終ー9 長官の意地

 頭ごなしの否定をして邪魔をするつもりはないが、せめて納得できるだけの言葉はほしかった。

 以前まで、彼は自分と同じ考えを持っていた。煩わしい変化には、軽蔑の眼差しすら向けていたというのに。

 しかし今、彼の眼差しからは憧憬ともとれる温もりが見える。

 一体彼になにが――呂阡は、そう思わずにはいられなかった。


「春万里……あなたはこの椅子に座ったら、後悔する日が来ると言っていましたが、やり直した先でも後悔する日が来るのではありませんか!?」

「まあ、そうでしょうね」

「でしたら、やはりこのまま……っ!」

「ですが、今やり直さなかった時の後悔の方が、ずっとずっと大きいんですよ」

「なぜ分かるのです!?」と、訳が分からないとばかりに、呂阡の癇癪的な声が飛ぶ。

「いや、先のことは分かんないですよ。ただ……先を見続けることだけは諦めたくないんです」


 閉じた瞼の下で何を思っているのか、万里は口元に穏やかな笑みを描いていた。

 果たして彼は、これほど穏やかな表情をする者だっただろうか。

 呂阡は万里の表情に、彼はすっかり変わってしまった事に気付いた。まだ変わりかけていると、打つ手はあると思っていたが、それは甘い考えだと知る。

 いつの間にか黒が白になっていた。


「それに、いい加減オレだけ置いてかれるのも癪って言うか……まあ、負けたくないって思っちゃったんですよね」


 照れくさそうに頬を掻きながら言う万里の姿に、悔しくも呂阡は魅力的だと感じてしまった。

 呂阡は、これ以上は無意味だと察する。

 憑きものでも落ちたかのような柔らかな表情の万里は、一年以上共に過ごしてきて呂阡が初めて見る姿だった。

 これこそが本当の、彼の本質だったのかもしれない。


「……あなたにはもう……内侍省ここは似合いませんね」


 呂阡の精一杯の強がりだった。

 目を掛けていた部下がどこかへ行ってしまうというのは、予想以上に呂阡を気落ちさせた。


「呂内侍、お世話になりました」


 最後の最後で、今まで見たこともないような美しい拱手を向けてくるあたり、やはり彼はいつも一つ余計なのだ。

 これ以上、引き留めることができなくなってしまったではないか。

 ゆっくりと踵を返し、呂阡に背をむける万里に声を掛ける。

 しかし、もう止めようという気持ちはなかった。

 ただ、答え合わせだけはしたいと思ってしまったのは、やはり呂阡の高すぎる矜持ゆえだったのだろう。


「春万里。ここを辞めた後はどうするつもりです」


 万里は顔だけで振り向き、悪戯小僧のような顔をして口を開いた。

 答えを聞いて、呂阡は緩く首を横に振った。

 これ程、恨めしく思った正解もないだろう。





  それから暫くして、宮廷では臨時の考試が行われたらしい、という風の噂が流れた。

 一体こんな中途半端な時期に誰が、そいつはどこに配属されるのだろうか、と様々な声が上がった。

 しかし、臨時の考試それ自体はさほど珍しいことではなく、すぐに春風に流されるようにして忘れられたのだが――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る