第3話 鴛
結局、翌日には彼女はいつも通り、ケロリとした顔で私に迫ってきた。まぁ、許したのは確かだが、それにしたって、もう少し情緒というものはない物だろうか。
とはいえ、全くいつも通り、というわけではなかった。私が忠告した通り、食事の交換を申し出るときは、必ず冷たい物を用意するようになったし、私のプロフィールに関する質問などは、自分からは殆どしてこなくなった。
代わりに、スキンシップが増えた。手を掴む。抱き着く。肩を寄せる、等々……。都度注意はしているが、これは止める兆しが見られない。
「和泉二等兵、いい加減にしておけ」
そう呆れ気味に言うと、一旦は離れるが、すぐにまたくっついてくる。最近では、もう面倒になって注意すらあまりしなくなっていった。
その日の昼食は、サンドウィッチとざる蕎麦を交換した。肩が触れあわぬよう、拳二つ分ほど離れた状態で、並んで食べる。
「上官、今日は戦闘機の操縦訓練でした!」
「知っているよ。予定を組んでいるのは私なのだからな。お前が一番覚えがいいと、教官が言っていたぞ」
「えへへ……子供の頃からの憧れでしたから」
その言葉は、少なからず私の興味を惹いた。戦闘機の操縦を夢見て軍に所属する、というのは珍しくないが、女性でその理由を掲げる者を、私は一人も知らなかった。
「……そう言えば、お前のことは殆ど聞いたことがなかったな」
「私ですか?」
口にして、自分に呆れてしまう。過去を掘り下げられるのを嫌っておきながら、人の過去に興味を持つなど。
「いや、いい。忘れてくれ」
「そんな! むしろ大歓迎です! ばっちこいです! 私のこと、たくさん聞いて欲しいです!」
「ばっちこいってお前な……。あー……、お前は、何故軍に入ったんだ? 国のために戦うとか、そういう思想があるタイプじゃないだろう」
「戦闘機に乗ってみたかったんです。他にやりたいこともなかったですし」
「他の夢はなかったのか。こう……お嫁さんになりたい、とか」
「私、男の人に興味ないんです」
明確にそう言われたのは初めてだったが、そこまで驚きはなかった。まぁ、そうか、というくらいだ。ひょっとしたら、だから彼女はここにいるのだろうか。番になれない女だから。国の繁栄に貢献できる者ではないから、この部隊に入れられたのだろうか。
「両親は反対しなかったのか」
「私にはもう好きに生きていて欲しい、と言っていました」
「……随分と、放任されていたんだな」
知らず嫌な言い方になってしまったが、彼女はキョトンとしていた。
「そんなことないと思いますよ? 私のこと、色々と認めてくれましたし。えっと、まぁ、私が軍に入った理由は、そんな感じです。上官は?」
「私は、ただこの国のためになるなら、と思っただけだ。両親も兄弟も死んだし、想い人もいなかったからな」
「じゃあ、私エントリーしたいです!」
「私にその趣味はない。……前にも少し話したが、初対面の私のどこに惹かれた?」
「一目ぼれです!顔合わせで初めて上官を見た時、すごく心にビビッと来たんです! 電流が走ったっていうんでしょうか。私の中の価値観がひっくり返るような……。恋に落ちるって、こういう事なんだって! これを運命と言わずしてなんと言えましょうか!」
「強いて言うなら思い込みと暴走だな」
名前が同じ、なんて言うのは単なる方便だったわけか。しかし……。
「……私は、そんな大層な憧憬を抱かれるような女じゃないよ。……この基地に編成されている部隊が、どういう意図で組まれたものかは知っているのか」
「えぇ、まぁ……皆話していますから。姥捨て山みたいなものだって」
「言い得て妙だな。ではそんな姥捨て山に、何故私が配属されたと思う?」
「?」
「……私は、ある航空部隊の生き残りなんだ。お前は知っていたな」
「はい。敵の猛攻を堰き止めるための防衛戦で唯一生還し、貴重な情報を持ち帰った、不死鳥の英雄、と」
改めて聞くと、随分と虫のいい話だった。一口蕎麦を啜り、麦茶で流し込む。
「……正確には、私が所属していたのは、防衛部隊ではない。敵を堰き止めるため、というのは間違いではないが、その実態は、敵国の戦力を削ぐために派遣された、特攻部隊だった。盾ではなく、矛だったんだ」
「そう、なんですか……?」
「当時はまだ、戦争そのものに懐疑的な意見が強かったからな。自分から攻撃に向かう、というのは都合が悪かったんだろう。攻撃を仕掛け、成功すれば敵の自滅。失敗すれば、防衛部隊が無惨に殺された、として、戦いの正当性を主張する。どちらに転んでも都合がいいようにしたかったんだろうさ。……その戦いが、私の最初で最後の出撃だった」
知らず、手が少し震える。和泉二等兵が不安げにこちらを見た。
「大丈夫……。……戦いの結果は後者だった。調査の名目で近づいただけで、こちらに攻撃の意思はなかった、というために、大した装備も付いてないハリボテの機体で飛んだのだから、当然と言えば当然だ。部隊はあっという間に全滅した。たっぷりと火薬を積んだ敵の機体にハチの巣にされ、次々と落とされた。どうにか不時着を果たしても、周囲の土地は火の海になっていた」
「……でも、貴女は生き残りました」
「味方の死体を盾にしてな。炎に包まれた鉄の機体はあっという間に熱せられた。耐え切れず脱出した同僚たちは、敵に狙い撃ちにされる。私は上司の死体を傘に潜り込んでやり過ごしたんだ。臓腑まで焼け爛れそうな灼熱地獄になった鉄の棺桶の中で小さくなって、敵が去っていくのをずっと待っていた。機体が熱で爆発しなかったのは、本当に運が良かった……。英雄なんて笑わせる……逃げたんだよ、私は。貴重な情報というのも、私は知らない。私は何も持ち帰ってはいない。『生き残りの証言で、敵が突然攻め込んで来たことが分かった』と、政府は声高に叫んでいたがな」
和泉二等兵の方を見る。彼女は衝撃を受けているようだった。自分の憧れた女性が、ただの都合のいい広告塔に過ぎなかったのだから、それもやむなしか。
「不死鳥の英雄ともてはやされることは苦痛でしかなかった。おまけに、そう褒めたたえながら近づいてくる連中は、私がいくら拒絶しても、意にも介さずアレコレと聞き出そうとしてきてな」
彼女の肩がびくりと震える。
「お前のことじゃないさ……いや、一時期重ねて見ていたのは確かだが。政府も、私に近づく人間も、私自身のことなど全く考慮しない。それ以来、まともに業務も果たせなくなった。医者に言わせれば、心的外傷、というのが酷いらしい。故郷の佐渡に戻っても、傍にいてくれる身内もいなかったから、結局仕事をする以外に気を紛らわす手段がなくてな。……そんな心の病を持った人間が働ける場所は、ここしかなかったんだ」
彼女は、何も言わない。見ると視線をそらし、俯いている。世間話には重すぎた。
「……すまん、食事時にするようなものじゃなかったな。それに結局、私の話ばかりになってしまった」
「いえ……貴重なお話を、聞かせてもらいました」
「そんな大したことじゃない……ほら、昼休みが終わるぞ」
「わわわ……っ」
慌てて、食べかけのサンドウィッチをお茶で流し込む和泉二等。
結局、戦闘機云々については詳しく聞きそびれてしまった。また今度、改めて聞けるだろうか。
ご馳走さまも大雑把に、急いで訓練場へ戻っていく彼女を、苦笑しながら見つめる。手を振ってきたので、呆れながらも振り返してやると、とても嬉しそうに笑っていた。
「……いかん、まだ纏めなくちゃならん資料が残っていたな……」
こちらも残りをかき込み、少し遅れて食堂を出る。通路を歩きながら、和泉二等のことを思い浮かべる。
彼女の微笑も、好意も、本当に無邪気なものなのだ。それがなんだか嬉しくて、ついこちらも、一人笑みを浮かべてしまう。
執務室に戻ると、机の上に、一つの便箋が置いてある。上層からの通達だ。
今更何をやるというのか。訝しみながら封を開け、中身を広げる。
『通達――戦況は極めて不利であり、軍部、政府、市民全てが不安に駆られている。ついては、海岸向こうの敵部隊への偵察、及び奇襲を命ずるものとする。日程は……』
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