居酒屋ファンテジー ~異世界で料理無双中~

森下千尋

レシピ1 至高のまかないスパイスカレー

 最後の晩餐に何を食べたいか、という質問は私にとっても悩ましい問題だ。

 正直シチュエーションによる。

 もし、無人島で孤独だったら。

 もし、病院で寿命を全うしかけていたら。

 うんうん、想像は膨らんでいく。

 例えばこういった場面もあるかもしれない。

 もし、異世界で好きな人と分かち合うなら──



 「あーーーりがとうござました!」

 私は本日最後のお客さまを見送った。後ろ姿が見えなくなるのと同時にホッと一息つく。

 「ノーゲストですっ!」

 店中に響くように声を張り上げたつもりだったけれど、ずっと接客をしていた声はカスカス。ドリンク場の奥、山積みになった皿やグラスを洗っている玲美さんが「お疲れさまー」と返事をくれ、厨房にいた店長から「お疲れでーす」と返事があった。


 「いや、マジ金曜日の夜、ラスト三人とか死んだ」

 シフトいれなかったヤツら全員呪う。

 「麻耶、ホール閉めたらまかない食ってけー。いま仕込んでるから」

 店長が手際よく片付けをしながら、私に声を掛ける。店長が料理上手なのが、この店、居酒屋ファンテジーのウリだ。飽き性の私がバイトを続けている一番の理由でもある。まるで私は胃袋を掴まれた青年男子よろしく、赤羽繁華街の他の飲食店に一切の浮気をせず、もとい飲食をせず、ここでお腹を満たしている。

 テーブルを拭き、カトラリをしまい、消耗品の補充をする。ホールにも良い匂いが漂ってきた。まさか! 今日のまかないは。私は心を躍らせた。幾重にもつらなる無限のシンフォニー、食欲をそそる魔法のアロマ。胃袋はぐるると歓喜の声をあげている。

 「店長、今日はもしやもしやスパイスカレーですね!」

 「正解!」

 「最高!」

 「食わせがいがあるなあ! よし、じゃあ玲美呼んで来い」

 「玲美さん、どこっすか?」

 「どうせ一服しに行ったんだろ」

 店長は肩をすくめた。喫煙所は非常口から裏のストックを抜けて、雑居ビルの一階、自動販売機の横にある。私は吸わないけど、店長や玲美さんは仕事が落ち着くと度々休憩しに行った。

 「じゃあ玲美さん呼んできます!」

 おお、と片手を挙げた店長に、あ、私のちゃんと大盛りにしといてくださいね、サラダ付きで、と注文したら、店長は苦笑しながら、わーってるよ、早く行け冷めちまう、と手のひらをヒラヒラさせた。

 非常口を出て裏手のストックを通りすぎると、大量の段ボールが目に入った。

 納品してねーし、早番。上がる前やっとけよ。これでも私は古参のバイトだ。店長、玲美さん、その次に仕事歴は長い。

 まかない、食べたい。しかし。南無参!

 私は段ボールを二つ持ちあげて、店へ引き返す。なかなかに重い、ジュース類かよ、しまった。ノロノロと一歩ずつ歩く。

 「よいしょよいしょ」

 何とか、店に入ってドリンク場で段ボールを降ろす。

 「この貸しは高くついたと思いな」

 心の中で、早番たちへ忠告する。



 その時だった──。


 『ズゥドドドォォーーーーンッッ』


 映画のスクリーンでしか体感したことない、大きな爆発音と揺れ、煙に包まれた。

 咄嗟に顔を隠し、しゃがみ込む。

 何、何、何が起きたの────。


 『ズゥドドドォォーーーーンッッ』

 再び、爆発音。ぎゃーっと悲鳴を上げても、周りの音に飲み込まれていく。



 ──どれくらいジッとしていただろう。

 私は恐る恐る目を開く。

 店内は驚くほど何も変わっていない。

 さっきのは? 夢じゃないよね。


 テーブルを、一卓ずつ様子を伺うけれど、どうやら大丈夫みたいだ。

 もしかして、外? 私は居酒屋ファンテジー、エントランスの扉を勢いよく開いた。


 健やかな青い匂いがする風がヒュゥと店内に入ってきた。

 私の両眼に飛び込んできた風景は、見慣れた赤羽の、赤提灯がともる飲み屋街ではなかった。

 広大な森。緑のグラデーションが、どこまでも広がっている。全くの別世界みたいに。

 「はい?」

 やっぱり夢? ワケが解らない。

 日が昇っている。閉め作業を続けていたら今は夜の0時頃のはずだ。

 しばし呆然と眺めていると、一本の木の下に転がった木の実を、一匹の犬が旺盛に食べていた。ちょうどさっき最後の客の後ろ姿を見送ったあたりだ。二十メートルくらいか。

 犬がこちらを見る。私は驚きのあまり、ヒッと声を上げそうに、それでも堪えたのだが。犬は完全に私に気付いた。その犬は、三つ目だった。

 「アァ? 人間ッ。美味そうな、匂いだなあ」

 犬が一目散に走ってくる。ていうか喋っている。なんて言った。

 え? まさか私を食べる気。どうしよう、身体が動かない──


 「何してる! 早く入れ!」

 後ろから凄い力で引っ張られ、襲い掛かる三つ目の犬の牙を、私は寸前でかわした。

 扉はバタンッと勢いよく閉まった。

 グオォォッ、と凶暴な唸り声が店内まで聞こえる。

 しかし三つ目の犬は、これ以上追っては来なかった。

 「おい、麻耶! 大丈夫か」

 しっかりしろ、と身体を揺らされて、どうにか正気を保った。店長だ。

 「て、店長。これはいったい?」

 夢ですかね、私は言いたかったけど、この身に起きた出来事はとてもリアルだった。だって獣の匂いを、温度を私は確かに感じたのだ。

 「さっきの爆発が関係あるんですかね。店長、アレは一体……」

 店長は、私の顔をじっと見ると、何かを考えて、ゆっくりと話し出した。

 「どうやら……俺たちは、店ごと異世界に飛ばされた、みたいだよな」

て、何言ってるんだろうな俺、と店長は笑った。

 外にいた動物はどう見ても魔物だった。魔物なんて学校の古代史の教科書でしか見たことなかった。店長の言葉に、私は無言で頷く。


 「どうしたらいいんでしょう。さっきの三つ目の犬だって私を襲ってきたし、とにかく危険ですよ。早く元の世界に戻りましょう」

 「そうだな、しかしどうやって。わからないことが多すぎる。見たところ店内は何も変化がないようだし、外を調べてみるしか」

 あの外へ? 店長マジっすか。一人で行ってきて、とは言えないか。一匹いたんだ。きっともっとヤバいやつがいますよ。考えるだけで泣きそうになる。でも店長命令が出たら従うしか──

 あれ? そういえば玲美さん。

 「店長、玲美さんはいましたか!」


 店長は怪訝な顔をした。

 「俺が聞きたいよ麻耶。おまえが喫煙所へ呼びに行ったんじゃなかったのか」

 いやそれが。段ボールが──。あっスマホ! 私はお尻のポケットに入れたスマホを手に取る。えっ? 電源が入ってない──駄目だ。起動しない。

 「俺のもだ」

 店長のスマホも画面は真っ黒になっている。

 「よし、早速だが準備しよう。危険だから麻耶はここに残ってもいいぞ」

 店長の提案にホッとしたような。それでもここも安全かは解らないわけで。

 どうしたものかと私は悩んだ。

 「何があるかわからないからな」

 自身に言い聞かせるように店長はリュックに包丁を入れた。

 救急箱のカットバンや薬、アウトドアに行くかのような装備だった。

 「やっぱり、私も行きます」

 じっと、孤独で待っているほうが恐怖だ。

 私もリュックへお気に入りのペティナイフを入れる。護身用。抵抗するには心許なすぎた。

 「わかった。まずは俺が行く」

 店長が右手に瓶ビールの空き瓶を掴み、扉のノブに手を掛ける。

 キィッ。

 右、左と店長は頭を動かす。

 「いない、な」

 そのまま彼は駆け上がる、店長は先ほど三つ目の犬がいた木の下まで走った。木を背に辺りを確かめる。数十秒待ち、安全を確認した後、私に手を振る。合図だ。行くしかない。

 私もドアを全開にし、全力で駆けた。たった数十メートルなのに、鼓動がバクバクとうるさい。いきるーーー。

 無事に木の下まで来て、居酒屋ファンテジーを望むと、本当に森の中に店がポツンとあり、異様な光景だった。

 「わたしたち、帰れるんですかね」

 「どうだかな──」

 ジャリっ。スニーカーが何か踏んだ。足元を見ると、鮮やかな抹茶色の木の実が落ちている。

 「わあっ。綺麗ですね、この実。なんだろう、ドングリみたいだけど苺みたいな形だし、この世界にしかないものなんですかね。食べられるのかなあ」

その場にしゃがんで、私はドングリを拾う。ポケットに二三個入れる。一つを近くにあった岩にぶつけてみると中からピンク色のトロっとした液体が出てきた。好奇心が勝つ、舌先に乗せて味わうように舐めると程よい酸味の中にマンゴーのような甘みがあった。美味しい。これってジャムとかに使えそう。そもそもお腹がすいていたことをすっかり忘れていた。

 「後で検証してみましょうよ」

 新しい食材に出会うのは料理人にとって至上の喜びだ。店長を見上げる。

 「あ、ああっ、っ」

 私は見てしまった店長の後ろ、木の一番太い枝にヤツが乗っていた。息を殺し、獲物を淡々と狙うように臨戦態勢、三つ目の犬だ。

 「てんちょーーーーッッ」

 私が叫んだのと同時に、ヤツは飛び降りた。店長の首元を噛む。その瞬間、店長は空き瓶を振りかぶる。ガキィンッ。魔物の牙と瓶がぶつかる。

 フゥフゥと両者の息が荒く、間合いを読み合う。店長の首筋から血が流れだした。

 ああ、私は目を覆う。


 「腹が、減っているんだろ。分かるぜ」

 店長はおもむろに魔物へ話しかける。


 魔物から視線を離さずに、店長はリュックから何かを取り出した。

 それは、銀色に光るスープジャーだった。

 店長はジャーを開封する。

 ──良い匂い。

 食欲を引っ掻き回す、パンチのある香り。スパイスカレーだ。私が食べ損ねたまかない。

 三つ目の犬が、その大きな眼をすべて閉じ、鼻をヒクヒクとさせている。ヤツは臨戦態勢だった身体を解き、その場に伏せた。

 嘘でしょ。効果、あったの──。


 「米もあるぞ、食いたいか」

 さらにタッパーに入った白米を差し出す。

 「ただし条件がある。これを食うならおれとあの娘は見逃せ、いいな」

正直、私なんか食べるより、絶対店長のカレー食べたほうがいいよ。早口でここぞとばかりに三つ目の犬へ告げる。

 「店長のカレーは言うならば」

 甘味、酸味、苦味、辛味、旨味。調和と奥深さを追究したその一品はまさに

『至高のまかないスパイスカレー』なのだ。三つ目の犬も抗えないほどに。

 いつの日か、店長に聞いたことがある。

 「このカレー、メニューに入れないんですか? 絶対人気出ますよ。断言します」

 店長のまかない、その無限のレパートリーを食べてきた私が言うのだ。間違いなかろう。

 しかし、店長はメニューに加える気は全くないと言った。

 「毎回、同じ味にはならないんだ」

 まかないは時間を経過して食べることが多い。いつだって料理人はオーダーファースト。お客様がいたら何よりも優先だからだ。冷え切っても、温めて食べることが出来るカレー、煮込めば煮込むほどコクが増すカレー。すなわちそれ最強。

 三つ目の犬はコクコク頷き、カレーをむさぼった。

 「何だコレェ、うめえ。うめえ。」

 勢いよくガツガツと食べる魔物ははじめて出会った料理に驚きを隠さず、笑った。

 魔物も笑顔になるんだ。

 さっきまでの恐怖が一瞬消えて、私も店長も頬を緩ませた。


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