第3話「弁明」
俺と吉川は五限目をサボることにした。
今から走ったとしても間に合わないし、これからどうするのかもまだ明確には決まっていない。その打ち合わせをする上でも五限目を犠牲にしなければならなかった。
「まず、カップルとして振る舞うんだから名前呼びは必須よね」
「必須、なのか? 苗字で呼び合うカップルだっていると思うが」
「それは本当に好き同士だからでしょう? 私たちは利害関係が一致していてただお互いを利用しているだけなんだから表面上でボロを出すわけにはいかないの」
吉川、もとい凛は俺を偽彼氏として擁立することで面倒な告白地獄から抜け出そうとしており、俺は俺で一旦沸騰してしまった噂の熱りが冷めるまでは凛を彼女としておくことで被害をなくす、または最小限に抑えようというお互いを利用することで成り立つ関係だった。
「えっと……空くん?」
「凛。……これでいいのか?」
頑張って名前を思い出したようで疑問符だったが正しいので俺は何も言わなかった。代わりに名前を呼んでみると、もじもじと身体を揺らしていた。
普段呼ばれない相手に下の名前を呼ばれるとむず痒くなるのはよくわかる。先程の俺は疑問形だったのでその感情が訪れることはなかったが。
屋上で名前を呼び合い、何とも言えない雰囲気が変な感情を伴って支配していく。
「こ、これを自然な感じで言えたら完璧。これは演技だと思えば簡単なことね、そう簡単なことよ」
凛が一人で何か言っているが声が小さすぎてよく聞こえない。ぐっと握り拳に力が入っているところを鑑みるに何かを決意したのだろうが、これまでの会話の中で決意するだけの大事な話をしたとは思えないので何のことかわからなかった。
気持ちを切り替えた凛はあっ、と小さく声を漏らした。
「あ、あと大事なことを約束していなかった」
「大事なこと?」
「お互いを好きになってはいけないって約束」
俺が黙っていると凛はさらに続けた。
「当たり前だけど私たちはこれから自分のために相手を利用するの。その都合の良さから好きだって言う錯覚に陥ることがないように予め決めておくことも大切かなって」
「なる、ほど?」
「それに空くんがもしも好きな人ができた時に告白しやすいようにしとかないとね。私の存在が心にまで邪魔をするわけにはいかないから」
だいぶ名前呼びも慣れてきたかなー、と続けながら凛は朗らかな表情を浮かべていた。先程の喧嘩口調の時とは違い、こちらまでふっと微笑んでしまいそうな表情と雰囲気だ。
俺のことをよく考えてくれていることが伝わってきた。しかし俺は胸の奥がちくりと痛むのを感じた。それがなぜなのかはよくわからないが、すぐにその痛みは消えてしまった。
「俺に好きな人ができるとは思えないけどな。年齢=彼女いない歴の俺は告白されたこともなければ好きな人ができて告白したこともないから」
「好きな人ができないのは空くんの観察が足りないからじゃないかな? 私は誰しもにいいところと悪い所があってその割合とか分別によって好きな人と嫌いな人に別れると思ってるから人の良し悪しを観察してみるといいかもね」
「ふぅん。じゃあ一応誰もいないから聞くが、凛にとって俺はどう見えてる?」
凛に告白して来た者の多くが気にしているのは凛の返事よりも凛にどう思われているのかである。俺というおかしな野郎が出てくるまで告白は振られて当たり前だと言う認識があり、お付き合いはまず不可能だろうとされていた。
しかし、凛を彼女にすることはできなくても彼女からの評価を得ることで自分の魅力を自覚し、押し出すことで他の女子とお近づきになるという事例が多くなってきていた。実在の恋のキューピットとしても名を馳せた凛は結果として告白の量が増えてしまうことになるのだが、的確にその人の人柄を見抜けるようになっていた。
「普段の学校生活も併せて判断すると、人付き合いは苦手だし、口調はお世辞にも丁寧とは言いにくいからぶっきらぼうに聞こえる。感情が表に出ないからなおタチが悪い。ただその一方で真面目で誠実、論理だった思考もできて優しいから好ましく思う」
「よく見てるんだな。友達とすら言えない関係の人に対してもここまで言葉が出てくるんだから。俺自身でもよくわかっていないしうまく言えないところを気持ちよく代弁されたような感じだ」
「それならよかった。前に『俺は絶対にお前の言うような人間じゃない! 不愉快だ!』って怒鳴ってきた人が居たからどう見えてるって聞かれるのは実は苦手なんだよね」
凛が苦い思い出だとばかりに眉を顰めて言う。その顔に引かれるように俺も眉を意思とは関係なく勝手に顰めてしまう。
今までの凛を見てきて自分の人の本質を見抜く技術をひけらかしたり、悪用したりしたことはなかったと思う。ただ聞かれたから純粋に正直に答えていただけなのだろう。しかしそのタイミングは今日のように告白が完全に散る瞬間の介錯が多い。そこで逆上する意味が俺には全くわからないがそう言う気持ちになってしまうのかもしれないな。
「そのことも関係があるのか?」
「ないとは言えないよね。私は気にしてないって言いたいけど無意識にもうこれ以上、人の好意を断るのもそれで罵声を浴びせられたり陰口を叩かれたりするのが我慢できないって思っちゃってるのかも」
「……じゃあ、何でその相手が俺なんだ?」
ずっと気になっていた疑問。
その不安を拭うために必要なのは必ずしも俺が必要だと言うわけではない。もっと言えば今日わざわざ慌てて俺を指名するよりも前々から仲の良い友達と画策して彼氏のふりをしてもらうことだってできたはずだ。俺と違って男子も女子も問わず友達が多い凛ならばそれぐらい容易いことだろう。
「それは栗田くんに訊かれた時に……」
「たまたま俺がいたから。確かにそうだけど、聞きたいことはそう言うことじゃない。告白されることはもう慣れっこだって言うぐらいにはされてるはずだろ? しかもそんな悩みがあったなら友達に相談して彼氏のふりをしてもらうことだってできただろ?」
「……どうしてか分かる?」
まるで俺を試すような視線を向けてくる。わからないから聞いているのに、と思うがその答えを既に俺が知っているからそんな視線をするのだろうか、と言う気持ちにさせられる。
しかし悩んでもそれらしき答えにはたどり着くことができない。
「わからない」
俺が一言そう述べると、凛は張り詰めていた空気を霧散させるようにふっと息を吐いた。
「いいよ、私がちょっと意地悪だったかも。……話を戻すけどこの契約はとりあえず一ヶ月間有効でいい? まだ噂があれば延長するかもしれないけど」
「延長は申告制にしようか。俺も友達がいないとはいえ聞き耳を立てるのは上手な自信がある」
「わかった」
ここで凛との契約は施行された。
俺は彼氏として他の男が凛に告白するのを躊躇させる抑止力として働き、凛はそんな俺に集まるであろう憎悪を悪化させないように男子たちを牽制する。
契約は一ヶ月間有効でその間に噂がなくなれば契約は解消し、普段の学校生活に戻る。しかし何かしらの煙を感じればお互いどちらかが延長の申告をする。
そして、禁忌としてお互いを好きになってはいけない。
この特殊な関係で芽生える感情は純粋な恋心とは言い難い。依存から生まれる安心感だ。
俺のためとは言っていたが、凛のためでもある。凛が数多の男性を差し置いて俺をもしも選んだとすればそれは確実に頭がやられてしまっているからだ。
俺と凛は握手を交わして五限目が終わるのを待った。
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