がその上に君臨して権力を揮うぐらいや。


 そやけど斉昭の時代になったから言うて、歴史の大きな流れが変わったとは言えへん気がする。斉昭は先覚者ではあったけど、傾いたと言うより、屋台骨が腐って来てる幕府を再生出来たとは思えんからや。


 ドライにいうたら、安政の大獄から桜田門外の変で直弼が死ぬことによって、大きな時代の歯車を動かしたのが直弼に与えられた役割やった気がする。そりゃ、後の歴史は明治新政府の成立が必要やからな。


「そうよね。幕藩体制では欧米列強による帝国主義に対抗出来なくなっていたのが実相だよ」


 幕末の動乱は太平記の時代と同様にコトリはあんまり好きやない。太平記の時代には美があらへんし、幕末は政治的なカラクリが多すぎる。


「コトリも大変な目に遭わされてるしね」


 極道屋の女壺振り師で終わるはずが、長州維新志士の奥様同然になってもたからな。直弼もトット養子になってたら、全然違う人生を送っていたはずやと思うわ。


「ところでハリスは本気だったのかしら」

「ハッタリやろうけど、瓢箪から駒がある時代やしな」


 ハリスは日本との通商条約を結ぶ使命を帯びて来とったけど、その中にアロー戦争で休戦中の英仏軍が日本に回航してきて攻めてくる危険性があると主張してるんや。英仏軍かって本国の承認なしに日本と勝手に戦争は出来へんはずやが、


「清軍が脆すぎたから、行きがけの駄賃みたいに攻めてくる可能性があったのが、あの時代だよね」


 もし来られたら、江戸は占領されたやろな。旧式兵器と腑抜けになっていた幕臣じゃ、江戸城は守り切れんやろ。そやけどその三十年後の日本とはだいぶちゃうからな。


「だから条約を結んだのは結果的には成功よね。あれで幕末には武力が強化されたんだし」


 日本が植民地化されんかった理由は色々あるやろうけど。一番の理由は列強の関心は清であり、日本はそれからやったでエエと思う。清の方があらかた片付いた後に日本を見たら武力が強化されてもとったぐらいやろ。


 武力が強化されたんも列強に備えるというより、はっきり言わなくとも幕府と薩長の内戦のためや。この時代に内戦なんかやってたら付け込まれて植民地化されてまうケースが多いけど、


「歴史の織りなす綾よね」


 ぐらいしか言いようがないわ。列強かってその気になれば日本を占領するのは可能やったけど、コスパの問題は出たと思うとる。日本を占領しても得られる物が乏しいぐらいや。いくら黒船持っとっても極東まで軍隊送るのは大変やし、それで莫大な見返りがあるわけでもあらへん。

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