廃ビルの怪異

高久高久

第1話

 住宅街から少し離れた場所に、その廃ビルはあった。

 何時から建っているか知らないが、外見は如何にも『廃ビル』というボロさ具合。

 ボロボロなのは外だけではなく中もだ。壁も床も朽ち果て、窓ガラスは良くて罅、大半は割れている状態だ。

 元々何に使っていたかも分からなくなってしまった廃ビル。大人からは『危ないから近寄るな』と言われ、入り口には『体位り禁止』の看板もあり、普通なら近寄らない場所――なのに、俺達は今、この廃ビルの中を歩いている。しかも夜中に。



「ひゃうっ!?」


 悲鳴と共に服を勢いよく引っ張られ、危うく倒れそうになるが何とか踏みとどまる。


「ご、ゴメンあっちゃん」


 服を引っ張った原因であるふみが申し訳なさそうに言う。ちなみにあっちゃんというのは俺、明人あきとの事だ。


「足元悪いんだから気をつけろよ」


 そう言って視線を前に向ける。そこには俺が持ってきた懐中電灯が頼りなく足元を照らしている。


――文と俺は家が隣同士の所謂幼馴染という関係だ。同じ高校に通い、部活も同じだ。

 この廃ビルに居るのも、その部活が理由と言うか原因と言うか。尚部活はオカルト部のようなものではなく、文芸部である。

『怖い話が書きたい』という文が何処からかこの廃ビルのオカルト話を仕入れて来て、ネタ探しの為行ってみようとか言い出したのである。

 正直乗り気ではなかったが、放っておくと文一人で行きかねない為着いていくことになった。


「文ちゃん、怪我ない?」

「うん、大丈夫だよお姉ちゃん」


『お姉ちゃん』ことすず姉が、文の頭を撫でている。鈴姉は俺達より年上の幼馴染だ。廃ビルに行く話を多分文から聞いたのだろう。「保護者が居た方が良いでしょ?」と着いてきたのだ。



「もー明人、文ちゃんに優しくしないと嫌われちゃうよ?」


 窘めるような鈴姉の言葉を「へーへー」と流しつつ、周囲を照らしながら見て回る。


「しかし、今のところ何もないな」


 通路だけではなくフロアの方も覗いているが、特に何もない。強いて言うならただボロいだけで別の意味で怖い。


「あっちゃん、何か感じたりしない?」

「何かって、何をだよ」

「こう……シックスセンス的なアレ」

「アレって何だよ……霊感の事だろ?」


 俺の言葉に文が「そうそれ!」と嬉しそうに言う。

 人間には視覚やら聴覚やらの感覚機能である五感が備わっているという。

 そしてそれを超える感覚――第六感という霊的な存在を感知する能力を持っている者が存在するという。所謂霊感というやつだ。だが、


「霊感なんてフィクションの中しかないだろ……」

「わ、わからないよ? もしかしたら眠っていた能力が、とか!」

「いや今のところ幽霊とか見た事も聞いた事も触った事もないんだけど」

「幽霊は触れないと思うんだけど」

「そういやそうか。所でそういう文はシックスセンス的なのあるのか?」

「あったらあっちゃん頼ってないよ!」

「胸張って言う事じゃないな」

「うぅ……お姉ちゃんは見た事ない?」


 文の言葉に「さーて、どうだろうねぇ?」と鈴姉は笑う。曖昧に答えているが、からかっているのだろう。普通あるわけがないのだから。


「所で今霊感の話出たけど、ここに出るのって幽霊なの?」

「多分」

「多分かよ?」

「き、きっとそうだよ! 人っぽかったって目撃証言あったし!」

「目撃証言あるのかよ」

「何件もあるよ! 肝試しした人が人っぽいの見たって!」


 そう言って文がスマホを取り出して操作している。この廃ビルに関するネット情報を出そうとしているのだろう。


「文ちゃん、それ見せて」


 鈴姉に言われ、文が画面を見せる。表示されたサイトを見ているようだ。


「……お?」


 とあるフロアを照らすと、他には無かった物が照らされる。


「――これが正体じゃね?」


 スマホを見ている二人を呼び、中にあった物を照らして見せる。


「これは……お酒に煙草? 後マットレスとかあるけど……古いどころか、まだ新しい感じがする」


 俺から懐中電灯を取り、酒瓶やらを調べて文が言う。


「住み着いているって感じじゃないし。ここ、不良のたまり場になってるんじゃないか? 目撃情報ってのも、肝試しした人が単に鉢合わせたか、そいつらにからかわれたかで」

「なーんだ」


 がっかりしたように文が溜息を吐く。


「幽霊の正体なんてそんなもんだ。まぁネタにはなっただろ?」

「そうだね――ん?」


 文が立ち上がると、懐中電灯を奥に向けた。壁かと思っていたら入り口があり、どうやら別に小部屋があるらしい。


「どうしたの?」

「今、何か見えたんだけど……」


 鈴姉の言葉に文は答えながら、ふらふらと奥の部屋に歩み寄る。


「おい勝手に――ん?」


 後を追おうとしたところ、何かを蹴り飛ばした。


「明人、どうしたの?」

「いや何か蹴った……って、これ……」


 蹴り飛ばした物を見ると、それは――


「ひゃあああ!?」


――文の悲鳴が上がる。


「文ちゃん!?」


 鈴姉の声と同時に、俺は奥の部屋へと駆ける。

 飛び込むと落とした懐中電灯の明かりで文がへたり込んでいるのが見えた。


「あ、あ……」


 文は懐中電灯が照らす先に釘付けになっている。


――そこには人が居た。上半身裸の男だった。

 じっと視線を文に向け、口元を歪めて笑う姿は不気味であり怖気が走る。


――そして、男は文に向かって飛び掛かった。


「おらぁッ!」


 同時に男の顔面目がけて蹴りを放つ。手ごたえあり。足だけど。

 男は仰け反って転倒すると、そのまま起き上がらない。


「あ、あっちゃん……」

「逃げるぞ文!」


 立ち上がれない文の手を取り無理矢理立たせると、その手を引いて走らせる。


「さっきの部屋に注射器があった! アイツはヤク中のヤベー奴かも! 他にも同じ奴がいるかも!」


 捲し立てるように言うが、文は理解してくれたようで少々もたつきながらも足を動かす。


「鈴姉も逃げるぞ――鈴姉!?」


 小部屋を出るが、鈴姉の姿が見えない。


「……くそっ!」


だがここで足を止めるわけにはいかない。先に逃げてくれた、と信じて俺は文の手を引いて走り出した。


――そこから何度も転びそうになりながらも、何とか廃ビルの外へと出た。


「……あれ、お姉ちゃんは?」


 息を整えつつ周囲を見回すが、鈴姉の姿は無かった。


「まさか……お姉ちゃんまだ中に!?」

「……あぁクソっ! 文はここで待っててくれ! 中に戻って――」

「とーうっ」


 戻ろうとした時、上から何か降ってきた。それは着地と同時に綺麗に前転し、そのまま立ち上がると身体を軽く叩いて砂埃を払っている。


「お、お姉ちゃん!」


 上から降ってきたのは、鈴姉だった。姿を見るなり文が飛びつくようにして駆け寄る。


「おおよしよし、怖かったねー」


 そんな文を宥めるように、鈴姉が頭を撫でている。


「怖かったけど、お姉ちゃんが無事で良かったよぉ!」

「おーおー、私を心配したのかい? 愛い奴め、どーれ抱きしめてやろう」


 そう言って鈴姉が文をぎゅっと抱きしめる。


「お姉ちゃんのおっぱい、柔らかくて良い匂い……」


 そう言うと、文から寝息のような声が漏れて――って寝たのかよコイツ!?


「ははは、寝ちゃった。文は可愛いねぇ……ってどうしたの明人? 凄い顔してるけど……ははぁーん? さては私を心配していたな?」

「……するに決まってるだろ」


 大きく溜息を吐く。予想外だったのか、鈴姉が驚いた顔を見せる。


「お、おお……ゴメンゴメン。これ忘れてたから拾ってた」


 そう言って鈴姉が手に持った懐中電灯を見せる。


「そんなの放っておいて良かったのに……」

「大丈夫大丈夫。私は強いから」


 何が大丈夫だというのか。


「それより帰ろうか。文ちゃん寝ちゃったし、明人おんぶしてあげて」

「仕方ないなぁ……」


 呑気に寝息を立てる文を背負う。


「心配させた御詫びに、帰ったら今日抱いて寝てあげるから。何ならおっぱい吸う?」


 からかう様に言う鈴姉。この野郎、人がどれだけ心配したかと。

――そう言えば。逃げる時鈴姉は何処にいたのか、疑問に思う。

 それを聞こうと思ったが、文を送って帰ってから本当に抱きしめられそのまま眠ってしまい、その疑問はうやむやになってしまった。

 ちなみに鈴姉のおっぱい柔らかくて良い匂いがしたそりゃもう凄かった。ありゃ人をダメにする。俺はあっという間に眠りについたスヤァとなった




「……寝ちゃったか」


 自分の胸の中で眠る明人を見て、鈴は呟く。相当心配させたようで、それに関しては申し訳なく鈴は思う。


「しかしまぁ、文ちゃんも本当アタリ引いてくるんだもんなぁ」


 鈴はそう呟くと、文に見せられたサイトを思い出す。


 あのサイトには廃ビルの幽霊の目撃情報が確かにあった。ただ、その数件の中には、あの廃ビルを溜まり場としていた不良の物と見られる書き込みがあったのだ。


「まぁ処理はしといたし、追いかけて来ないでしょ」


 鈴は思い出す。

 明人の蹴りで首がおかしな方向に曲がっているのに、尚起き上がろうとしていたあの男の事を。執念深く、明人達を追いかけようとしていたのである。

 そして、鈴はその頭を踏み抜いて、そのまま消滅するのを見届けていた。


「全くこの子達は危ないったらありゃしない。幽霊なんて、気付いてないんだもの。ここまで鈍感とはねぇ」


 眠る明人を布団に寝かせると、鈴は笑みを浮かべる。


「でも他の奴らになんてこの子達はあげない――私のなんだから」


 そう言って笑う鈴の身体は、宙に浮いていた。

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