夫婦喧嘩漫才

土田一八

第1話 夫婦喧嘩漫才

 とある一軒家の夜。


 ドンガラガッシャン‼


「あんた‼この女は誰よっ‼」

 女の金切り声が夜の住宅街に響き渡る。

「俺は知らないっ‼」

 男は必死に否定する。

「黙れっ‼嘘つき‼何度目だと思ってるのっ⁉」

「俺はそんな女は知らん‼」

「この期に及んでしらばっくれるの⁉」


 怒鳴り声が家の外まで聞こえる。男と女が取っ組み合いのケンカをしている。らしい。子供が家の外に出て退避する。やがてどこからかサイレンが近づいて来る。


 ドンガラガッシャン‼


 パリン。


「し…!」


 ………………。


 ………………。


 ………………。



「春夏秋冬離婚‼」

「秋冬の浮気が原因か⁉」

「おしどり夫婦漫才コンビに何が⁉」

「コンビも解消か?」


 連日連夜様々なゴシップが面白おかしく書き立てられて日本中を賑やかす。まあ、無理もない。人気絶頂の夫婦漫才コンビがコンビ解消の危機なのである。マズゴミがほっとく訳がない。


 それから数日後の大手芸能事務所。


 大手芸能事務所の社長は苦々しく思いながら視線を新聞から春夏秋冬の2人に向ける。マネージャーはただオロオロしているだけだった。

「社長!このバカとのコンビを解消させてください!」

 思い詰めていたらしく春夏は思い切って啖呵を切るかのように社長に直訴した。あざだらけの秋冬はシュンとして下を向いて沈黙している。社長はタバコをフーッと吹かす。

「……はぁ」

 社長はタバコを口から離して灰皿でタバコの火をもみ消し、大きな溜息をついた。

「……離婚は、お前ら夫婦の問題で、その答えなのだから俺は社長として文句は言わん。だが…」


「コンビ解消は許さん」


「え⁉」


 春夏は社長の言葉に絶句する。秋冬は相変わらず下を向いているし、マネージャーはオロオロしているだけだった。


「離婚は勝手にやれ。但し、仕事はきっちりやれよ。俺が言う事はそれだけだ」


「………」


 さすがの春夏も言い返せない。社長の言う事は何が何でも絶対なのだ。天地がひっくり返ようが、革命が起きようが、槍が降ってこようが絶対に守らなければならないのだ。この人に逆らったらもうこの世界では生きていけないのだ。実際にそう言う人間を幾人も見て来ているから頭の中でも、心の中でも理解している。


「うっ、うう……」


 それでも社長の言葉を聞いた春夏は絶望し、どうしたらいいのか分からなくなり泣き出してしまった。

「もう、地獄じゃない…」

 しかし、誰も声をかけない。


「おい。こいつらの仕事はどうなっているんだ?」

「はっ、はい。今日は16時からA局のテレビ番組収録。明日は9時からB局のテレビ番組収録で夜18時からステージがあります……」

「分かった。与えられた仕事はきっちりこなさせろ。…お前らはお客様からお金を貰ってお客様を楽しませるプロ芸人だ。それでおまんまを食っている。それを絶対に忘れるな。分かったらサッサと仕事に行け‼」

 社長はどこまでがおでこでどこからが頭なのかよく分からぬこめかみに血管を浮かせながら突き放すように言って社長室から3人を追い出した。

「あなた達。分かっているわね?」

 廊下を歩きながらマネージャーは春夏と秋冬に念を押す。普段と変わらぬオネエ口調だがその重さは違った。

「はい」

「はい」

元気の無い返事が返って来た。マネージャーはそこには触れない事にした。今は前向きな気持ちが必要なのだから。

「うん。いい子ね。でも、秋冬はさすがにそのままとはいかないから白黒さんの所で特殊メイクを施してもらうわ」

「はい」

「じゃあ、打ち合わせに行きましょ」

 マネージャーは笑顔を見せた。



 A局に行くと大勢のマズゴミ達が待ち構えていた。タクシーから降りた3人はあっという間に囲まれてしまう。

「春夏秋冬さん!離婚するんですかっ⁉」

「コンビはどうするんですかっ⁉」

「夫婦喧嘩の原因は⁉」

「秋冬さんは本当に浮気したんですかっ⁉」

「マネージャーさん!コメントお願いしますッ‼」

「すみませんっ!通してください‼すみません‼」

 カメラのフラッシュがこれでもかと思う程焚かれるが問いかけには答えず勝手に殺伐とするマズゴミにもみくちゃにされながら3人はテレビ局の中に入った。



 簡単なレクチャーやカメリハの後、番組収録が始まった。春夏秋冬の2人はいつもと変わらぬ様子で収録に臨む。


「一時はどうなるかと思ったよ?」

 プロデューサーはマネージャーに声をかける。

「ご心配をおかけして申し訳ございません」

 マネージャーはプロデューサーに頭を下げて謝罪する。

「いや、いいんだよ。きっちり仕事をしてくれれば」

「そこは、大丈夫です」

 マネージャーは自信を持って言い切った。

「そうかね…」

 プロデューサーはちょっと含みのある笑みを浮かべて別の所に行った。



 どうにか最初の危機は乗り越えたが漫才のネタは次第に尽きてくる。今の所はマネージャーが気を利かせて伝書鳩の役目をしてくれているが、2人がお互いにいつまでも口を利かない訳にもいかなかった。


 そんなある日の事だった。

「今日からまた、赤の他人ね」

「……そうだな…」

 離婚協議を重ねて結論に達し、離婚記者会見をやり僅か1か月の日々だったが目まぐるしい毎日だった。結局は春夏が子供を引き取って家を出て中古マンションに移り住み、ネタ作りは稽古場にしている元の愛の住処でする事になった。2人はネタをどうするか頭を悩ませていた。特別珍しい事では無かったが、結婚する前と結婚した時とはまた違う仕事をするだけの微妙な関係になった事もあって自分からは言い出しにくかった。またケンカしたらどうしよう、と。気まずい雰囲気の中、無機質な時間だけは無情にも機械的に経過する。


「おい。今度のステージのネタ、自虐ネタにするか?」


 秋冬は思い切って自分の考えを春夏に言った。


「それって離婚をネタにするの?」

「それじゃあ、夫婦漫才にならない。夫婦喧嘩をネタにするのさ」

「あっ!なるほど…」

 それからの2人は水を得た魚の如く次々とネタを作り出した。ボケとツッコミの役柄も変更した。


 数日後のステージ。


「いよいよだな」

「いよいよね」


 春夏秋冬は新しい夫婦漫才を披露した。


「それでは、春夏秋冬さんです。どうぞ‼」


 司会者に紹介されて2人は足取り軽やかにステージに出て来た。春夏は着物を着て秋冬は普通にスーツの装いだ。

「どうもー!春夏秋冬でーす!浮気からの帰還です」

「ちょっとアンタ!」

「なんだ?」

「この女、誰?」

「その辺の通行人やろ?」

「アンタ‼あたいより、通行人と寝とるんか⁉」

「そんな訳無いやろ‼」

 秋冬は春夏を突き飛ばす。その時、春夏が着ていた着物の帯の結び目が解けて秋冬は帯を引っ張る。春夏はその動きでクルクル回る。解けた帯がピンと張られると春夏は逆回転で元の位置に戻って来るが、春夏はその反動で秋冬にキスをする。客席はどよめく。

「ただいま。ダーリン」

「お帰りハニー。ってなるかぁ‼このメスゴリラ‼」

 春夏にぶちゅーとされた秋冬はブチ切れて春夏を思いっ切り背中を押す。その勢いで春夏はステージのそでまで走って行ってしまう。再び客席はどよめく。

「お?月まで行ったか?」

 秋冬は手をかざしてその方向に見やり、今度は反対方向に向きを変える。

「じゃかましい!人工衛星様のお帰りじゃ‼」

 そこに春夏が走って戻って来て勢いよく秋冬に体当たりをする。


 ドン‼


 秋冬がステージの床に倒れ込むと春夏がその上に座り込む。


 ドス!

「ぐえっ!」


「恥ずかしながら、地球に帰って参りました‼」

 春夏はお客に向かって挙手の敬礼をした。春夏秋冬のコントは終了した。


 ベテランコンビの身体を張ったコントにお客は盛大な拍手をした。


「よくやったわ‼」

 ステージの陰から見ていたマネージャーは感激して拍手を送る。



 このコントはたちまち評判となり、後日いくつかのバージョンが作られた。そして、その年の演芸大賞の漫才部門で最優秀賞を受賞した。夫婦喧嘩漫才として一つの新しいジャンルが確立した瞬間だった。


 それから二人はそれぞれ新たに伴侶を見つけ、再婚。約30年後に春夏が先に病死するまでコンビは続いたのだった。



                                    完

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