1-5 こうなってしまいました

 しかし今何か聞かれても、彼が納得する答えは出せない。

 だから、彼が口を開こうとする度に関係のない話を被せていたら――。


「――そ、それで鄒鈴すうりんさんとこのお店で、移香茶の茶葉を扱ってもらえることになってね」

「おう」

「茶屋や甘味処に卸すらしいし……ど、どういった香りがいいのかなあ」

「おう」

「や、やっぱり香りが強すぎないほうがいいよね! あ、ぁあ後、甘い香りのほうが……」

「おう」


 こうなってしまった。

 先ほどからずっとこの調子だ。「おう」しか言えない呪いに掛かってしまっている。それとも言葉が理解できない呪いなのか。


「空から蛙が降ってきたよ」

「おう」

「春廷が頭を丸めたよ」

「おう」

「豪亮の筋肉が爆発したよ」

「おう」

「…………万里のばーか」

「あぁっ!?」

「やっぱり分かってるじゃん!」


 ようやく向けてくれた顔を、月英は今度は目をそらさずに正面から見つめ続ける。

 こちらが悪いのは百も承知だ。

 しかし、あまりに急なことで、正直こちらだとて考えを整理する時間がほしい。


「万里、君が聞きたいことは分かってる。だけど、もう少しだけ待ってほしいんだ」


 これは、自分一人だけの問題ではないのだから。


 ――陛下や藩季様にだけは、迷惑を掛けたくないんだよ。


 夢で見た光景が、月英の胸を締め付けた。


「お願いだよ……っ万里」


 月英の視線を受け、次は万里が息を呑んだ表情をした後、顔を俯ける。


「……で……よ」

「え?」


 足元に向かってぼそっと呟かれた彼の言葉は、よく聞こえなかった。


「――っうるせぇ! もう仕事以外で俺に話かけんな!」


 勢いよく顔を上げた万里はそう叫ぶと、房の入り口にいた月英を押しのけるようにして飛び出して行く。


「えっ! ちょ、どこに行くの、万里!?」

「刑部に蜜柑オレンジの精油焚いてくれって頼まれてたんだよ!」


 言いながら駆け去って行く彼の手には、精油道具が入った籠が抜け目なく握られていた。


「ど……どうしたら良いんだよ、もう……」


 月英は入り口の扉に力なく身体を寄せると、ヘロヘロとそのまましゃがみ込んだ。

 どうして、あんなに万里は怒っているのだろう。

 やはり自分の存在が目障りだからだろうか。


「でも、僕は香療師をやめたくないし、万里にもやめてほしくないんだよ」


 月英は頭を抱えて小さくなった。


「はぁ……僕も少し散歩でもしよ」


 いつまでもここでこうしているわけにもいかず、ひとまず気分を変えようと、月英も香療房を重い足取りで出た。





 しかし、常に忙しさで殺気立っている外朝を散歩などできるはずもなく、結局、月英の散歩は内朝をうろつくものになる。

 外朝で呑気に散歩などしていたら、「こっちはクソ忙しいのに、お散歩とは優雅ですねえ!」といった視線の熱さで丸焼きにされてしまう。

 月英は、央華殿と龍冠宮との間で宛もなく彷徨っていた。


「あぁ……頭が痛い」


 ここまで対人関係で悩んだ経験がなく、脳の滅多に使わない場所を酷使しているのか頭痛がする。


「今まで、全部その場限りの関係だったもんなあ」


 生きてきた大半で、誰かと関係を繋ぐということをしてこなかった月英。

 日雇いの仕事や下男のような雑用仕事だったこともあって、関係を築く必要がなかったからとも言える。

 王宮に来ることになって初めて、誰かと築く関係とはとても温かなものだと知った。


「医官達にはここまで悩んだことないのになあ」


 女だと知られたことが大きいのだろうか。

 しかし、もし豪亮や春廷にばれても、ここまでは悩んでないような気もする。

 やはり、相手が『万里』ということが大きいのかもしれない。


「同僚? 仲間? ではあるんだけど何て言うのかな……万里はそれともちょっと違うんだよね」


 年が近いからだろうか。

 他の医官達は、月英を弟や近所の子といったように見ている節がある。

 豪亮や春廷はまさにそれだ。気がつけば月英の世話を焼いている。


「劉丹殿に近いような感じもするけど、それもまた……。万里とは目線が同じっていうか……初めての後輩だからかな?」


 おかげで、どう接したら良いのか分からない。


「い、一応、待ってとは言えたんだし、しばらくは大丈夫だよね」


 それで逃げられてしまったのだが。

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