僕たちの朝には満月が昇る

おおやぶ ゆき

第1話 13時の勇気

 「拓磨!またこのミスしてるぞ!」

 佐藤拓磨は、大手不動産メーカーに就職して3年がたつ。

 今日の通勤もとても億劫だった。

 少しずつ日が昇る時間帯が遅くなってきて、布団の温もりが恋しい時期がすぐそこまできている。

 就職して1年目はやる気に満ち溢れていたが、3年目に入って、やる気も集中力も無くなり、同じようなミスを繰り返しては、来店する客の容姿を心の中で馬鹿にして平常心を保つばかりの毎日だ。

 思い返してみれば、小学生の時からそれなりの学力を身につけ、それなりの体力を養い、それなりの礼儀を身につけてきた。それで楽しかったし、それで平穏に生きていけると思っていた。甘かった。社会というのはこのそれなりがなかなか通用しない。社会は、僕の出せる70%の力で暮らしていると30%の不足した部分を執拗に、警察の監視下に置かれても追いかけ続けるストーカーのように攻めてくる。

 「外回り行ってきまーす。」

 15時丁度。これはサボるための口実。

 ハクセキレイが都会の路上を飄々と歩いている。

 鰯雲がビル群の隙間から僕たちを覗いている。

 あの鳥の社会も僕と同じようなシステムになっているんだろうか。


 2月だというのにとても暑く、スーツの上着を脱いで仕事をしていた。インナーに着ているヒートテックはとても汗ばんでいる。きっと繁盛期ということもあるだろう。そんな今日もたくさんの客がきた。

 その中に、茶色のコートにグレーのマフラーを着ていても少し寒そうにしている小太りな男性の客が内見に来た。

 「4月から社会人になり、1人暮らしを始めようと思ってます。」

 そう言った彼は、少し緊張しているのか小声だった。

 「どのような条件の物件をお探しでしょうか?」

 こう聞きながらも、僕は既に物件の必須条件項目の、『駅徒歩10分』『バストイレ別』にチェックをしている。

 だが、小太りの客はあまり聞き慣れない条件を言い出した。

 「美味しいラーメン屋から近いアパートが良いです!!」

 声が大きくなったな。と思いつつ、初めて言われた条件であったため少し困惑した。

 「私が近辺のラーメン屋について全く詳しくないのでなんとも言えません。」

 正直に伝えた。

 「ラーメン食べたことないんですか!?」

 少しムカついた。

 「食べたことはありますがしっかり記憶に残っておらず。。はは。。」

 ムカついたため次の会話からは、こっちから質問攻めにしてやった。

 だが、結果的に僕は、僕の感情を少し恥ずかしいと思うことになる。


 彼は栗原涼という名前らしい。

 そして、とても寒がりであること。

 中学生の時からラグビー部に所属しており、実際はとても筋肉質であること。

 好きな食べ物はラーメンで、嫌いな食べ物はモンブラン。

 スポーツインストラクターとして就職するが、将来的には自分でジムを経営したいということ。

 彼には芯があるということ。樹齢100年とは言わないまでも、コテージを建てる時には最適な程度の樹木のような芯。

 「ネットでもラーメン屋の情報は調べてるんですが、どうしても近辺で住んでる人の意見を聞いてから食べてみたいんです!」

 もはや、美味しいラーメン屋を聞きに来ている。

 「その他の条件はお聞きしたので、今日中に決めたいということでなければ、少し調べてみるので後日でもよろしいでしょうか?」

 「是非お願いします!ラーメン美味しいのでたくさん食べてください!」

 だからラーメンは食べたことあるって。

 

 繁盛期中の仕事休みは1日睡眠に費やして終わっていた。

 今日は違う。正直めんどくさい。だが、なぜか起きずにはいられなかった。

 12時に起きて軽く身支度をする。今日はとても寒く、ヒートテックに厚手の白い長袖のシャツを袖に通して黒色のコートを羽織る。

 これでも寒いが、眠たい身体を起こす言い訳としては丁度良かった。

 家の外に出て10分ほど歩くと、『一楽』と書かれた看板が目に入った。子どもの頃よくやっていたナルトごっこを思い出す。

 目の前に立つと、だいぶ年季の入っており、僕がまだ生まれていない時代を想像させる外観。

 「いらっしゃいませ〜!」

 ランチタイムなのに、客は僕を含めても3人しかいなかった。

 店内には、その時代のポスターが貼ってあり、飲んだことのないビールを美味しそうに飲んでいる女性が描かれている。

 メニューに目を通す。

 上から順に『醤油ラーメン』『塩ラーメン』『味噌ラーメン』と書かれていて、全部600円。

 この値段と、『一楽』という名前と、ここ近辺の賃貸物件が選びやすいことが、ここを選んだ理由だ。

 正直、味は求めていなかった。

 「すいませーん。」

 「はいよ!」

 「醤油ラーメンお願いします。」

 「醤油ラーメン1丁!」

 店主の大きな声で完全に目が覚めた。

 ラーメンが出てくるまでの間、外食するのはいつぶりだろうと考えてみるが、全然思いだせない。

 彼は、どうしてそこまで美味しいラーメンにこだわっているのだろうか。

 「醤油ラーメンお待ち!」

 瞬間、鶏ガラで出汁をとったスープだろうか。活力のある、とても食欲の唆られる匂いが鼻を撫でた。

 「いただきます。」

 まずスープを飲む。今度は鼻だけでなく、体全体に活力が広がってくる。

 やばい。美味しい。

 ここでも、僕の感情を恥ずかしいと思ってしまった。

 ゆっくりこの美味しさを堪能したい。でも、スープの活力がそれを邪魔した。

 麺をすくい、一気にすする。あぁ、美味しすぎる。どうして、こんなにも活力のある味なのにくどくないんだろう。

 「ご馳走さまでした。」

 あっという間に完食してしまった。時間を見てみると12時45分。気づいたら、客が2人増えていた。

 会計を済ませて外に出る。2月の寒さが頬をつつくが、コートを脱いで帰宅した。僕は体全体に蓄えた活力をどうしたらいいか少し悩んだが、答えはあっさり出た。


 彼と出会った日はやはり特別だったんだろう。今日も2月の寒さがしっかりと仕事のやる気を遮ってくる。

 「失礼します!」

 12時30分。彼が入ってくる。とてもニコニコしていて、活気に満ちた顔をしている。

 「先日はとても良い情報をありがとうございました!ここにくる前に『一楽』によってきて、醤油ラーメン食べました。とても美味しかったです!」

 「あの場所近辺で物件を探すことに決めました。拓磨さんってめちゃ優しいですね!」

 声がでかい。他のお客さんもいるから少し恥ずかしいが、悪い気はしない。

 「それは良かったです。それでは今から物件を少し調べてみて、良さそうなところに内見しに行きましょう。」

 時計の針は13時を指している。

 『一楽』のスープがくどくない理由が少しだけ分かった気がする。あのスープにはきっと優しさも詰まっていたんだろう。

 僕には優しい面なんてこれっぽっちもないはずだから。

 ただ、優しさがなくても、通勤が億劫でも、とりあえずは仕事が続けれそうだと思った。

 30%の不足分を今後の勇気に変えて。

 



 


 


 


 

 


 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

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