【お笑い/コメディ】ピエロの仮面を剥がして
にけ❤️nilce
第1話 ピエロの仮面を剥がして
茉莉のお兄ちゃんて面白いよね。
女友達の間で兄の評判はすこぶる良い。
「いいなあ。笑わせてくれるお兄ちゃん。うちは横暴。お前のものは俺のもの、俺のものは指一本でも触れさせねえって。鬼だし」
「なんで先に生まれたってだけで、あんな偉そうなんだろね。いいなあ、茉莉んとこは優しくて。うちのポンコツお兄と取り替えてもらいたーい」
口を開けばいいなあ、いいなあ。いったいどこがいいんだか。サービス精神か何かしらないが、人を見れば笑いを取ろうとおどける兄は、あたしにとって恥でしかないのに。
「やだよ。あんなバカ丸出し」
昔からああだったわけではない。小さい頃の兄はむしろ慎重で、妹から見ても歯痒いくらい引っ込み思案だった。いつからだろう。兄が、ひょうきん者のポジションを取ろうとするようになったのは。
「センスないし。面白くともなんともないじゃん」
あたしの言葉に、友達が一様に苦笑いを浮かべる。ほら、面白いだなんてお世辞。兄はみんなを笑わせてるんじゃない。笑ってもらってるだけ。
慌てて一人が目配せをする。
「……和ませてあげようって、気持ちが大事なんだよ。ねぇ」
みんなが兄というものに求めているのは優しさなのか。大人とは正反対だ。
臆病な兄と物おじしない妹。性別が逆だったらね。生まれてくる順番が違えば、などとよく言われものだ。そんなふうにバカにされてさえ、兄はヘラヘラ笑ったっけ。
「笑ってやらなくていーよ。面白くないって自覚したほうが本人のため。あたしは笑ってなんかやんないね。絶対」
嘘くさいの。兄は。心じゃ笑ってなんかないくせに。
「茉莉、オカエリンボーダンス!」
帰るなり、体を剃らせて台所の入り口から顔を覗かせる兄の姿が目に飛び込んできた。奥からギャハハと父の下品な笑い声がして、兄は満足そうにほくそ笑んだ。なんだあのドヤ顔。気持ち悪い。
「優、それ茉莉に通じるか? 俺世代でも古い」
「じゃあ、オカエリュスティックは?」
「……なんだそれ」
「パンだよ。みんなも食べたことあるはず。母さんがよく買ってくるから」
ただいまと言う気も失せて、二人から目を逸らし、階段を駆け上がる。「マニアックすぎだろ。博識アピ乙」と笑う父の声が、夕飯のいい香りと共に這い上がってくる。今晩は炒飯か。そっちこそ若者アピ乙、と胸の内で舌を打つ。
父は専業主夫だ。正確にはネットで仕事をしているから、専業でもないんだけど。のめり込むタイプの母はキャリア組で、午前様もしょっちゅうだ。母が無理してパンクするより、自由に動けて気の回る父が家にいる方がうまくいく。だから自然とそうなったらしい。
それでも世間はうるさかった。お母さんは面倒見てくれてる? お父さんいつもいるけど、何してるの。しまいには父母の役割が逆だったらもっと行き届いただろうにね、だって。は?って感じ。
本人に面と向かって言わないことを、子供に平気でこぼすのはなぜなんだろう。それが大人のすることだろうか。あたしは正面から食ってかかりたくなる。勝手に人の親を問題にしないでくれる? と。
兄はあたしが何か口走る前に、すうっと大人に取り入った。ヘラヘラした顔で、本人なりに気の利いた冗談を言い、話を逸らす。面白くもなんともないのに、いつの間にかまあいいかって空気になるのだから不思議だ。みんなの言う「和ませてあげようって気持ち」にほだされるのかもしれない。
「でも、なんかやだ」
あたしは、ベットに顔を伏せた。兄のヘラヘラした態度を見たくない。だってそれは、嘘の顔。本当の兄はどこなの。
ノックに返事をすると、エプロン姿の兄が遠慮がちに扉を開いた。
「茉莉……」
「話しかけかけないで。ご飯でしょ。わかってる」
自分でもどうかと思う感じの悪い八つ当たりに、兄は一瞬たじろいだ。そしてご名答とわざとらしい笑顔を作る。和ませようとしてるんだ。あたしの嫌いな嘘の顔で。苛立って、つい口が滑る。
「家でまで、人の機嫌を取らないで。びびりのくせに面白いこと言おうと気張ってんの、キモいよ」
きつい言葉に兄の顔が凍りついた。大きな瞳からぽろりと一粒、涙がこぼれ落ちる。兄は顔を背けて涙を隠した。本当の兄は繊細なんだ。些細なことに傷つくのと同じくらい、些細なことで感動する。細やかな心の持ち主。
「わかった。ごめん」
それくらいで泣くなよ、男だろ。小さい頃、学校で兄がそう詰られていた日のことが浮かんだ。
泣かれてビビってるの? 泣く方が悪いとか責めるのダサいよ、とあたしは上級生に食ってかかった。言い方が悪いせいで、妹に庇われるなんて情けない、なんて陰口をたたかれて、誰も味方してくれなかったけど。
でしゃばりで可愛げのない妹は、兄と違って評判がすこぶる悪い。
「守ってくれなくていいから」
「えっ?」
「優が人を笑わせて、機嫌とってるの見ると気分悪いの。あたしがキレないように先回りして、守ってるんでしょ。あれ、要らない。頼んでない」
兄がどんどん薄く削れて、笑いの張り付いた誰でもない人になってしまうのが怖かった。あたしが怒らないように。親が悪く言われないように。誰にも攻撃されないように。兄は自分を殺し、人を和ませるいい子になって相手をコントロールする。本当の兄をどこかに隠して。
「かいかぶりだよ。茉莉のためなんかじゃない。……ただ、弱い自分にうんざりしてるだけ」
「自分が嫌いなの?」
兄は本当の自分を憎んで別人になろうとしている。あたしはそれが許せない。兄がしているのは兄をバカにした連中と同じ、いや、それよりもっと酷いこと。
「早く降りて来い、二人とも。飯だぞ」
父の呼び声に兄はすかさず笑顔を作り、はぁいと明るい声を返した。嘘の仮面の下に本当の兄が押し込まれる。
階段を降りようとする兄の手を掴み、引き留める。
「泣いてた頃より今の優のがよっぽど弱虫。返してよ。私のお兄ちゃんを消さないで」
ヘラヘラと緩んでいた唇がへの字に歪み、噛み締められる。そう。これがあたしの兄だ。泣きながら人一倍頑張る男の子。そうか、兄は頑張ってたんだ。
「平和であってほしいんだ」
「だから? 笑わせようとしても無駄。これからもあたしは、あたしが怒りたいことに怒るよ。優が何をしても。誰かの気持ちを変えさせるより、自分の気持ちを大事にしなよ」
せっかく頑張るんなら、泣いてうずくまっている兄自身の味方になって。
「おかえリンボーダンス、だっけ? 帰ってきて。優」
「それ。全然、面白くないよ」
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