第4話 嵐を避けろ渡り鳥
朝の雑務をこなしてから訓練場に向かってみると、腕立て伏せをする兵たちの掛け声が響いていた。尤も、国への忠心と大義を背負う者たちのそれに比べれば、腑抜けている感があるのは否めず、この場にいる連中の実力と心意気がよくわかる。その中で比較的マシな声を上げている者がいるな、と視線を向ければ、それは名簿を片手に備えた教官であり、彼はこちらの視線に気付くと、兵達に続行を命じて、私の所へ駆け寄ってきた。敬礼の姿も、まだ様になっている。
「中尉殿、如何しましたか」
「少し様子を見に来ただけだ。首尾はどうだ?」
「はっ! 我々のような若輩者に気を掛けて頂き、光栄の至りであります! 中尉殿に目を掛けられていると思えば、連中もより一層、訓練に励むことかと!」
やる気なし、上司の目があってようやくといったところ。
「遠回しな口振りはいらん。操縦訓練の方はどうだ。期待出来そうなのはいるか?」
「は……その、そちらについても。やはり根幹の士気がどうしても……」
「そうだろうな」
私の言葉を失望と捉えたのか、教官は慌てて手元の名簿を捲る。
「い、いえ、しかし勿論、骨のある者もいます。例えば……そう、和泉二等兵! 彼女は体力こそ歳と性別を考慮しても非力ですが、技能と知識については目を見張るものがあります。他の軟弱な男共よりずっと……! 彼女なら、操縦士としての腕は頭一つ抜けていると言ってもいいで……ひっ!」
小さな悲鳴を聞いてようやく、彼を睨んでしまっていることに気付いた。
「……いや、なんでもない。引き続き、「彼ら」を鍛え上げてくれ」
「は、はい! 無論であります!」
去り際、もう一度兵達を見る。腕立て伏せの動きは随分と緩慢になっている。掛け声もいつの間にかなくなっていた。
和泉二等兵の姿があった。彼女もこちらに気付くと、立ち上がって大きく手を振ってくる。無視して背を向ける。教官の怒号が響いた。
(……半年以内)
無理だ。あんな連中では、半年経っても国のために身を捧げる、などという精神には至らない。志願兵は望めない。そうなれば、操縦技術に秀でる者を選ばざるを得ない。実力のない者を任務に付けることは許されない。国は、少なくとも表向き、それが捨て石であると公言する気はないのだから。
では、彼女を任命するのか? するしかない。それが私の役割だ。この基地に配備された命の使い道は、全て私に一任されている。
同日、夕刻。自室の扉を叩く音がする。
「入れ」
「はい、失礼しますっ」
上官に呼び出されたとは思えないほど弾んだ声。扉を開け、思い出したように敬礼をするその顔も、嬉しさを隠せていない様子だった。
「疲れているところすまないな」
「いいえそんなっ。どうしました?」
和泉二等兵が、無邪気に首をかしげている。だが、私が黙り込んでいると、そこに笑えぬ雰囲気を感じ取ったのか、少しずつ、笑みは消えていった。
「……えっと、私、また何かやっちゃいました?」
「和泉二等兵」
「あ、はい」
「お前は何か持病を持ち合わせていないか?」
「……なんで、そんなこと聞くんです?」
「持っているなら、それを一度完治させたまえ。不健康体では国の守護に就くことなど満足に出来まい」
「何を言っているんですか、上官」
「病院は手配しておく。一年か、二年か……一度ゆっくり養生して」
「九条上官!」
こちらの言葉を遮るように、和泉二等兵が叫ぶ。その目を見ることが出来ず、背を向けて、窓の外へと視線を逸らす。
「……上から、命令が下った。目ぼしい兵を使って、敵部隊の戦力調査を行え、と」
「……それ、って……」
「以前話したのと似た状況だ。違うのは、今回は明確に捨て石になれという命令だ、という事くらいか」
「……私が、候補に挙がったんですか」
「挙げざるを得ない。お前が一番理解しているんじゃないか。ここにきている兵は、全員落ちこぼれだ。心意気も、技術も」
和泉二等兵は言葉を返してこない。沈黙に心が耐えきれない。以前は煩わしかった彼女の言葉が恋しく感じられる。
「……作戦の決行は六ヶ月後。あと一ヶ月志願兵を募って、誰も名乗り出なければ、成績優秀な者の中から選ばざるを得なくなる」
「……私、志願します」
だが、そんな言葉は求めていなかった。
「ダメだ。お前には見込みがある。見込みのある人間をむざむざ死に行かせる理由はない」
「でも、どうせ私が選ばれるんでしょう? 光栄です。今まで勉強していた成果を認められているってことですもの」
「努力の結果が無意味な捨て石などで許されてたまるか!」
声を荒げる。後ろで和泉二等兵が息を飲むのがわかる。だが、彼女は怯まなかった。
「だから病気をでっちあげて逃げろって言うんですか?」
「何故分かってくれないんだ、和泉。お前はこんなことがしたいわけじゃないだろう。航空機の操縦に興味を持ったのは、敵陣にミサイル替わりで突っ込むためじゃないはずだ」
そうだ、彼女は戦うためにここに来たんじゃない。人を殺すことを、国を守ることを使命として誓った者ではない。そんな人間に礎となるよう命じるなど、あまりに無体ではないか。
「それは、他の人達も同じです」
「違う!」
「何が違うんですか。あの人達だって、国を守りたくてここに来たんじゃありません。他に行く場所がなかったからです。私と彼らで、何が違うって言うんですか、教えてください、上官」
「……っ」
何も答えられない。答えられるはずがない。人の命を扱う者が、自分の感情を理由にするなど、あってはならない。これは上官としての正当な理屈だ。そうでなくてはいけない。
なら何故執務室ではなく、自室に呼び出した? 人に訊かれて都合がいいものではないからか? 自問の声は心の奥に封じ込める。
「……病気をでっち上げるわけじゃない、しばらく大事を取って身体のメンテナンスをしろと言っているんだ」
「なんでそんな言い方をするんですかっ!」
「ただ道理を語っているだけだ」
「……私は頭がいいわけじゃないですけど、それでも上官が言っていることが詭弁なのはわかります。だってそうでしょう、健康体じゃないといけない、なんて理由はないはずです。病気を持っているのは、上官だって同じです」
「こんなものは病の内に入らん」
「そんなわけないでしょう! 腫瘍を抱えた身体じゃ、痛みだって……っ!」
振り返ると、和泉二等兵は口を噤んでいた。両手で口を塞いでいる。だが、出てきた言葉は呑み込めない。はっきりと、私の耳にまで届いていた。
「……なぜ、貴様がそれを知っている」
「あ……」
「お前に話したことはないはずだ。いや、お前だけじゃない、他の誰にも。担当した医者しか知らないはずのことを、なんでお前が知っている!」
「ちが、違うんです、私……」
「調べたのか」
返答はない。否定もなく、言い訳を探すように、彼女の目が泳いだ。
この基地の中に、私の病を悟らせるような資料はない。あるとすれば、私が掛かった病院か医者からの情報だけだ。そしてそれは、この数ヶ月で手に入るようなものではない。
単純な結論だった。和泉二等兵は、私のことを調べた上で、この基地に来ていた。
「……とんだ道化だな。あらかじめ知った相手との出会いが運命とは。まるで初対面のように取り繕ったのは、その方が警戒されないからか?」
「っ、九条上官、話を……」
「出て行け。お前と話すことはない。私が間違っていたよ、お前の行動を止める権利など、初めから私には無かったな」
「上官……っ」
「出て行けと言っている!」
頭の中が茹り始める。思考が沸騰している。気付けば手元の名簿を掴み、乱雑に彼女の足元へ投げつけていた。あぁ、最悪の行為だ。けど止められない。
後ずさりした彼女を追い立てるように肩を突き飛ばし、部屋の外へ。勢いのまま扉を閉め、鍵を掛けた。外で和泉二等兵が叫ぶ声が聞こえる。耳を塞ぎ、ベッドの上に座り込んで、それらを拒絶する。
「……あいつも」
ギュッと閉じた瞼の裏に、かつて見たいくつもの顔が浮かんで来る。マイクを手に迫るマスコミ。メモとペンを手に迫る記者。私の心配もそこそこに、詳細を訊こうとしてくる同僚、上司、部下……。
私に近づく者達の顔。私のことを知っている癖に、私が傷ついていることも分かっている癖に、何も知らぬ顔をして、同情するように肩を並べて、傷口を広げて覗き込もうとする者たちの、忌々しい顔。そこに、和泉二等兵が並ぶ。
「……っ!」
振り払うように、枕をクローゼットへ叩きつける。電気スタンドを手で振り払い、音を立てて床の上で破砕させる。子供の癇癪のようだと分かっていても、止まらない。
裏切られた。裏切られた。裏切られた!
何たる間抜けか、彼女の偽りに、まんまと踊らされていた。私の過去を知らぬ、純粋な者からの親愛だ、などと……!
「嘘つきめ……」
身体がキリキリと痛む。懐から鎮痛剤を雑に出し、噛み砕く。
『一目ぼれです!顔合わせで初めて上官を見た時、すごく心にビビッと来たんです!』
「嘘つきめ……っ」
震える手から残りの薬が零れ落ち、床に散らばる。
『電流が走ったっていうんでしょうか。私の中の価値観がひっくり返るような……。恋に落ちるって、こういう事なんだって! これを運命と言わずしてなんと言えましょうか!』
「嘘つきめ……っ!」
頭の中に繰り返される、彼女の言葉。
あぁ、そうか。
私は、彼女に慕われていることを、こんなにも嬉しく思っていたのか。
騙された事への失望が、深い悲しみと怒りに塗り替えられるほどに。
気付けば、ドアの外の気配は消えていた。
翌日から、私は訓練場に顔を出すのを止めた。自室と食堂を使うのも止め、全ての作業と寝食を、執務室で済ませた。教官以外の立ち入りは禁じた。
数日後、教官伝いに、偵察任務の命令を兵達へ伝えた。
その日のうちに、和泉二等兵は志願し、一ヶ月後、他の候補が出なかった頃から、自動的に、彼女の出撃が決定した。
彼女と決別した日から一週間近く、夢の私は、業火に熱せられ続けた。
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